(59) 裂け目-13

最後に残った物は悲しみでも、諦めでもなく、ただただ大きな闇だった。


退廃的な雰囲気と美しさを持ち、独自な世界観を作り出す魔女は、薄気味悪い怪物である事を止めてその尖端的な相貌を露にした。


上品で独特の透明感を持つシルバーアッシュの長髪は、毛先に向かうにつれて緩やかに波打ってゆく。血色を感じさせない白い肌には赤と黒の化粧が施されており、病的ともいえる雰囲気を持っていた。細かい網目状に織られた黒色の生地は舞い上がるような輪郭を作り出し、幾重にも重ねられた贅沢なレース使いが高級感を演出する。装飾をふんだんにあしらい、ともすれば悪趣味とも言える過剰に可愛らしさを強調した姿は、世界の趨勢すうせいから逸脱していこうとする者そのものだった。


私に根源的不安を突き付けながら、魔女、ディクサム・ブロークンは闇に笑い続けている。



「────重要なのは闇から目を逸らす事ではない。そこに存在する闇を認識し、自分が闇を見つめている事を自覚する事にある。そして闇を見つめている自分自身を見つめる事こそが、闇に呑まれないための唯一の方法といえるだろう」



魔女、ディクサム・ブロークンは、私に向けてただ言葉を投げつける。頭では分かっているはずなのに、何処か気持ちは追い付いて来なかった。私は言葉を忘れてしまったかの様に、相槌も打たず、静かに耳を傾ける。



「"深淵"が物語にどんな意味をもたらすのか、────その問いに、未だ答えは出ていない。そして行きずりの者と言葉を交わす事は単なる偶然などではなく、縁があって起こるものに他ならない。────追放と回帰の象徴、世界の仕組みの一端を見せてやろう」



そう言って魔女は祈りを込めると、"裂け目"を覆っている足元の闇が押し広げられてゆき、開かれた世界はその向こう側を透けて見せる。境界を挟んで両方の世界を見る事が出来るようになった半透明な状態で、世界の表面を映して見せると同時に裏側を映し出していた。



一体何が起きているのか、────────初めは理解できなかった。


そうであるにも関わらず、瞬く間に体の中が変調をきたしていったのは明らかだった。


途方も無く膨らみ続けていく悪意と、身を震わせて厭う程に悍ましい悪辣の中で、


どんなに頼まれても触れる事すら嫌悪する宿怨に、全てが一瞬にして侵され覆い尽くされていく。



最も耐え難い悪寒と苦痛、そして強烈に迫り来る嘔吐感が、容赦なく襲い来る。


喉元までせりあがってくる感情を咄嗟に手で隠そうとするが、どうする事も出来ない衝動に、私は即座にしゃがみ込んだ。その場で胃の中のものを戻しながら、息を整える暇すら与えられずに、容赦ない衝動は続け様にやって来る。



────何度となく、何度となく繰り返しては、私は全てを吐き出した。



見えないものに取り囲まれて、見詰め返してくる目がある様な、そんな居心地の悪さの中で、


全身の毛が逆立つような薄気味悪さを感じながら、体中から脂汗が流れ落ちてゆくような感覚に囚われる。



余りの恐怖で、目を塞ぐ事さえ出来なかった。



縮んで背中を丸めながら、顔を背ける事も許されず、尽きる事の無い悪意が、私の逃げ場を無くしていく。



私は時が過ぎ去ってゆくのをじっと待つ様に、願って祈り続けている。



今はそれだけが私に与えられた、


たった一つの居場所だった。

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