ANOTHER STORY:鳥浜幸織の夏の一日(1)

 幸織さちおのやすらかな眠りはメールの着信音で破られた。

 「うぅん……何?」

 ベッドの上で半回転して、机とベッドの中間に置いてあるづくえの上からスマートフォンを取る。

 夏の朝、ピンク色のカーテンを翻して風が吹き抜ける。

 こうやって窓を開けていれば、それは真夏のこととて涼しくはないけれど、ほどよく汗をかいた上を風が通ってくれて、エアコンを入れるよりも快適だ。ここは二階で、カーテンの向こうは空だから、相手が屋根にい上って来るか、気球にでも乗っていないかぎり、のぞかれることはない。

 「えいっ、と」

 メールを開いてみる。差出人は勤め先の課長だった。

 三六さぶろく協定にかんぺきに違反した残業の後、帰れなくなって、始発で帰ってきてお風呂入って朝ご飯食べて、やっと寝床に乗っかったのに、また呼び出し……?

 「鳥浜とりはま様。昨日はご苦労様でした。ところで、住所、岡平おかだいら市だったよね? ネットに岡平市で大規模な爆発って出てるんだけど、だいじょうぶ? テレビ等ではやってないからガセだとは思うけど」

 ばくはつ……?

 ここはへいわですよ……。

 両手を伸ばして、両足も伸ばして、ふはーっと大きくあくびをして、目を閉じる。

 手を伸ばした拍子にスマートフォンが手から離れたらしい。がた、と音がした。スマートフォンが床に落ちたのだろう。

 幸織は、まぶたを閉じたまま、足のほうに行っていたタオルケットを引き上げて、胸のところに掛ける。

 タオルケットの端を握って、斜め上を向き、すう、ふう、すうとゆっくり息をつく。

 それからむくっと起き上がった。

 やっぱり気になる。

 ベッドからきれいに両足を揃え、スリッパをまさぐって足にひっかけ、ベッドから下りる。

 「よいしょっ、と」

 胸のところにまとわりついてきたタオルケットをベッドの上に押し戻す。

 床に落ちていたスマートフォンは拾ってもとの小机に戻した。

 子どものころ、ピアノ練習用だと言って買ってもらったくるくる回る円椅子に腰掛け、半回転して、パソコンのスイッチを入れた。

 「マウス」とか「クリック」とか言われて「なんだっけそれ?」という顔をしている後輩たちの顔を思い浮かべてくすんくすんと笑うのはいつものことだ。

 出て来た検索窓に「岡平市 爆発」でキーワードを入れて検索してみる。

 「わー、たしかに出てるねえ!」

 とりあえずCOMコンPATHパスの書き込みをたどる。

 超小型核爆弾の爆発だとか、直前にミサイルが飛んで来たのを見たとか、いや、電力会社が地下に秘密で設置していた原子力発電所の事故だとか。

 半分以上、いや、ほとんどが、おふざけかワルノリだ。

 それに対して、岡平市役所から「黒煙は永遠ようおんちょうの建築現場の事故で、火災等も起こっておらず、被害が拡散する危険はありません」という広報が出されている。

 それにまた「この完全な否定はかえってあやしい」というようなコメントがついている。

 なぁんだ、と思う。

 COMコンPATHパスに貼ってあった動画も見てみた。

 「岡下に突如上がった怪しすぎるキノコ雲(意味不明の絵文字多数)」と書いてあるのだけど、どう見てもちっちゃいビルの屋上ぐらいの高さまでしか「雲」は上がっていないし、しかもそれはすぐに崩れて消えている。

 「建築現場の事故」という市の説明がいちばんしっくり来ると思った。

 それで、パソコンのスイッチはつけたまま、ささっとベッドに戻って、課長には

「いま確認してみました。やはりガセでした」

と短く返事を入れ、今度はちゃんと上を向いて目を閉じる。

 「完全な否定だから、かえって怪しい」。

 そんなこじつけっていうか、そんなのねえ……。

 幸織は、ぱっと目を開いた。

 「ねえ、幸織、さっきここにどら焼き置いてたんだけど、知らない?」

 ワッフルだったり、エクレアだったり、三色あんぱんだったり二色クリームパンだったり……甘いものばっかり!

 「知らないよ。わたし食べてないよ。ぜったい食べてないよ! ほんとだよ!」

 「ああ、そうか……。じゃ、わたしのかんちがいかな」

 あのときは、その完全な否定でごまかせたと思って、胸をなで下ろしていたのだが。

 いま思うと、わかっていて、わざと幸織に合わせてくれたに違いない。

 ちょっと見たところ、あのころから美人で、理知的な感じで、優しいって感じはあんまりしなかったけれど。

 でも、何よりもまず、優しい子だったのだ。

 結生子ゆきこは。

 やっぱりまた会ってみたいなぁ……。

 もう怒ってないんだけど。

 そう思って、幸織は深い息をついて、また眠りへと落ちて行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る