(41) 知恵の実-18

作業部屋の椅子にもたれ掛かりながら、短剣を鞘から引き抜いてゆく。穢れの無い白い柄頭には護符とされるペンタクルと、曇りのない研ぎ澄まされた剣身には三相の女神、"トリプルゴッデス"が描かれている。


その女神の姿は、"少女"、"母"、"老婆"を表しており、それぞれ、"陽気さと冒険心"、"創造の源、癒しと愛"、"智恵と神秘、死と再生"の意味を持つ。



────かつて世界は、神によって作られた。

天地は三位一体の創造物であり、それは魔術的な力を表す月相を象徴し、満ちゆく月、満月、欠けゆく月へと移り変わりながら、死と再生の中で永遠の循環を繰り返し続けている。



神秘的な雰囲気を持つ短剣は美しい月の光に照らされながら、眩いほどの輝きを放つ。それは決していかなる生命も切るために使ってはならない掟を持ち、覚悟を持って手にした者には、邪悪なものを退ける力が宿るという。


私は短剣を鞘へとしまい、腰の携行帯へと収納する。


続いて作業部屋の机に作成していた軟膏や調剤類を広げながら、私はそれをひとつずつ、携帯鞄に割り当てる事を繰り返してゆく。私は手際良く事前準備を進めながら、逸る気持ちを次第次第に整えていった。


自らが作り出す機会は、自ずと自らを変えるだろう。

行動し続ける姿勢は、きっと何かを生み出すきっかけを作ってくれる。


少しの不安と、淡く華やぐ気持ちが入り混じる思いを抱えながら、


「約束を交わした訳では無いけれど、────期待されているのなら、それに応えたくなるものね」


私は覚悟を決めた表情でそう言いながら、微笑をもってその緊張を緩めていった。



*



礼拝堂の前室を通り抜けて、堂内中央部の身廊を、私は迷う事なく進んでゆく。

夜が深まっていき、静寂の中で、壮麗な礼拝堂には足音だけが響き渡る。


身廊を進み終えて、中央交差部へと差し掛かると華麗で大きな丸天井が顔を出す。礼拝堂の中で最も神聖で重要な場所、主祭壇に佇む魔女は、何時もと変わらない様子で祈りの姿勢を取っていた。着色硝子を通して窓から差し込む月の光は、彼女の整った美しい顔立ちを浮き上がらせる。



信仰ある祈りは、願いを成就させてゆく。

それは最も単純な魔術とされ、最も気軽に使われている魔術とも言えるだろう。


主張する訳も無く、けれども確かな存在感を放ちながら、魔女は言葉を発する事なく祈り続ける。目を閉じ、手を組みながら、頭を垂れるようにして、彼女は主に願いを込める。


残されたこの世界の中にあって、魔女は何を願うのだろうか。

しかし幾ら私が無言の意思表示を着飾ろうとも、それは無粋というものだろう。



そして、そのいつかは現実となってゆき、────彼女の背中越しにその沈黙は破られた。



「昨日は過ぎ去ってゆき、明日はまだ訪れてはおりません。わたくし達にはただ、今日があるのみですわ」



魔女、ダーチャは愉悦を噛み締める様に、一呼吸置いてから、ゆっくりと身体を回して私へと振り向いてゆく。


魔女の周りには色とりどりの蝶が翻りながら、礼拝堂には喜びの歌声がこだまする。



「────さあ、わたくし達は、今ここから始めましょう」



彼女は喜びに心をくすぐられる様に、花開く様に顔を綻ばせたのだった。

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