第2話スープが塩味のお湯なのですが

(こんな時でもお腹は元気だなんて)


 そんなに食い意地はってたかな?

 けど、ナーラの話から推察するに、フレデリカの身体は一昨日から飲まず食わずだったはず。


 それなら仕方ないよね、と自身のお腹をさすりながら恥ずかしさを誤魔化して、ひとまず状況を整理しようと思考を巡らせる。


(フレデリカのきっかけはおそらく、高熱。なら、"私"は――)


 刹那、"私"の記憶がフラッシュバックした。

 保育園の給食調理員として働いていて、土曜日はコンビニでスイーツを買って帰るのがお決まりのルーティン。


 その日も仕事終わりにコンビニに寄って、新作スイーツを買おうとレジに持っていたところで――暴走した車が、窓ガラスを突き破ってきた。


(そっか、きっと私はそれで……)


 不思議と悲しくないのは、転生した私の精神が"フレデリカ"に染まりつつあるからだろうか。

 それとも。私が死んで悲しむ"家族"が、既に存在しないからだろうか。


(死んだ後は、"パパ"に会えるんじゃないかって期待していたんだけどな)


 私を産んだ母はいわゆる"未婚の母"というやつで、生物学的な"父"は私にもわからない。

 そんな私の"パパ"は、母の兄だった。


 父親を明かさないまま、ただ身籠った事実だけを伝え頼ってきた母を、母の兄であるパパは古びたアパートの一室に迎え入れ。

 漫画家の夢を一切断つと、アルバイトを増やして金銭的にも精神的にも母を支えた。


 そうしてなんとか私を産んだ母は、ほんの一か月足らずで出ていってしまった。

 パパは時折大家のおばちゃんや周囲の人に助けてもらいながら、必死に働いて私を育ててくれた。


 幼い私の記憶には、"母"の存在はなくても、笑顔の大人が溢れている。

 母はあれからたったの一度も会いに来ることはなくて。

 私は十五歳の時、パパと養子縁組した。


 嬉しかった。やっとのことで、名実ともに"親子"になれたから。けれど。

 あれは、私が高校生二年生の時。パパに肺がんが見つかって、ほんの一年とちょっとで死んでしまった。


(私がもっと早くに気づいていれば、パパはもっと生きられたかもしれないのに)


 パパは何度も「寿命だよ」と笑って、私を元気づけてくれたけれど。

 成人を迎え、一人での生活に慣れてからも、私に根付いた後悔が消えることはなかった。


(だから……私が引き寄せられたのかな)


 "魔王の娘"であるフレデリカと魔王レスターとの間に、血の繋がりはない。

 魔族の住むエリアへの境界となっている『黒翼の森』に捨てられていた赤子に気が付いたレスターが、戯れに城へと連れ帰り、自身の魔力を分け与えた。


 発見時からすでに衰弱していた赤子。

 魔力を与えたとはいえ、人間にとって魔族の持つ黒の魔力は負担が大きい。


 レスターは、赤子は助からず、そのまま命を落とすだろうと考えていた。

 けれど奇跡的にレスターの魔力が馴染んだ赤子は、一命を取り留めた。


 彼女は"フレデリカ"と名を授けられ、魔王の娘となった。

 なのだけれど……。


("パパ"が冷たかったっていうのが、私とは違うところかな)


 レスターを父親として慕うフレデリカに対して、レスターはとにかく冷たかった。

 魔王の娘として魔族に手厚く育てられた反動か、フレデリカはとにかく我儘で自分勝手。

 おまけにその妖艶な顔と肢体を使って勇者を篭絡しようとしたりと、小説では"悪女"の肩書に相応しい行動がいくつも描写されている。


 レスターが聖女であるリサに心を寄せていたことを考えると、彼がフレデリカに冷たかったのは、人間嫌いや女性が苦手といった理由ではなく。

 フレデリカが"悪女"たる性格だったからなのかもしれない。


(それでも、フレデリカは最期の最期まで、レスターが大事だったんだね)


 彼女が討伐された、最期の記憶を思い起こす。

 プライドの高い彼女が地に転がりながらも、最後の最後まで必死に願っていたのは、父親であるレスターの生存だった。


 ――実の父ではない"パパ"への、生きてほしいという願いと後悔。


 私達に共通するこの要因が重なって、奇異な転生に繋がったのかもしれない。


「――フレデリカ様。お待たせいたしました」


 コツコツと音がして、ドアが開かれる。

 ナーラが戻ってきた。彼女は台車を押して入室すると、手際よく準備したお湯に柔らかな布を浸す。


「失礼いたします。ご入浴は、もう少し体調が回復されてからにいたしましょう」


 温かい布が肌を滑るたびに、すっきりしていく爽快感が心地いい。

 子供の小さな身体だからか、私はあっという間に拭きあげられ。ナーラに手伝ってもらいながら、締め付けのないワンピースに着替えた。


 ふわりとしたシルエットが愛らしい。

 小説に登場したフレデリカは、身体のラインが強調されるデザインの、更には露出の多い服を好んでいたけれど。

 幼い頃は今のように、愛らしい服も所持していたみたい。


「……ねえ、ナーラ」


「はい、フレデリカ様」


「私が眠っている間、お父様はいらした?」


 途端、ナーラがピクリと手を止めた。

 けれどもそれはほんの一瞬で、私が先ほどまで着ていたネグリジェを畳みながら、


「まだ目覚めないのかと、心配されておりました」


(やっぱり、来てないんだ)


 原作の二人の関係から、そんな気はしていた。

 私が"フレデリカ"なら、悔しさと悲しさに涙を浮かべて、お湯をひっくり返すくらいしたかもだけど。


「そう。じゃあ無事に目が覚めたって、後で伝えておいてね」


「!」


「それよりもお腹すいちゃった。スープは……これね。持っていってもいい?」


「っ、私がお持ちしますので、お座りください。お皿も、熱いので」


 制止するナーラに「わかったわ。お願いね」と頷いて、大人しく椅子に戻って座る。


(ナーラったら、驚いてる)


 無理もない。きっと今の私の態度は"フレデリカ"らしくないのだろう。

 けれど説明したところで理解してもらえるとは思えないので、私は彼女の動揺に気づいていないフリをしてスープを待つ。


「……お熱いので、お気を付けください」


 目の前の机上に置かれたのは、綺麗な黄金色のスープ。

 煮込んだ野菜は取り除いてあるのかな。

 具材は一切見当たらないけれど、ふわりとした湯気にお腹が「早く食べよう」と催促してくる。


 銀のスプーンを手にとって、ひとすくい。うん、やっぱり綺麗なスープ。

 期待と空腹に急かされるようにして吹いて冷まし、いざ、と口に含むと――。


(……んん?)


 違和感に、もう一回スープをすくって、口へ運ぶ。


(……塩味の、お湯?)


 おかしい。

 明らかに見た目はコンソメスープに近いのに、香りもほとんどなければ野菜の甘みも感じない。


(私が病み上がりだから? それとも、味覚が変に――?)


 違う。"フレデリカ"の身体の記憶だろうか、本能的にこれが"いつものスープ"だと直感する。

 そうだった。フレデリカはこれまで、食事を"おいしい"と感じたことがない。


 けれどもこの妙な『塩味のお湯』に疑問を持たなかったのは、これが"普通"として育ったからで……。

 私はタン、とスプーンを置き、


「ナーラ。お願いがあるのだけれど」


「はい、何なりとお申し付けください」


「厨房に、連れてってくれない?」

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