第8話
「よく私の前に顔が出せたものだな、サキ」
「そっちこそ、人を無理やり連れてきておきながらよくもそんなことが言えるわね。これは犯罪よ!」
「ふっ、家族が会うことのどこが犯罪なものか。相変わらず口の減らないヤツだ。だが、それよりもなぜお前は森迫に組した?」
「そんなもの、あんたが困るからに決まっているでしょ!」
東京目黒。都内としてはかなり贅沢な屋敷にある石造りの立派な門に、【澤田】とこれまた高価そうな表札がかかっている。建物内部にある広く豪華なリビングに、男二人に押さえつけられて倒れているのは飯田サキ。悔しそうに目の前の人物を睨みつける。一方で、それを剛然と見下ろしているのはサキの実の父親であり、与党幹事長でもある大物議員、澤田泰然。和服でたたずむ姿は堂に入っている。
「ふむ。私が憎いか?」
「当り前じゃないの! 母さんを捨てたくせに!」
「まだ、そんな戯言をほざくか。だが、お前がこれまで不自由なかったのは私の援助だと知っているだろうに。母親と違い、ものの道理を弁えていないようだな」
「ふん、どの顔でそれを言うの!? 母さんはあんたを憎みながら死んだのよ! それに余裕を見せているけど、党内でも寒い風を感じていないかしら。そろそろ足元が怪しくなってきたんじゃないの?」
サキの捨て台詞に澤田の眉が少し動く。年の頃は60代半ばに見えるが、その体格は政治家というよりは格闘家に近い。分厚い胸板と、太い腕と足。その筋肉は全く衰えを見せていない。政敵でもあった森迫議員を、病気という追い風はあったものの党の中央から追い出した張本人でもある。
「ほう、狙ってやったか。だが、お前にそんな心配をされる必要はない。こちらの問題は、あの巫女を抑えればすぐに取り返せるわ」
「あら、そんなに上手く行くかしら?」
「減らず口を。こちらは最初から森迫の力を削ぐだけでも十分なのだ。もちろん、お前たちが行なっている奇跡の秘密については、あとでゆっくりと聞くつもりだがな」
「ふっ。奇跡? 何それ?」
「お前が、高梨の娘と一緒にやっているママゴトのことだ」
「そうよね。あんたから見れば私たちのやっていることは単なるママゴトに見えるかもしれない。それでも、奇跡は奇跡よ。ただ、奇跡はあんたなんかみたいな強欲な人間の下には訪れない」
「笑わせるな。森迫のくたばりぞこない以上の強欲がどこにいるというのだ」
「でも、森迫議員は随分元気になったみたいだけど。それに、奇跡に関しては私は単なる窓口に過ぎないわ。私からは何も出ないわよ。加えて、私たちのチームは今はやりのネットワーク型組織。あんたたちにその糸が辿れるかしら?」
「威勢がいいな。だが、フェイクを入れても無駄だ。お前たちが組織など持っていないのは既に確認している。その上で、森迫がお前たちを確保しようと強引に動き出す頃合いであることももきちんと掴んでおった。だからこそ、今回お前を早めに保護したのだ。続いて、もう一人の巫女もほどなく保護できるだろう」
「あんたは、どうせ全てが自分を中心に回っていると思ってるのかもしれないけど、そんな風に上手く行くかしら?」
「わが娘ながら、本当に口の減らない娘だな。だが、お前がどう考えていようと何をほざこうと、どうでもよいわ」
「やっぱりね。そう言うと思っていたわ。自称家族が聞いて呆れるわね」
「いいだろう、念のため少し付き合ってやろう。話を聞いてやる。だが、そもそもお前の怪しげな企みを、一年近くこの私が見逃してきたとでも思っていたか?」
「私みたいな品行方正な医療従事者を監視するのが家族、拉致するのが保護ね。はいはい。物は言いようということかしら。まあ、確かにいつかはあんたが接触してくるとは思っていたわよ。まさか、バンに連れ込まれて拉致られるとまでは予想していなかったけど。まったく、あんたにお似合いの野蛮な方法ね」
「ふん、元々普通に来いと言っても来ないだろうに」
「当たり前じゃない!」
「なら、せっかくだからついでに教えてやろう。サキ、お前は東大再生研の伊野教授を知っているか?」
「何? 誰よそれ?」
「日本における再生医療の第一人者だ。彼の研究は全国の複数大学で連携して行われていてね。所謂国家プロジェクトというやつだ。まだ公表されてはいないが、これまで個別に行われていた医療ツーリズムを、国家事業として据える方針だ。そして、お前の住んでいる県のK大医学部にもこのプロジェクトで連携しているラボがある。【光の巫女】と呼ばせているお前の友人、高梨リリがかつていたところ、と言えばわかるか」
「ふ~ん、なんかすごい研究なのね」
「一年ほど前に、高梨リリがなぜかK大の研究所に忍び込んだ。ちょうど大学を出て一年と少し経過したというところか。かっての同僚のIDを使って忍び込み、ラボで実験に使っている癌化したマウスに何かを与えた」
「それがどうしたの?」
「ただ、マウスに何かを施すときに慌てていたのか、ケース内に人の血が残っていたそうだ。その上で、残された血はラボの研究員の誰のものでもなかった。ちなみに言えば、お前たち二人の血でもなかった。そう、全くの別人のものだった」
「なんで、私たちの血ではないとわかるわけ?」
「ほら、関係していると自ら言っている」
「馬鹿ね。あんたが私たちの血ではないと言ったから答えただけよ」
「お前たちの情報を、私が把握していないとでも思ってるのか?」
「病院から? 泥棒? どちらにしても、彼女が忍び込んだなんて、そんなことをする理由もないけど。カマかけなんでしょ? さらに、そこに血が残っていたことがどうしたっていうのよ?」
「確かにラボ内部には監視カメラはなかったが、ほかの場所のデータで十分に行動が把握できる」
「要するに、違法なデータアクセスをしたということね」
「違法? これは捜査だ。さらに言えば、私がそこに関与したからこそお前の友人は見逃されているのだぞ」
「そう……」
「ところが、数日後に調べてみると不思議なことに癌化したはずのマウスが、まったくの健康体に変わったそうだ。しかも、明確な若返りの効果もあったという。単なる窃盗事件か何かと思っておったが、この結果には伊野教授も腰を抜かすほど驚いておったぞ」
「へー、すごい話ね。その研究結果が広がれば世界の常識が変わるのかしら」
「これとお前たちがやっている奇跡は、とても似ていると思わないか? カゴの中に残っていた血は普通の血液だったが、状況からするとマウスに無理やり飲ませた時にこぼれたもののようだったと。そうだ。お前たちがポーションと呼ぶものは、その血なんだろう?」
『ポーション』という言葉に、サキは思わず反応してしまった。その言葉を使ったのは、梶田との間だけである。他は、全て奇跡で通してきたのだ。
「やはり、顔色が変わったな。あの都市は私のかつての地元でもある。この俺に情報が入らないとでも思っていたのか」
「ふん、人の血が何だっていうのよ?」
「ほう。これだけ証拠を出されても、未だシラを切る元気があるか。だが、そろそろ諦めた方がいいと思うぞ」
しばらくの沈黙がその場を覆う。
「盗聴かしら? それとも恫喝? あんたらしいやり方ね!」
「まあ、お前も素人としてはよくやっていた方だ。おかげで予想以上に情報の分析と把握に時間と人員をかけさせられたわ。さあ、素直に全てを話せ。そしてお前が持つ全ての情報を私に渡せ」
「誰があんたなんかに!」
「ほう、それでは金の流れからたどり着いた男の方も連れてきた方がいいか?」
「……、男って、誰のことかしら?」
「梶田健司。大手ゼネコン帝国建設の北陸支店勤務。25歳、独身。出身は長野県で父親が市役所勤務の公務員、母親が小学校教員。妹が一人いるようだな。こちらは東京のN大学の学生か。ほう、大学時代からの同級生が彼女で、こちらは横浜で親と一緒に住んでいるみたいだな。平凡だが、恵まれた家庭のようだ」
澤田は、懐から取り出した紙を見ながら不敵に言葉を重ねていく。目を大きく見開いたサキは、ため息を吐くと、腹をくくったかのように落ち着いた声で話し始めた。
「はぁぁ。そこまで掴まれているとは、さすがの私も思わなかったわ。で、私たちをどうしようっていうの?」
「まずは奇跡の検証と、そして活用だ。お前がどれだけ理解しているかは知らんが、この力が本物ならばとんでもないものだ。間違いなく世界を変え得る。それだけの力を、国としてもお前たちなんぞ素人に任せるわけにはいかんのだよ。ただ、お前はここから人質としては役立ってくれそうだがな」
「実の娘が人質ね。保護とか言ってたどの口が言うのかしら。それにしても、組織としての日本政府や官僚は無能で動けなくても、金にあざとい権力者には丁度おいしい話ということなのね」
「これを日本のために役立てられるのは私しかおらん。売国奴の森迫などに、渡すわけにはいかんからな」
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俺、梶田健司は現在三人の屈強な警察官に取り囲まれている。俺自身の日常を守るため、そしてサキやリリとの関係性を匂わさないために、日常としての仕事を継続してきた。今となっては仮面の場所である、会社のオフィス内でそれは起こっている。
サキはこうした事態を予測していたかのように、数か月前にそろそろ身辺に気を付けるよう注意喚起されていた。とは言え、たかが素人の所作なので所在を隠したり情報を完全に隠すことなどできやしない。そんな中でも、自分なりに準備はしてきたつもりだった。秘密の隠れ場所を用意し、イザというときに使える逃走用経路を考え。
だが、頭で考える準備と体で対処する準備は違うようだ。まさか、いきなり職場で拘束されるようなケースは想定外だったのだ。裏社会からの接触に対しては、できる限りシミュレーションをしてきたのではあったが。
会社に警察が直接乗り込んで来て俺に任意同行を求めてくる流れは、サキとのやり取りでも話題にすら出ていなかった。突然の話で動揺しているのが自分でもよくわかる。そんな中で冷静になろうと必死に頭を回す。どうやら具体的な容疑はわからないが、あの時のチンピラとは別件のようである。サキが懸念していたのは、俺たちのプロジェクトを強引に奪いに来る存在。だが、だからこそ国や公権力が先に接触してくることを考えていなかったのである。警察という公権力に対して逃げることも暴れることも、現時点に俺にとっては選択肢にはない。特に、俺が未だ執着のある日常を守ろうと考えれば考えるほど、こうした動きには拒絶できないということになる。
もちろん、日常を投げ捨てれば話は別ではあるが。
「あくまで任意なんですよね」
「ええ、ただ拒絶されるといろいろと不利になると思いますよ」
「そもそも、一体何の容疑なんですか?」
職場では、この事態にざわめている。
「梶田君。これはどういうことかね?」
課長が俺に問いかけてきたが、そんなことは俺よりも警察に聞いてほしい。その質問を気にもせず、制服姿の警官の後ろからまるで警察官らしくない私服の男が俺の前にやってきた。ボサボサの髪形に草臥れたスーツ。だが、銀縁眼鏡の奥に見える目は鋭く酷薄な輝きが見えた。細身だが、動きにもスキがない。あまり近寄りたくない雰囲気を纏う人物である。
「初めまして、梶田さん。私はK県警の薮内と申します。本日は、お仕事中でお忙しいところ大変申し訳ございませんが、今から私どもと一緒に署までご同行願えませんか?」
「先ほどもそこの警官の方に伺いましたが、これは拒否できるんですか? 令状はないんですよね」
「ええ、形式的には可能ですよ。ただし、その場合は私どもの捜査の邪魔をしたということで、若干面倒なことになりますかね。どんな形かはわかりませんが、おそらく最終的にはご同行いただけることになるでしょう」
「別件逮捕をするということですか?」
「公務を妨害されるのは、別件でもなんでもありませんよ。法律に基づいた正当な行為です」
「でも、何の容疑で私が連れていかれるのかは教えていただけるんですか?」
「この場所で、同僚の皆さんの前で、それをお話ししてもよろしいのですか? 別室でもお借りできるの出れば、内密にお伝えすることもできますが」
「私は何もやましいことはしていません。なぜこんなことになっているのか、むしろ皆の前で教えていただきたいです」
「本来なら、あまり捜査情報を漏らすわけにはいかないんですが、今回は部分的にならいいでしょう。私も荒事は避けたいですし。あくまで任意同行ですので、納得して同行いただきたいですからね」
だが、そう言う薮内の顔は嫌らしい笑みを伴っており、俺はゾクリと背筋が冷たくなるのを感じる。オフィスの空気は凍り付いたままで、遠巻きに俺と警官たちを囲んだまま声も聞こえてこない。
「あなたはある特殊詐欺に関与しているということで、その重要参考人としてお呼びするものです」
「特殊詐欺? それって何なんです? 全く身に覚えもありません。本当にそれは私のことですか?」
「ほう、通常はこんな形になると冷静さを失う人が多いのですが、梶田さんは違うようだ。場慣れしていらっしゃる」
「慣れてる訳ないでしょう! 全く身に覚えがないから、戸惑っているんです!」
「いやいや、大物のようだ。どうも怪しいですね」
「何を!?」
「梶田さん。私は大掛かりな特殊詐欺事件の黒幕があなただと睨んでいるんですよ。かなり強い確信を持ってね」
「そんな訳あるはずもない! 調べればすぐにわかるはずだ!」
「だいたい、皆最初はそう言うんですよ。でも、今回あなたが捕まるようなことがあれば、公務員や教師のご両親もそのままではいられないでしょうな。そう言えば、大学生の妹さんもいましたか。大学中退となると大変でしょうな」
「おい、家族は関係ないだろう! 警察は、こんな脅しをかけるんですか!?」
「警部、あまりそういう言動は……」
後方から、一人の警官が諫めようとしているようだが、薮内はそれを手で制した。
だが、薮内の顔に表れている嫌らしい笑みは益々強くなっていった。もはや悪魔的ともいえるレベルである。
俺は必死に動揺を抑える。何か変だ。仮に任意同行が本当だったとしても、この刑事の態度は奇妙すぎる。実際、俺が逃げないように取り囲んでいる警官たちの表情にもかなりの戸惑いがあるように見えた。
「喧しい! 梶田さん、俺はね犯罪者が憎いんですよ。特に、一般市民を絶望に叩き込む詐欺犯罪というのがね」
そう言いながら、俺に対してにじり寄ってくる。これは恐怖というほかはない。
「あんたの言っていることは、すべてでっち上げだ。俺はそんなことは一切していない。証拠もなしにそんなこと言うなんて、あんた何かおかしいぞ!」
「いいえ、何もおかしくありませんよ。さあ、今から署に行くことにご同意いただけますよね」
こんな状況では、とてもではないが警察署でもまともな扱いを受けられないだろうことは容易に予測できる。この動きが俺たちのプロジェクトに関わっているのかどうかわからないが、狂気じみた行動を受け入れれらるほどに俺の心は強くない。
「い、嫌だ!」
「おや? 私の聞き間違いでしょうか?」
そう言いながら、俺の目の前にまでにじり寄ってきた。そして、俺の体を掴もうと手を出したように感じた。怖い! 思わず、出された手を振り払ってしまう。
「これは、明確な公務の妨害ですな」
そう言うや否や、俺は細身の体からは想像もつかないほどの力で、腕を握られるとその場に押さえ込まれた。
「14:28、緊急確保」
その冷たい声を聴きながら、俺は拘束から逃れようと体を動かす。その瞬間、薮内の顔が大きく喜びの表情をしたように見えた。
「困りますね。大人しくしてください。おっと、暴れると傷つけちゃうことになりますよ」
そう言いながら、薮内が俺の腕をつかむ手が突然爪を立てた。強い痛みが走る。だが、この逮捕劇が俺の能力に関係していることは、今この瞬間に理解できた。
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