喰らう者たち

駄伝 平 

俺は川崎市の稲戸区に引っ越してきた。山と住宅街の町。母とその恋人と暮らすはめになった。2人の馴れ初めだって?そんなこと知ったことではない。どうせ、マッチングアプリに決まっている。それまでがそうだったように。

 母は介護職をしている。性格は辞書の例文に載せたいくらいの自由奔放だ。まるで、ロックスターの様に恋人を変えては引っ越しを繰り返してきた。神奈川県の藤沢、横浜、鎌倉、などいろんな所を点々とした。4年周期くらいで恋人と別れて新しい恋人を作り新しい場所に引っ越す。それの繰り返し。

 俺は慣れていたが1度、そんな生活に耐えきれなくなった。小学4年生の春休みに実父の家へと家出をしたが、父にはすでに家庭があった。若い再婚相手の間に2人の女の子がいた。

 父親には「お前の面倒はみれない」ときっぱり言われた。ショックかって?別になんとも思わなかった。ある程度予測していたからだ。

 父は父で問題がある人物だった。父は仕事人間で、帰ってくるのは、いつも終電だった。しかし、実の所は残業ではなく今の嫁さんと不倫関係にあった。不倫は、子供が出来てしまったことでバレてしまった。父と母がこの件に関して大喧嘩をしていたのを当時3歳だった俺は覚えていた。だが、異母兄弟が出来た事は単純に嬉しかった。たまに父の家に遊びに行くと妹が懐いてくれた。父は一軒家に住み、母より若くて綺麗で優しい嫁さん。それに2人の子供。それに犬と猫を飼っていた。とても、微笑ましい家庭だ。だが、俺はもやもやとしたモノを父の家庭に感じていた。それは嫉妬なのかもしれない。なぜ、あの2人の姉妹が愛情を受けて育てられているのに、自分だけ母親の男癖に振り回されて酷い青春を送っているのか。そこで、人生が不平等であることを身をもって体験した。

 だがプランBがあった。それは調布に住む、おじいちゃんの家に逃げ込こむことだった。おじいちゃんは一緒に住むことを了承してくれた。

 おじいちゃんと二人暮らしをした。1年間は気楽に生活ができた。少々口が悪く軽いケンカもしたし料理は不味かったが、母親の恋人と一緒にいるのを考えると天国に思えた。おじいちゃんからは定期的にゲームを買ってくれたし、父親も俺を裏切ってしまったと後悔してくれたのか、服やおもちゃを会うたび買ってくれていい店でご飯を奢ってくれた。

 それに、いいことが続いた。学校で初めて友達ができた。それまで、引っ越し三昧だった事もあり友達などできなかった。その中でも一番親しくしてくれたのは、鈴木だった。鈴木は、肥っていて周りからは少しイジられていたが、頭が良く、音楽にとても詳しかった。それまで、邦楽しか知らなかった俺に彼はアメリカやイギリスや韓国のロック、ヒップホップ、ポップスを紹介してもらった。

やっと、普通の小学生の生活を送っていたがそう長くは続かなかった。

 1年後の俺が小学5年生の夏休みの頃、おじいちゃんが倒れた。病気だった。病名は糖尿病だった。病状は重く、入院することとなった。そして、俺は再び母親に引き取られることとなった。最初は抵抗した。ワンチャンスあるのではないかともう一度、父親に相談したが前回と同じように断られた。

 母親と恋人は3LDKのアパートに暮らしていた。3LDKの1番小さな部屋。物置に使われていた部屋をあてがわれた。部屋は狭く4畳もあればいい程の小ささだった。多少の不満があったが仕方ない。

 母親の恋人の名前は、菅礼司というヤツだった。母親の6歳年下で人材派遣会社の営業をしていた。コイツを一言で云うと、クソ野郎。例えば、少しでも物音を立てるものなら「うるさい」と云いネチネチとしつこく言ってくる。魚料理が出た際にうまく魚を箸でほぐせない時も同様。どうせ、俺の事など心配していないくせに学校の成績表を見せる度に5段階評価で3でも文句を垂れてくる。「そんなんじゃ社会で通用しないぞ」がヤツの口癖だった。俺の人格を全否定したいだけなのではないかと思うほどだ。

 母親はというと、俺の味方などしてくれなかった。菅の前では終始、母は常に女の顔になっていた。それが気持ち悪くて仕方なかった。そして、酷い時には、菅と一緒に攻撃に参戦してくる。だが、前の母の恋人よりはマシだった。前の母の恋人は俺をまるでサンドバッグと勘違いしているのか、理由もなく殴ったりしてきた。それに比べれば菅はマシな方だった。

 家に居る時は夕飯以外は自分の部屋に閉じこもった。そして、父親から買ってもらったiPhoneでYouTubeを見て過ごした。

 夜になると最悪だ。時折母親の喘ぎ声が聞こえてきた。小6になれば、母と菅が何をしているかくらい容易に想像がついた。気持ち悪くて反吐が出る。そんな時はSpotifyで音楽を聴いた。ビリー・アイリッシュ、ゴリラズ、テームインパラ、アークティック・モンキーズ、ブラック・ピンク、ケンドリックラマー。全て鈴木がお勧めしてくれた音楽だ。鈴木とは定期的に自転車で多摩川に架かる橋を渡って家に遊びに行ったりメールでやり取りしていた。その度に音楽やゲームの話をして過ごした。彼が居なければ完璧に精神が崩壊していたに違いない。

 学校はというと、当然というべきか友達ができなかった。小5の途中から引っ越しをして友達を作るのは相当なスキルが必要だ。だが、内向的な俺にはそんなスキルはなかった。クラスでは浮いた存在で、イジメられているわけでもないが、皆が腫れ物に触るよう接してきた。学校でも居心地が悪かった。

 そして、小5の2月、コロナパンデミックが起きた。学校は休みになった。これはとても嬉しかった。学校からChromebookが支給され。学校からリモートで授業を受けられる事になった。それにより、学校で嫌な思いをしなくて済む。とても喜ばしいことだった。だが、リモートは自分だけではなかった。

 菅もリモートで仕事をすることになった。同じ屋根の下、部屋が違えど同じ空間にいるのが嫌でたまらなかった。最悪だ。母がいれば少しは気が楽になるのだが、母は介護職で家を空けている。

 俺は極力、部屋を出ずにリモート授業を受けた。お昼休みの時間。昼ごはんは大抵カレーだった。母が俺と菅の為に毎日つくっていた。このカレーはお世辞にも美味しいと言えるモノとは言えなかった。なぜ、カレーという元々アベレージの高い食べ物がこんなにも不味く感じるのか不思議なくらいだ。何か調理方法を根本的に間違えているとしか思えなかった。

 お昼ご飯は自分の部屋で食べた。菅も俺と一緒に食べるのが気まずいらしく、このことについては何も言わなかった。それが唯一の救いだ。

 授業が終わると、図書館へ向かった。とりあえず家から出たかった。ただ、それだけの理由だった。コロナパンデミックの影響で人数制限があった。入れない日は、近くのモールのベンチで音楽を聴いて過ごし、入館できた日は視聴覚室で映画を観て過ごした。稲戸図書館の映画のライブラリーは種類が豊富で、古今東西のVHS、DVDがあった。

 俺は映画が大好きだ。いろんな映画を観た。家のテレビでNetflixやAmazon Primeが観れるが、年齢制限がかかっていた為、観たい映画がみれない。しかも、居間で菅がいる所で一緒に映画を見るなんて考えただけでも虫唾が走る。

 なので、年齢制限もなく菅のいない環境で映画が観れるなんてとても幸せだった。好きな映画はスピルバーグの監督作と、スターウォーズ、そして、最近ハマっているのはジョン・カーペンターの作品だ。「遊星からの物体X」、「ゼイリブ」は面白すぎて10回は観た。そうやって、コロナパンデミックを菅がいる時以外は有意義に過ごした。だがしかし、6年生になった春頃、コロナパンデミックが徐々に終息をを迎えると、制限登校が実施された。

 俺は複雑な気持ちになった。確かに菅と接する機会が減ることは喜ばしいことだ。だが、学校にも行きたくなかった。行ってもツマラナイだけだ。それに、リモートでも十分授業ができているのに、わざわざ学校に行くのは無駄に思えた。だが、仕方ない。図書館に逃げ込んでサボるという選択肢もあったが、母親と菅にヒステリックに怒られうに違いない。まるで、刑務官に命令されるかのように大人しく従い、学校という監獄に行くしか選択肢はなかった。


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