第5話 出会い【裏】

 美優は、まだ小学校低学年の頃に一緒に遊んだ幼馴染だ。とは言ってもその頃の壮太は小学校にも通っておらず、ホームレスのような暮らしをしていた。ホームレスよりマシだったのは、ボロいけど雨を凌げる小屋に住んでいたことと、時々でも様子を見に来て、食べ物を置いていってくれる母親がいたことだろう。もう母親の顔も思い出せないほど、ひどい親だと思う。

 壮太は、見た目からして暮らしの悪い子供だったから、よく近所の小学生達に馬鹿にされたり、砂をかけられたり、蹴られたりもした。

 そんな生活が通常だったから、自分でも知らないうちに段々と感情が削がれ落ちていき、何を言われても何があっても無表情になっていた。

 しかし、ある日、壮太の目の前に天使が舞い降りた。――と、思った。

 いつものようにいじめられる壮太を助け、「大丈夫?」と声をかけてくれた女の子がいたのだ。


「あのさ、私、沢山飴持ってるよ、ほら! 一緒に食べよう!」


 お日様のようにニコニコと屈託のない笑顔を向けてくる女の子は美優と名乗った。

 壮太より少し年下なのか、純粋なキラキラした目でまっすぐに壮太の目を見る女の子。

 ふっくらしたほっぺは桃色をしていて、苺の飾りのついたゴムでお下げ髪にしている。

 こんな普通の女の子が自分に声をかけてくれるなんて、壮太は戸惑いとドキドキと色んな気持ちが駆け巡り、感情というものを一気に取り戻した気分になった。

 気が付けば、夢中で美優を壮太の一番のお気に入りの場所に連れて行っていた。

 美優と遊んだ日々は壮太にとっては一番の宝物で、美優と会えなくなって、どんなに辛い事があってもずっと心の支えになっていたのだ。



 そんな幸せな日々は急に終わりになる。壮太と美優は、最悪の別れ方をした。

 そもそも普通の家の子供がホームレスのような子供と一緒に遊ぶなんて理解されないだろう。子供の壮太だって、そんな事よく分かっていた。それなのに天使の如く壮太の前に舞い降りた美優。美優は微塵も差別意識なしで壮太と対等に向き合った。これがどんなに稀なことか壮太はよく知っていた。

 だからこそ、美優を手放したくない、ずっと一緒に遊びたい思いから、2人で遊んでいることを秘密にしてもらっていたのだ。

 しかし、ある日、美優の母親に見つかってしまう。


 その日は雨が強くて、外で遊べる状況ではなかった。梅雨の時期で、もう何日も美優の顔を見ていない。その日も美優が秘密の花畑には来ないだろうと思っていたが、次に会った時に渡せるようにと、四つ葉のクローバーを探していた。壮太に優しく接してくれる美優の喜ぶ顔が見たい一心だけで。

 お互いに会いたい想いがシンクロしたのか、美優が雨の中、ランドセルを背負ったまま花畑に現れた。


「美優、雨の中どうしたんだ?」

「壮太こそ、雨の中何してるの?」


「いやぁ、ちよっと、四つ葉の……ク、クローバ……を……」


「ええええ!? こんな雨の中? もう終わりにしよう。 美優ね、壮太に会いたかったから学校の帰りに寄ってみたんだ。お土産に給食のプリンもあるよ」


 美優は壮太の心知らず、雨の中何をやっているのかとニコニコしながら苺柄のピンクの傘を壮太に傾けた。美優がいるだけで、雨が降っているのに、ここだけお日様が照らしているかのように明るくなる。

 この雨の中、ここまで歩いて来たのだから当然だが、美優の洋服が濡れていた。壮太は、雨に濡れている美優が可哀想だと思った。


「俺も美優に会いたかった。雨も強いし、汚くてもいいなら、俺の家で少し休んでいく?」


「いいの? 行く、行く!」


 ゴミだらけの臭くて汚い家でも2人でいれば楽園だ。濡れた服をハンガーにかけ、壮太は上半身裸で、美優は下着姿になって、いつものようにランドセルの中にある児童書などを読んでいた。そこに突然、美優の母親と警察官が乱入してきた。


「――美優っ、あなたたち、何をしているの!!」


 裸の壮太と下着姿の美優を見て、母親は半狂乱になって壮太を罵倒した。あまり記憶には残っていないが、何発か平手打ちをくらったかもしれない。

 それから、美優は連れて行かれ、何人もの大人たちがこの狭い小屋の中に入ってきた。

 壮太は保護者不在ということで、児童相談所に保護され、そのまま児童養護施設で暮らすようになった。



 *****



「久しぶり、元気だった?」


 美優は突然現れた先輩の意図が見えず訝った目を向けた。

 彼は健康的に日焼けした顔で優しい笑みを浮かべている。


「美優に迷惑になると思ってずっと話しかけられずにいたけど、もう限界なんだ」


「私は先輩と面識がないと思いますけど……なんで、名前を」


 彼は無言でズボンのポケットからスマホを取り出すと、そっと美優に差し出した。

 その仕草がとても懐かしくて、急に涙が出そうになる。美優の記憶の奥深くを揺さぶられるようだ。

 美優はスマホにぶら下がっていたプラスチックの苺に目を奪われた。


(どうして? 私のヘアゴムについていたのと同じ物)


 そして、勢いよく彼の顔を見上げた。

 彼と壮太がリンクした途端、頭の中で走馬灯のように思い出が駆け巡り、その場にくずおれてしまう。


「ご、ごめんなさい、……ごめんなさい、約束を……まも……れっ、なくて……、ごめん……っ」


 心臓が激しく波打ち、喉に焼けつくような痛みを感じる。頭を上げていられず、俯いた先の地面を涙が濡らす。

 壮太は美優の前にしゃがみ込むと、美優の顔を両手で優しく挟み自分に向けた。


「ごめん、やっぱり美優を困らせちゃったね」


「……恨んで、ないの……?」


「恨むも何も、美優は初めての大事な友達だから。ずっと会いたかった」


 壮太は美優と離された後、児童養護施設に入所した。本人の努力と良い縁に巡り合い、今、この場所に立っていると後から聞いた。

 美優にとっても、あの頃、壮太と秘密を共有することが嬉しくて、楽しくて、大好きで、大切なお友達だった。忘れられない秘密の初恋だったと思う。


「美優、本当に会いたかった。――もう泣かないで、こうして再び会えたのだから、ね」

 壮太は美優に笑いかけると、そっと美優の涙を指で拭った。


 遠くから授業開始10分前の予鈴が聞こえる。


「また、明日もここに来られる? そ、壮太君……。私も、ずっと会いたかったし、良かったら、色々とお話ししたい……」


 俯き加減に消えそうな声でお願いする美優の目に、何度も頷く壮太が見える。

 思い出のアヒル口の男の子は、少しだけ大人になって、はにかんだような笑顔を見せた。



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