笑いが絶えない団地

駄伝 平 

笑顔が絶えない団地

 会社が潰れて職を失った時、落ち込むのと同時に安心した。労働環境がとても酷かったからだ。

 私は、事務員をしていた。2年に渡り朝の8時半に出勤して終電の12時まで働いていたからだ。タチの悪い事に職場環境は、とても悪く残業代が振り込まれていないのは日常茶飯事。パワハラ上司に怒鳴られるのも日常茶飯事。同僚からの嫌がらせも日常茶飯事だった。

 そろそろ辞めて転職しようと考えていた時のことだった。良いタイミングで会社が潰れた。これは、ラッキーだと思った。これで、もう少しまともな会社に転職できるチャンスだと。

 しかし、そんなに世の中は甘いものではなかった。運が悪い事にコロナパンデミックで求人が減った。しかも、事務の仕事は求人倍率が高い。所詮、新卒で2年しか事務の経験がない私など雇ってくれる職場はなかった。

 何十社も面接を受けたが、どの会社も受からなかった。気がつくと、失業保険の受給も終わってしまった。貯金はまだあるが、それも焼石に水だ。この調子だと、どこにも受かる気がしない。そんなある日のこと思いついた。実家に帰ろうと。

 実家は新宿駅から電車で降り30分の稲戸駅から歩いて10分のところにある。今住んでいる高円寺の方が都心に出るのに近いが、考えてみると都心まで電車で30分は魅力的である。もし、職場が決まれば引っ越して実家を出ることにした。

 両親に相談したところ、帰ってきても良いと言われた。

 そんな訳で、仕事が決まるまで実家に帰る事にした。家具や白物家電をリサイクルショップで売り払った。そして、アパートの契約を解除した。

 引越しの際は、衣服や本やノートパソコンを段ボール二つ分を先に送った。自分が持っている物が少なすぎるのではないかと少し悲しい気分になった。


 高円寺駅から中央線で新宿に向かい、小田急線に乗り換えて降りの快速急行の電車に乗って30分。稲戸駅へついた。自分が住んでいた時、3年前の学生時代の時とは様変わりしていた。年開発の影響で、それまであった、建物が解体されていて現在は工事中。昔は、もっと小さな飲み屋や定食屋がたくさんあったが、今ではあるのはチェーン店だけになっていた。街も変わりつつあるなと思う反面、どことなく寂しい気分になった。あの、安くて美味しかった家系ラーメンのお店も今では更地になっていた。仕方ない。これもまた時代の流れだと。


 実家に行くには駅の南口から出て、山を登る必要がある。高さは30メートルほど。山なのか丘なのか、厳密な定義は知らないが、私は山と呼んでいる。傾斜は14度の道を歩いて行くこと10分。頂上に大きな団地がある。この団地は5階建てのコンクリート作りの築40年。定期的に外装をペンキで塗りつぶしているがそのボロさは完璧に隠すコトはできず、ところどころムラがあったり、日焼けで変色しているところもある。中にはひび割れた箇所もいくつか見受けられる。

 この団地には6棟あり中央には体育館のような作りの大きな集会所があり、定期的に行われる団地の会議や、夏休みやクリスマスといった日には子供たちが集まりパーティーをしていた。しかし、この団地も他の団地と同じく住居者の高齢化が進み、若い住居者が減り子供も、自分が子供だった時の1/3は減ったのではないだろうか?とにかく、あの時の活気は無くなっている。

 まさか、ここに戻る事になるとはと思った。就職が決まった時に独り立ちを決意して絶対に戻ることは無いだろうと思っていたのだが、人生そんなに甘く無い。


 私は2号棟の5階にある505室に向かった。まさしく実家だ。少し緊張した。母は割と人当たりのよいから問題ないが、父がどんな顔をして待ち構えているのかを想像すると嫌な予感しかしない。

 父は高校の化学の先生だった。今は定年退職している。父とはあまり関係が良くない。彼は性格がひねくれていて、頑固で攻撃的だ。何度も私と顔を合わせるたびに意見の衝突が起きた。常に、私のことを挑発してくるようなことを言ってくる。それが嫌で、実家で暮らしていた時は、わざと朝食と夕食の時間をずらして、まるでお互い磁石の反発するかのようにして極力会うのを避けた。なので、家を出てからは実家に帰ったことがない。母親とは新宿あたりでたまに食事をとっていたが、父とはこの2年間全く会っていなかった。どうせ、嫌味な事を言われるに違いない。

 そんな事を考えていたら505号室のドアの前にいた。どうすれば良いだろう。まず、何を喋れば良いか?思いつかなかったが、意を決してチャイムを押した。

 ドアの向こうから「はーい」と大きな元気な声で母が言うとドアが開いた。

「あら、シンジじゃないの。待っていたはよ」

「うん、ありがとう」

「さあ、入って」

 母はいつも以上にニコニコしていた。そんなに私が帰ってきたのが嬉しいのかと思った。

「シンジの荷物はもう部屋に置いてあるから」

「わかったありがとう」

 私は自分の部屋へ入った。実家を出た時と同じだ。勉強机と本棚とベッド。誰も使っていなかったせいか埃の臭いがした。

 505室は3LDK。共用通路側の右手の早が私の部屋で、左手にある部屋が母の部屋、そして中央にキッチンと、リビングがある。リビングの左の和室は父の部屋だ。

 私は、先に送った荷物を出して、服を押し入れに入れて、ノートパソコンを勉強机に置いた。

 喉が渇いたのでリビングへ行くと父が食卓の椅子に座っていた。

 ニコニコしながら父は「おお、シンジ」といった。

「父さん。久しぶり」ニコニコしている父を見たのは初めてだった。もしかすると、意地の悪い事を言う前の準備かと思った。

「どうだ久しぶりの実家は?」

「うん、いいよ」

「そうか、父さんも母さんも、お前が帰ってきて嬉しいぞ」

「そう、ありがとう」おかしい。父がこんな事を言うはずはない。定年退職てから性格が変わったのだろうか?もしかすると、痴呆にでもなったのかもしれない。痴呆になるにしては若すぎる。いったいどうなっているんだ??

「何を立っているんだ?さあ、座りなさい」

「いや、飲み物が飲みたくなってね」

「それは良い。ちょうど俺も喉が渇いていたところだ。冷蔵庫からビールを出してくれ」

「うん」

 私は冷蔵庫からビールを2つ出した。やはり、おかしい。父はあまり酒を飲む人じゃなかった。ましてや昼間から飲む人ではない。もしかすると定年退職してから酒を嗜む回数が増えたのかもしれない。

 私は、父にビールを出した。自分も椅子に座りビールを飲んだ。

「おい、シンジ、就職活動の方はどうだ?」

「あまりうまくいってないよ」

「そうか、まあ、世の中が世の中だからな。仕方ないさ。まあ、気を落とさずにゆっくりしたら良いさ」

「そうだね。ありがとう」拍子抜けした。まさか、こんな優しい一面が父にあるとは知らなかった。きっと、相当嫌味な事をネチネチと言われると思っていたが違った。いったい、父に何があったのだろうか?逆に父が心配になった。


 部屋でパソコンに向かい求人を閲覧していた。どれも、胡散臭く見える。例えば『家族みたいな職場です』はきっと同調圧力の強い職場。『高収入』はきっとキツイ仕事。『安定した職場環境』と書かれた職場は、安定しているのにも関わらず自分が失業してからずっと求人が載っている。何か問題があるに違いない。仕事が選べる立場では無いくらいのスキルしか持っていないのは十分分かっているが、ここは踏ん張りどころだ。下手に変な会社に入社したら、その後同じ事を繰り返すだろう。それに幸いな事に今は実家で家賃も食費も要らない。なので慎重に仕事が選べる立場にある。父が言ったみたいにゆっくり探せば良い。

「シンジ、ご飯よ」とキッチンの方から母が声を張り上げて言った。時計を見ると夜の7時だ。夕飯だ。

 私はパソコンの電源を切って、キッチンへ向かった。テーブルにはピーマンの肉詰めが並んでいた。

「今日は、シンジが好きなピーマンの肉詰めよ」

「ありがとう」

「お前、ピーマンの肉詰めが好きだったもんな。久しぶりじゃないか、ピーマンの肉詰めを食べるのは?」と昼と同じように父は微笑みながら言った。

「そうだね」

「さあ、たくさん作ったから、たくさん食べてね」

「うん」

 椅子に座り、ピーマンの肉詰めにポン酢をかけて食べた。とても美味しかった。一人暮らしをしているとピーマンの肉詰めを食べる機会がない。自炊はしていたが、ピーマンの肉詰めを作るのは面倒だ。なので、余計に美味しく感じた。

 夢中になってピーマンの肉詰めを食べている時に気づいた。それは、父と母が喋らず食べている間もずっと微笑みながら食べている。とても不思議だった。普通は食べている間は表情が真顔になったり必死になったりするものだが。もしかして気のせいかもしれないと思って2人を観察しながら食べていたがずっと微笑みを浮かべながら食べていた。とても、不気味に思えた。もしかして、2人共ボケているのか?それが気になり、ピーマンの肉詰めを食べるスピードが落ちた。

「どうしたシンジ?もっと食べなよ。体調でも悪いのか?」と父が微笑みながら言った。

「いや、別に。久しぶりにちゃんとした物を食べたからスピードが落ちただけだよ」

「そうか、そういえば、お前痩せたからな。痩せ過ぎは良くない。たくさん食べろ」

「うん」

 きっと何かの気のせいだろう。それに、微笑み続けるより、仏頂面を続けられる方が嫌だ。無視して食べるのに集中した。


 次の日の朝。

 私は、アディダスのランニングシューズを履いて、上はTシャツ、下は半ズボンでランニングを始めた。外はまだ涼しいが走っている途中で暖かくなるので気にしない。

 ジョギングは大学生に入ってから始めた。特に始めた理由はないが、ランニングしている時は嫌な事を忘れられるので気分転換にはもってこいだった。

 ジョギングコースは学生時代と同じで、部屋から、団地の真ん中にある集会所を突っ切り、山を降り最寄駅へ、そこから線路横を上り方向に行くと川に出る。そこか折り返して団地に戻る。

 就職活動に熱中しすぎたせいか、或いは普段の不摂生のせいか、平均タイムより30分遅くなっていた。私は少し落胆した。せっかくの新生活がのスタートが思い通りに行かなかった。なんだか、これからの就職活動も上手く行かない気がした。

 団地に戻り、自動販売機でアクエリアスを買い飲んでいると、視界の先にお婆さんが立っていた。そしてすぐに、そのお婆さんが「グレムリンババア」だとわかった。

 グレムリンババアとは、意地悪さが滲み出たような顔をしている。団地の有名人で、人を見れば粗を探して文句は垂れる。人の出したゴミの中身をチェックして、分別しないとそのゴミを突き止めた際には、その住民の部屋の前にそのゴミを置く嫌がらせの常習犯だ。なので、住民の中には捨てる時に明細書などをシュレッダーを使ったりしてして細心の注意を払いゴミを捨てるようになった。

 しかも、子供にもいちゃもんをつける。鬼ごっこをしてるだけで怒鳴りつけ、時には頭を叩く。叩かれた子供の両親たちが、何度も警察沙汰にしているにも関わらず止めない。

 そのうち子供たちの間から、映画「グレムリン」に出てくる緑色の意地悪なモンスター、グレムリンそっくりだという理由で「グレムリン・ババア」というあだ名を付けられた。そのうち、団地の全員が彼女のことを「グレムリン・ババア」と呼ぶようになった。

 私は、この「グレムリン・ババア」が大嫌いだった。というのも子供の頃、団地の広場で友達とサッカーをしていた時に「こんなところでサッカーするとは馬鹿者が」と怒鳴られ頭を何度も叩かれたことがあったからだ。

 すると、「グレムリン・ババア」がこちらにやってきた。何か言ったり叱られるのかと思った。

 しかし、様子がおかしい。近づいて来るにつれて見違えたかもしれないが、いつもの表情と違う。そう微笑んでいる。

 そして、「グレムリン・ババア」が私の横で止まったときに笑顔で言った「おはようございます。今日は天気が良くて何よりですね」

 私は驚いた。また以前のように難癖を付けると思っていたからだ。

「お、おはようございます」

「今日もいい1日になると良いですね。では」

「はい」

 そうすると、グレムリン・ババアは、住んでいる棟へと消えていった。

 どうしたんだ?ついにボケてしまったのか?最後に彼女を見たのは2年前。あの時もなんか難癖をつけてきた。この2年間でボケたに違いない。


 部屋に戻ると両親が朝食を食べていた。朝食はいつも通りベーコン2つと目玉焼き2つにトーストだ。2人とも微笑みながら食べている。

 母がこちらを向いた「あら、帰っていたの?」

「うんただいま」

 私は席に座った。「ねえ、さっき『グレムリン・ババア』に会ったんだけど、どうしたの?ボケたの?初めて笑っているところを見たよ。しかも、愛想よく挨拶してきた」

「シンジ、そんな言い方しちゃいけません」

「そうだぞ、母さんの言う通りだ。彼女は救われてより良い人間になったんだぞ」

 2人が何をいっているのかわからなかった。両親は、自分が「グレムリン・ババア」に頭を叩かれた時に彼女の部屋に殴り込み大喧嘩したくらいだ。普段は温厚な母親でさい「グレムリン・ババア」と日常的に使っていたぐらいだ。それに「彼女は救われた?」とはどういう意味だろう?

「ねえ、お父さん。そろそろ時間よ。遅刻するわよ」

「そうだった。そろそろ出なくちゃ」

「何か用事なの?」

 母の話によると2人は週3回、近所の学校に行けなくなた引きこもりの子が通う施設に勉強を教えるボランティアをしているそうだ。

 そんなこと知らなかった。母ならまだしも、あの親父がそんなことをするとは。急に2人のことを尊敬した。それに比べて自分は向上心も無いし周囲のことを何も考えていなかったことに、気付かされてショックを受けた。

 ここ何年か自分は周囲の人間に優しく接したことがあっただろうかと反省した。


 両親が家を出て自分はパソコンで求人探し。何個かの求人に応募したあとは、アプリでテトリスをして過ごした。気づくと夕方になっていた。そうだ、ランニングをしようと外に出た。

 部屋を出て夕方のランニング。朝と違って気温が暑かった。今朝より汗をかきながらランニングコースを走った。感覚が戻ってきたのか今朝より楽に走れるようになった。

 コースを周り終わり団地へ戻ると知った顔を見かけた。笑顔をしたその男は祐くんだった。

 祐くんは私より4歳年上で、子供の頃よく一緒に鬼ごっこやサッカーやプレイステーションをして遊んでくれた。活発で元気でお調子者で面倒見のいいお兄さんといった感じだ。しかし、大学受験に失敗したことから段々と塞ぎがちになり、1年前に母から聞いた話によると度重なる受験の失敗から祐くんは完璧な引きこもりになったと聞いていた。

 私は久しぶりに祐くんに会えて嬉しくなった。それに笑顔なので安心した。

「祐くん」と手を振りながら大きな声で言った。

「小島くんじゃないか。久しぶりだね」と彼も微笑みながら言った。

「いつぶりですかね?いや、会えて嬉しいです」

「こちらこそ久しぶりに会えて嬉しいよ。今日は実家に遊びに来たの?」

「いや、失業中で今は実家にお世話になってます」

「なんだ、俺と同じだね。まあ、俺は引きこもりだから違うけど。そうだ、今から俺の家に来ない?酒でも飲もう」

「良いですね。飲みましょう」

 久しぶりの旧友に会えて酒も飲めるのが嬉しかった。しかも、祐くんが元気そうでよかった。

 祐くんの部屋は南にある5棟の3階の307号室だ。部屋に入ると祐くんのお母さんが笑顔で出迎えてくれた。

「あら、小島くん?久しぶりね。随分大人になって」

「お久しぶりです」

「実家に遊びに来てるの?」

「いや、実は失業中で、」

 祐くんが遮るように言った「母さん、そんな話は良いから。今日の料理は何?」

「ロールキャベツよ。小島くんも食べていく?」

「これから2人で酒を飲むから、できたら持ってきて」と祐くん。

「わかった。じゃあ、楽しんで」

 祐くんの後に続き、祐くんの部屋に入った。部屋は整理整頓されていて少し意外だった。子供の頃は常に部屋が散らかっていたからだ。

「さあ、座って」と座布団が敷かれている所に私は座った。

 お互いビールの缶を開けて乾杯をした。

「なんだか、夕ご飯まで奢ってもらってありがとうございます」

「気にするな。君はこの団地では、俺以外の唯一の毒されていない奴だからな」と急に真顔になった。

「なんですか、その毒されていないって?」とすこし祐くんのことが怖くなった。もしすると狂ってしまったのかもしれないと思った。

「お前はいつまで団地にいるつもりだ?」

「それは、就職先が決まるまでですけど」

「悪いことは言わない。スグにでもこの団地を出るんだ」

「何を言っているんですか?どうしたんですか?」

「こんな事を言っても信じないだろうけど、言うよ」

 祐くんがこの団地がおかしいと思い始めたのは半年前のこと。急に、住民のみんなの表情が笑顔になったと言う。しかも1日中。もしかして自分が狂ってそう見えるようになったのではないかと思って観察したが、両親もグレムリン・ババアもみんなの表情が終始笑顔だった。まるで、笑顔になるための矯正器具でも付けられたように。一種の集団ヒステリーだと思ったらしい。

 それからまもなく、両親に集会所でレクレーションがあるから参加しなさいと言われた。祐くんは面倒くさいので最初は断ったが、あまりにもしつこく言われたので一回だけならと思ってレクレーションに参加することにした。

 集会所には、殆どの団地の住民が参加していた。集会場の真ん中には金属の円型の大きな台があった。

 祐くんは、なんのレクレーションだと?興味が湧いた。あそこで何かダンスでもするのかと。するとマジックのように突然、奴が現れた。奴は人の形をしているが人じゃない。そして、頭から触手のような物が飛び出て、参列者の頭に触手が合体した。

「いったい、なんの話ですか?」

「俺にもわからない。俺は、その場をどうにかして逃げたからな」

「その触手が頭にくっつくとどうなるんですか?」

「ここからは、俺の推測だけど、奴は何かを吸い上げているんじゃないかと思うんだ」

「なぜです?」

「それはわからない。だが、これで住民が笑顔になる原因はなんとなくわかった。きっと、何かの副作用だ。何を吸い上げているのかはわからないがね」

「祐くんは、集会所を逃げたのをバレないように、外にいた時に終始笑顔にしていたんですね」

「そうだ。あれがなんであろうと、やばい物に違いない。奴は明らかに人間じゃない。とにかく、いち早くこの団地を出た方がいい」

「そんなこと言われても、貯金が」

「貯金があるだけマシだ。あとは、アルバイトを見つけてとりあえず逃げろ。俺は働いていなし、貯金もないからできないが、俺が君ならあの光景を見たらスグにこの団地をでるね」

「そうですか」

「俺を狂っていると思ってるだろ?違うか?まあ、無理もない。ただ、親に集会に誘われた時は注意しろ。近いうちに集会がまたある。きっと両親は誘ってくるはずだ。ビンゴ大会とか言ってな。それまでに逃げろ。とにかくこの団地は狂っている」


 ビールを飲んだあと祐くんの部屋を出て、自分の部屋に戻りベッドに横になった。

とても悲しい気持ちになった。祐くんは団地の中でもイケてるスターだった。それが勉強もスポーツもできた。優等生だった彼が受験に失敗し続けたばかりに、気がおかしくなったに違いない。あんな話、聞いたこともない。この団地で幽霊の話なら聞いたことがあるが、それとは全く違う話だ。

 謎の人型をした奴。でも、確かに自分の父親も母親も、それ以外の住民もみんな笑顔だ。そこに関していえば、祐くんの言っていることは正しいのかもしれない。だが、奴の存在だけはどうしても信じられなかった。色々と考えてると急に眠くなってきた。今日は変な話を聞かされたせいか変な夢をみそうだ。


 それから1週間後、朝のランニングから戻り朝食を食べている時のことだった。

「ねえ、話があるんだけど」と母が言った。

「何?」

「今日は集会場でレクレーションがあるのよ」

「レクレーション?何するの?」

「ビンゴ大会よ。来るでしょ?」

「この時期にビンゴ大会?」

「そうなのよ、あなたがちょうどこの団地を去った時から月に1回集会所で住民の親睦を深めるために、レクレーションをすることになったのよ」

「そうだったんだ」

「来るわよね」

 答えに困った。祐くんには悪いが、彼の言っていることは信用できないし、かと言ってここに住んでいる住人は老人か中年ばかりだ。そんな所に自分が行って楽しめるだろう。

「ごめん、今日は昔の職場の人と飲み会の約束があるんだ。今度にするよ」と嘘をついた。

「そう、残念ね。でも、次は必ず出てね」

「わかった。因みに、レクレーションは何時に始まるの?」

「夜の8時からよ。盛り上がったら11時に終わるわ」

「そうなんだ。楽しそうだね。楽しんできて」

 

 気になって仕方なくなった。夕方の5時に地元のチェーン店の居酒屋で暇を潰した。酒も弱いのにビールをジョッキで5杯も飲んでしまった。もし、祐くんが言うようにヤツが現れたとしたら?それを見てみたい気がした。時計を見ると夜の8時だった。酔いも回ってきたしどちらにしても家に帰ろうと思った。


 居酒屋をでると少し肌寒かったが、気持ちよかった。その頃には集会場の事など忘れていた。今後について考えなければ。送った履歴書は全て選考にすら通らなかった。やはり、当分は実家にお世話になるしかない。そう思った。だが、あの団地に長くいると祐くんのように引きこもりになり、気が触れてしまうかもしれないと思うと怖かった。だから今のうちに何か勉強でもしようと思った。何を勉強するべきだろうか?プログラミングなどがいいだろうか?IT業界の求人は常に募集している。だが常に募集していると言うことは定着率が低いということだ。それに、知り合いのプログラマーは常に残業を強いられ大変だと聞いた。自分にそんなことが出来るだろうか?

 そんな事を考えながら歩いていると山を登り終えて団地に着いていた。

 団地に着くと集会所の窓ガラスから紫色の光がこぼれ出て、団地の白い壁に反射していた。随分、派手なビンゴ大会だなと思いダンスパーティーでもやっているのかと思ったが、音はしない。

 気づくと千鳥足で集会所へと向かっていた。集会所の外に着くと窓ガラス越しに中を見た。私は固まって動けなくなった。

 視界には沢山の住人が直立不動で中央を囲み、中央に人型の半透明の何か人間とは思えない物が立っていた。目測で3メートルはあるだろうソレは頭と思われる所から触手が四方へ何十本も出ていて、触手の先端が住人の頭に繋がっていた。住民たちは恍惚とした表情を浮かべていた。その巨大ななにかは何度も色を変えては発光している。青、赤、黄色、緑、ピンク、と不規則に。まるで住人たちの頭から何かを触手で吸い上げているみたいだった。

 祐くんの言った通りだった。周りを見渡してみると、父と母も頭に触手が繋がっていた。そして、両親の近くに祐くんもいた。祐くんもまた頭に触手をが繋がっていて恍惚な表情をしていた。

 あまりの異様な超自然的なことに遭遇したせいで体が動かせるようになるまで時間んがかかった。

 やっと、体の自由が効くと恐怖から早くこの団地を出なくてはと思った。急いで自分の部屋へ行き必要最低限の衣服とパソコンをキャリーバックに詰め込め駅へと向かった。


 それから、私は友人の家を転々として自動車部品の製造のアルバイトに就いた。それから、職場の近くに部屋を借りて暮らしている。あれ以来、実家にも帰ってないし連絡も取っていない。

 あれは一体なんだったのだろか?と時々思う。だがきっと理屈では説明できない何かなのだろう。あれは宇宙人か?それとも幽霊なのだろうか?考えても答えは出ない。

 この話には余談がある。それは、バイト先の飲み会でのことだった。たまたま隣に座った大学生のバイトで小岩くんと話した。小岩くんとはあいさつ程度の会話しかしてこなかったが地元が隣だと知って話が盛り上がった。

「地元が隣なんだね?どこ?」

「読田の団地です」

「ああ、あそこね。知ってる。高校時代の友達が住んでいたから遊びに行ったことがあるよ」

「そうなんですか。でも、小島さんの実家の団地に比べたらショボいですよね」

「そうかな?同じくらいじゃないかな?」

「そうですかね。それに最近変なんですよ。ウチの団地」

「変てどういうこと?」

「なんていうか、最近、住んでる人がずっとニコニコしてるんですよね。微笑んでいるというか。なんだか気持ち悪くて」

 私は、自分が体験した事を小岩くんに言おうか迷ったがやめた。きっと変人扱いされるのがオチだからだ。

 もし、アレが拡大してるとしたら、そのうち日本を、いや世界を侵略していくのかもしれない。ただ、アレと繋がっていた方が良いのかもしれない。そうすれば戦争も貧困も起きなくなるかもしれない。だが自分はゴメンだ。みんなと一緒になって一生微笑み続けるのはゴメンだ。

 


 

 

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笑いが絶えない団地 駄伝 平  @ian_curtis_mayfield

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