夏の一日

清瀬 六朗

第1話 星淳蔵(農業)

 真っ青な空から容赦なく日が照りつける夏の朝だった。

 岡平おかだいら岡下おかした永遠ようおんちょう西にし一丁目で農業を営むほし淳蔵じゅんぞう氏は、大きな麦わら帽子をかぶり、首筋にタオルを巻き、そのタオルの中に保冷剤を入れて、畑の草取りを始めた。

 薄めたスポーツドリンクというのを入れた水筒も必ず手の届くところに置いている。

 ほんとうはそんなものは一滴たりとも口にしたくない。

 「スポーツ」なんてことばは大嫌いだ。「運動」や「体育」でいいじゃないか。

 それに、その「スポーツドリンク」というもののあの味を思い出すと、いやな感じがのどのところに湧いてくる。

 でも、去年、二度も熱中症に倒れた。

 一度めはたしかに炎天下で無理をしすぎた。

 でも、二度めは、体がへんだと感じて早めに水を飲んだのに、調子は悪くなる一方だった。熱中症だとも思わず、医者に行ったら、前回よりも重い熱中症だと言われ、もっと体を大切にしろと説教された。

 熱中症になったら水だけでは体が受けつけないという。それでこのスポーツドリンクというのを常備するように勧められた。

 農業で一家の生計を立てているわけではない。七十になったくらいで息子の世話になりたくないという意地で畑を耕し続けている。そろそろ意地を張るのも限界か、と、心の中では思っているのだが。

 それでも言い出せないんだよな、おれってやつは、と思って深く息をつき、腰を落として草取りにかかろうとした前を、大型のトラックが轟音ごうおんと土ぼこりを立てて走り抜けて行った。

 やれやれ。最近は工事ばっかりだ。

 今度はどこで工事をやるんだろうと、うんざりして、でも少しは好奇心もあって、顔を上げる。

 見ていると、そのトラックは、道の先の西原にしはらさんの屋敷の前で止まった。

 荷台からブルドーザーを下ろしている。

 ブルドーザーなんか積んでやがったのか。道理で大きな音を立てて土ぼこりが巻き上がるわけだ。

 ブルドーザーはがたんがたんがたんと大きなキャタピラーの音をさせ、地面に着くと、勢いよく黒い排気ガスを吹き上げた。

 ずっと昔、いつも見ていた機関車のようだ。

 西原さんの屋敷のところは二メートルほど高台になっている。ブルドーザーは車体を傾けて勢いよくその西原さんの屋敷の跡地に入っていく。

 やれやれ。

 西原さんの「お兄ちゃん」が東京かどこかに引っ越したあと、ずっと空き家になっていた。それが売り払われて、西原さんの屋敷は跡形もなく解体された。

 その一区画を買ったのは、甲峰こうみねの人だという。

 淳蔵氏は顔を伏せて作業を続けながら、一人、自分の考えを追う。

 よりによって甲峰とは。

 甲峰はこの永遠寺町とは敵どうしの土地柄だというのに。

 この永遠寺町は昔は永遠ようおんの境内だった。

 いまの永遠寺は本堂のほかには少し墓地があるだけの小さい寺だが、岡平・岡下両藩の藩主家の菩提ぼだいで、かつてはこの一帯の広大な土地がその永遠寺の境内だった。

 江戸の中ごろに、岡平藩に相良さがら易矩やすのりという野心家の家老が出て、むちゃな政治をやり、そのせいで藩は断絶の危機にさらされた。その相良易矩が、もともと住んでいた住民を追い出し、どこかから新しい住民を連れてきて住み着かせた土地の一つがその甲峰だ。

 この家老はけっきょく切腹して死んだけれど、この家老のせいで藩はめちゃくちゃになった。永遠寺も、藩主家の財政を助けるために土地を売り払い、明治の廃仏はいぶつ毀釈きしゃくを待たずにいまのような小さい寺になってしまった。

 そう言えば、孫娘の宰子さいこは、「廃仏毀釈」と言われても何のことかわからないようだった。

 中学生のくせに、それでは困る。だいたい親がきっちり教育しないからそういうことになるのだ。今度会ったら、と、そこまで考えたときだった。

 どんがらがっしゃーん……!

 天地がひっくり返ったかと思うような音がとどろき渡った。

 ずずずんと地面が揺れた。もっと大きい地震が来るのかと身構えたが、揺れはすぐに収まった。

 とっさに去年倒れたのが熱中症でよかったと星淳蔵氏は思った。もし心臓に持病があれば、いまの音で心臓が止まっていた。

 そう思っておもむろに顔を上げた星淳蔵氏は、顔を上げたまま、身動きが取れなくなった。

 星淳蔵氏が見たのは、あの真っ青な空を覆い隠しながら勢いよく立ち上って行く真っ黒なきのこ雲だった。

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