法則

駄伝 平 

法則

 随分、昔のことだ。自分の3歳の時のこと。

 今でも、鮮明に覚えている。当時、自分はマンションの1階、国道に面した部屋に住んでいた。窓から見える風景は、車が忙しなくスピードを出して走っているのが日常だった。そして、もう一つ日常があった。それは窓から父が帰ってくるのを見ることだった。

 毎日、夕方の7時に最寄駅から帰ってくる父が対向車線の歩道を歩いてやってくる。自分はそれをみて、よく姉と一緒に窓越しに父に手を振ったものだ。

 そんな、ある日のことだった。その日は珍しく父は、遅く帰ってきた。8時だったと思う。なぜ、時間を覚えているかというと、家族では夕食を全員で食べるという習慣があった。なので、いつもより父の帰りが遅く、お腹がいつもよりも減っていたからだ。姉と一緒に窓から国道を眺めていたのを覚えている。そして、スーツ姿の父がビジネス用の黒い皮の鞄を持って現れた時には、やっと夕ご飯をたべれると姉とはしゃいだが、それどころではなくなった。

 信号が青になり、父が横断歩道を歩いた直後に、まるでレースでもしてるかのように一台のベンツが、父を轢いた。父の体は跳ね飛ばされて、宙を舞い10メートルほど先に止まっていた車のトランクに金属音とガラスの割れる音が同時に周囲に鳴り響きぶつかった。母から聞いた話によると父は即死だったそうだ。

 目の前で父が死んだのはショックだったが、自分はまだ死というものを理解していなかった。それに、父からは「男は泣くもんじゃない」と言われていたので泣かなかった。

 父を轢いた相手は、ある2世議員だった。彼は、その日、大量の酒を飲んでいた。しかも、同乗していたのは国民的な有名アイドル。それに加え父は総裁選の最中だった。

 この事実を明るみにしたくなかった事故の当事者と父親の国会議員とアイドルの事務所が警察に圧力をかけて高額の慰謝料で、この交通事故をもみ消した。この事件は大手報道機関では報道されず、一部タブロイド紙で、ちらりと当事者たちがイニシャルのみで記載され、ひっそりと都市伝説のように報道されただけだった。

 それに加え父親には、退職金と多額の保険金に加入していた。自分の家族は、一生何もせずに暮らせるくらいのお金が舞い込んできた。

 母には先見の明があった。母はそのお金で土地を買った。当時、都内の端の方にある相場の安い土地をいくつか買い、賃貸のマンションやアパートを建てた。それから2年もしないうちに土地の地価が上がり人生の3回分は何もしなくても生活ができるくらいのお金が母の銀行口座に舞い込んできた。母は銀行を信じなかったらしく、日本以外にも複数の銀行、アメリカ、スイス、そして経済発展するであろう韓国の銀行に預けた。土地と外為の他に金や株にも手を出して成功を収めた。生活は水準はどんどん良くなっていった。


 自分が15歳の時、中学校を卒業した時のことだった。絵画や美術に興味があった。地元の高校に入学するより、本場のフランスで勉強したいと思いから、フランスの高校に入学した。それからフランスの大学に入学、大学院に進みフランスの美術館の絵画の修復や管理の仕事に就いて順風満帆な生活を送っていた。

 大学の同級生の紹介でフランス人の6歳年下のカトリーヌと出会った。自分はカトリーヌに夢中になり、告白をした。すると付き合うことになった。それから、しばらくして同棲を始めた。とても楽しい生活を送っていた。

 そのころ姉は大手の音楽レーベルの会社に就職し、会社で出会った同僚と結婚。子供が2人出産した。

 

 自分が30歳の時のバカンス。2ヶ月使ってカトリーヌと一緒に旅にでた。2人ともアジアを回った事がなかったので東南アジア、タイから始まり、シンガポール、ベトナム、フィリピン、東アジアは台湾、香港、上海、北京、ソウル。そして数年ぶりに来日した。カトリーヌを連れて来日したのは初めてだった。

 日本に着くと、真っ先に妹夫婦と母が住む実家へ向かった。実家に帰ると、甥のマサヒロが出迎えてくれた。最後にあったのが彼が1歳の頃だった。今は8歳だ。子供の成長の速さには驚かされる。前あった時には、赤ちゃんでずっと泣いていたのに今ではちゃんと会話できるくらいになっていた。それと、姪のクミ。彼女は少しシャイなのかあまり会話は弾まなかった。常に何か、空を見つめている気がした。

 姉さんは、年相応になっていた。昔はもっとオシャレだったが、キャリアウーマンと母親との両立は難しいらしく少し疲れた印象を持った。

 姉さんの旦那は大人しい人だ。銀縁の眼鏡をかけた、いかにも経理にいそうなタイプだ。活発な姉とは対照的でよく結婚したなと思ったが、対照的な方が結婚に向いているのかもしれないと思ったた。

 母も年相応に老けていた。もう60代だ。60代の割には元気だが、自分が日本を離れた時に比べるとやはり明らかに老けているのがわかった。

 妹夫婦も母もカトリーヌを歓迎した。母は「早く2人の孫が見たい」と言ったが、まだ結婚のことは考えていなかったのでカトリーヌには、別の言葉を訳した。

 それから1週間後、カトリーヌはフランスに帰った。カトリーヌは実家のバカンスでカンヌに行く予定があったからだ。自分も行こうと考えたが、向こうの親御さんはとは月に1回は会っているのでせっかくなので残りの時間を日本で過ごしてみたかったこともあった。こんなに長い間、日本に滞在するのは久しぶりだ。1人で残りの1ヶ月を日本で遊ぶことにした。


 滞在してから4日目。中学時代の友達のナカイが自分が帰郷している事を知り、ちょうど同窓会があるので来ないかと誘いを受けたので行くことにした。

 同窓会の会場は居酒屋のチェーン店で2時間の貸切コースだった。居酒屋に入ると懐かしい面々がいた。中には全くの別人かというぐらい変わった者もいた。みんなは自分の事を歓迎してくれた。いろんな人から「フランス暮らしってどう?」、「すごい仕事しているんだね」など褒めてくれた。自分がここまで歓迎されるとは思ってもみなかったので、酒が進み有頂天になった。そのまま盛り上がり2次会、3次会へと進んでいった。

 3次会の時のことだった。みんな、ベロベロに酔っ払って、呂律が回らない喋り方で、話がループして、何を言っているのか分からなくなっていた。そんな時、ある同級生がぽつりと言った。

「ここに、カジヤマがいればな」

 すると、その場にいた皆んなが彼を一瞬見て、下を向いた。

 自分はカジヤマのことを急に思い出した。

 カジヤマは不良というよりは狂った奴だった。同級生を理由もなく殴りボコボコにするなど当たり前。日常茶飯事だった。カジヤマはずる賢く、絶対相手の顔を殴らない。証拠を残さないようにするためだろう。だが、それに気づいた先生が停学にし、停学が終わるとしばらく大人しくするのだが、また同じこと繰り返す。まるで、サイコパスのような奴だった。

 自分はカジヤマのことをすっかり忘れていた。自分も何回かお腹と背中を殴られた事があった。先生に言いたかったが、そんな事をしたらもっと酷い目に遭うだろうことは容易に想像できた。

 そして同級生は言った「アイツ、クソ野郎だったけど、16歳の若さで死ぬとはな」

 自分は驚いて口に含んだビールを吐き出しそうになった。

 同級生の話によれば、それは6月のある日のこと。中学を卒業後、工業高校の機械科に入学。彼は学校をサボりがちだったことから、補習で先生と2人で溶接作業中に、溶接用のガスタンクが不良品だったため、突然穴が開きガスが噴き出してガスタンクが吹き飛び、そのタンクがカジヤマの右胸に直撃。右胸上部と右肩が欠損し、しばらくして死亡したらしい。

「アイツ、最低の奴だったけど、流石に可哀想だ。4ヶ月緊急治療室で苦しんで、最後の方はモルヒネも効かなくなって死んだらしい」

 そんな事がカジヤマにあったのか。彼の事は大嫌いだったが、あんなに人に暴力を振るうような奴だからきっと、酷い家庭環境だったに違いない。そう考えると急に可哀想になった。


 実家に帰ると、もう朝の5時だった。自分の部屋に行きベッドに横になった時に急に気づいた。

自分に酷い事をした人は不幸になり死んだりする確率が多い事に。

 父が死んでから4年後、母は7歳年下の証券マンの恋人ができた。。最初は家に時々顔を出す程度だったが、そのうち、居座るようになった。姉さんも自分もこの男が大嫌いだった。

 母親がいる前では2人に優しく接したが、母親がいなくなると態度が一変。威圧的になり、しつけと称して2人を叩いり暴言を浴びせた。当然、2人は母親にこのことを報告したが、母親は彼に夢中で「あなたたちが悪さをしたからじゃないの?」「お母さんが恋人ができて、あなた達に構う時間がなくなって焼いているじゃないの?」と真剣に取り合ってくれなかった。そして、母親と彼が婚約し、結婚届けを出そうと考えていた5日前のこと、急に彼と連絡が取れなくなった。

 心配した母は彼の職場に連絡すると会社に来ていない。彼の友人にも連絡したが、彼からの連絡がない。母は警察に失踪届けを出した。それから、母は5人の探偵を雇ったが発見できなかった。


 自分が留学先のパリの高校で、ピエールという同級生に「ジャップ」と言われイジメられていた。廊下ですれ違ったらワザと肩をぶつけたり、食堂では牛乳を頭からかけられた。そんな、ピエールだったが、イジメが続いた3ヶ月後に近所の公園で死体となって発見された。死因は心筋梗塞だった事から事件は解決した。


 それから、大学時代に付き合っていた恋人にしつこく付き纏っていたミッシェルという男がいた。彼は彼女をモノにしようと、自分に対して身に覚えのない悪い噂話を周囲に言って回った。もちろん彼女にもだ。「彼は日本で幼児に悪戯をして日本に居られなくなった」や数々のデマを言って回った。そんな彼もセーヌ川で死体となって発見された。解剖の結果、血中にアルコール濃度が異常に高かったか事から、酔っ払った際に足を滑らせて川に落ちて溺死したと警察は結論付けた。

 

 それに、まだある。今、働いている美術館の元上司のジャンも自分に対して嫌がらせをしてきた。新人いびりかと思ったが、どうも自分の事が気に入らないらしい。だが、彼は暫くして家に強盗が入り、強盗と揉み合いになり何十箇所も刺されて3日後に死亡した。


 急に怖くなった。この<法則>が正しければ、自分に嫌がらせをした人間が死んでいくという事になる。きっと疲れているのだ。楽しかったとはいえ、1ヶ月もアジアを回ったので疲れているのだと思った。それにカトリーヌも先にフランスに帰ってしまったことが考えていたよりストレスになっていたのかもしれない。付き合ってからからずっと一緒にいたのだ。それに、カジヤマが死んだことにショックを受けたから、こんな馬鹿げた考えが頭に浮かんだんだ。そうに違いない。


 結局、昨晩は眠れなかった。冷房の効きが悪く汗まみれだった。キッチンに行くと誰もいなかった。甥も姪も姉夫婦も母もどこかに出掛けているらしい。何か食べようと冷蔵庫を見ると卵置きのトレーに卵が10個置いてあった。もし、あの<法則>が正しければ、車で轢いた奴も死んでいるはずだ。ご飯を食べるのを忘れて汗でベタベタした肌をシャワーで洗い流すと図書館に向かった。

 今ならスマフォやタブレットで簡単に調べられるが、当時そんな物は存在していなかった。インターネットを閲覧するにはパソコンが必要だった。パソコンの普及率も少なかった。やっとWindows95が出てきた頃だった。実家にはパソコンがなかった。あるとしたら図書館だ。

 自分の読みは当たっていた。図書館にはインターネットに繋がったパソコンがあった。IBMのディスクトップでディスプレイのフレームの淵に「1人30分まで」と書かれていた。席につくとInternet Explorerを起動した。

 まずは、あの2世議員からだ。彼の名前を打ち込むと、彼のホームページがヒットした。見てみると、今は政界から離れてタレントとしてワイドショーのコメンテイターとして働いているらしい。「政界の裏話」という本まで出してベストセラーになっていた。

 次に、2世議員の父親を調べた。今も現役で、総理大臣にはなれなかったが、農林大臣になっていた。党では相当な権力を持っているらしいと書かれていた。

 次は、あの車に同乗していたアイドルだ。彼女は今では女優として活躍し、映画、テレビドラマ、舞台、CMなどで引っ張りだこ。賞も沢山取っている。去年は香港の映画に出て現地で大人気になり、広東語のファンサイトまで出てきた。この3人はどう見ても順調そうだ。

 <法則>が出鱈目だったことに安心を覚えた。しかし、そんな法則を考えてしまった自分が恥ずかしい。それに、父の死に関与した3人が現役で働いている事に少し怒りを覚えた。だが、忘れよう。怒りからは何も生まれない。それに、疲れているだけだ。残りの時間。予定通りに、久しぶりの日本を満喫してフランスに帰る。それがいい。


 1週間後。姉夫婦と甥と姪と一緒にディズニーランドへ行った時の事だった。自分も姉もジェットコースターが嫌いで、園内にあるカフェでお茶でも飲む事にした。さしで話すのは数年ぶりだった。そういえば、そろそろ、父の命日だと思い出した。

「そろそろ父さんの命日だね」

「そうだね。あれから20年近く経つだね」

「今でもアノ事故のことが脳裏から離れないんだ」

「そうなの。カウンセリングとかしてないの?」

「そこまで酷くないよ。大丈夫」

「そう、でも、キツイ時はカウンセリングを受けなさいよ」

「わかった」

「私も、たまにキツくなって。だからカウンセリングに行くのよ」

「そうだったの?」きっと、あの事故を目撃して、母の恋人に自分以上に虐待をされていたに違いない。カウンセリングを受けるのも無理はない。

「姉さんの方が、年上だったからね。事故の事とか母親の恋人の虐待のこととか鮮明に覚えているんだろうね。大変だったね」

「あの母親の恋人の虐待も酷かったけど、父親の虐待の方がもっと酷かった。ねえ、覚えてる?」

 姉さんの話によると、父は、普段は温厚で優しかったがお酒が入ると暴れ回った。暴言を吐くのはまだ良い方で、母、姉さん、自分に暴力を振るっていたそうだ。

「だから正直、父さんが死んだ時少し安心した。だからお墓参りもしたくないのよ。できればね。だけどあれ以来、家はお金持ちになったでしょ?変な話だけど、あれって父さんなりの償いなんじゃないかと思うの」

「そんなに父さんの虐待は酷かったの?」

「え?覚えてないの?そういえば、まだ小さかったもんね」

 ゾッとした。父に虐待された記憶はないが、姉の云うことが本当なら、いや、姉がこの場に及んで嘘をつくはずがない。<法則>は、もしかして本当にあるのではないかと思うようになってきた。もし、本当なら自分に危害を加える者や嫌な奴だと思ったら、その人間は死ぬ事になる。怖くなった。生きている以上、嫌いな人間というのは必ず現れる。その度に人が死んでいく。いくら嫌な奴でも罪悪感でおかしくなるかもしれない。いや、こんなの全てこじつけだ。きっと、自分は疲れているだけだ。


 その後、父の墓参りも終わってすぐにフランスへ帰った。残りの日本の滞在中は、なるべく実家に居ないようにした。何かのキッカケで母、姉さん、姉の夫、甥、姪を嫌いになったり、攻撃を受けた場合<法則>が正しければ死ぬ事になる。できるだけ、日本にいる時は旅をした。上は北海道から、南は九州まで。旅をしている時は少し気が楽になった。食べて飲んでを繰り返したおかげでメンタルが安らいだ。そして、自分は妄想に取り憑かれているに違いないと思うようにした。フランスに帰ったらちゃんとした病院でカウンセリングを受けようと思った。今の不安定な気持ちがカウンセリングで楽になるんだとしたら、それに越したことはない。


 フランスに戻って半年後。<法則>の事などすっかり忘れていた。パリでカトリーヌと幸せな同棲生活を送っていた。朝は、いつも通りのクロワッサンとエスプレッソ。彼女はネコを飼いたいと言っている。そろそろ誕生日なので、誕生日に子猫をプレゼントしようと計画していた。なんの猫がが良いだろうか?アメリカンショートヘアが個人的には可愛いと思うが、どうだろうか。そんなことを考えながら職場に着いた。今日は、作者不明、屋敷の屋根裏から発掘された、おそらく16世紀に書かれた羊の油絵の修復作業だ。カビだらけで修復するのには時間がかかりそうだ。すると、モルガンが職場に現れた。腕時計をみると、30分も遅刻していた。

「おい、モルガン。遅刻だよ」と言った時、モルガンをみると頬がこけて、青白い肌をしていた。

「大丈夫か?モルガン?」

「大丈夫さ。何か昨日、食った物で当たったらしい。気持ち悪いが、仕事はできる」

「本当に大丈夫か?」

「ああ」すると、モルガンは急に倒れた。

 すぐに救急車を呼んだ。自分は付き添い人として彼と一緒に病院に行った。

 モルガンはベットに仰向けになって点滴を受けている。

 自分は医者と話した。

「モルガンさんは何か、ドラッグなどを摂取した可能性はありますか?」

「いいえ、彼はドラッグとは無縁な生活をしています」

 モルガンは自分より4歳年下だ。言い過ぎかもしれないが、彼に仕事を教えたのは自分だ。師匠と言っても過言ではない。彼は私生活でも親しくしている。お互いダブルデートしたり、暇な日は急にモルガンが予告なしに家に訪ねて来ては、テレビで映画を観たり、サッカー観戦をしている仲だ。ドラッグをやっている職員は確かにいるが、彼はドラッグを受け付けない体質らしく、以前行われたパーティーで勧められたマリファナを断ったくらいだ。

「では、モルガンさんは何か言っていませんでしたか?」

「そういえば、食べ物に当たったかもしれないと言っていました」

「なるほど。何を食べたかわかりますか?」

「そこまでは分かりません」

「そうですか。多分食中毒でしょう。経過観察ですね」

 それからモルガンは体調が良くなることはなかった。退院はしたが家で寝たきりになり休職を余儀なくされた。未だに原因も病名も不明だ。

 次におかしくなったのルイだ。ルイは同じく職場で倒れた。モルガンと同じく原因不明の病気だ。立て続けに2人も職場で倒れたこともあり職場を保健所が調査したが特に問題はなかった。

 ルイとも親しかったモルガンが自分の弟子だとしたら、ルイは自分の師匠にあたる人だ。1から丁寧に仕事を教えてもらい、誕生日には必ずプレゼントを貰った。彼の家族とも親しく一緒に定期的に彼の家でバーベキューをする仲だった。

 そこで気づいた。これは今までの<法則>の逆が起きているのではないかと。今までは自分の憎しみの対象が死んでいった。今度は逆に、自分が好意を持つ者が呪いにかかって死ぬのではないかと。きっと考えすぎだ。可能性は低いが人が同じ職場で2人も倒れるなんて、呪いに比べたらあり得る話だ。

 それに、もし、この<法則>が正しいのであれば最初にカトリーヌが体調を崩すはずだ。きっと勘違いだ。きっと。


 夕飯を食べてる時に恐れていた事態が起きた。カトリーヌが倒れた。モルガンやルイのように。病院に搬送されて、そのまま寝たきりになってしまった。幸いにも言葉は話せるが、前のような歯切れのいい物言いではなかった。もしかして<法則>は本当なのかもしれない。しかも、逆に親しい人が不幸になっていく。そうに違いない<法則>は実際にあって、それが何かのタイミングで逆になったに違いない。

 どうすれば良いのだろうか?何日もそのことを考えた。良い解決策が思いつかない。カウンセラーに、このことを話したとしても頭がおかしいと思われるのがオチだ。そうだ、距離を置いてみたら良いのではないか?そう考えた。

 確か、カジヤマが死んだ時の話を思い出した。自分はあの時、6月の頃は確かまだ日本にいたはずだ。きっと、距離の問題だ。気がつくと職場に電話をかけていた。1ヶ月ほど日本に帰らなくてはいけない用事ができた。と伝えていた。


 日本に帰国すると、少し気分が落ち着いた。親しい人たちが3人も立て続けに倒れた。そんな辛い状況から抜け出したかったのかもしれない。だが、馬鹿げているが<法則>のことが脳裏から離れない。実家に帰るのは懸命ではないと感じて都内の安いビジネスホテルに泊まった。

 帰国して2週間後、カトリーヌから電話があった。

「カトリーヌ、大丈夫かい?」

「大丈夫よ。もう平気」

「本当に?」

「今は全然なんともないわ。今日なんてジョギングしたんだから」

「よかった」

「それと、モルガンもルイも治ったのよ。私たち変な感染症にでもかかったかしら?」

「きっとそうかもしれないね」もしかして、本当に<法則>があったのかもしれないと思い始めて来た。

「それと、昨日あなたのお母さんから電話があったわよ」

「電話?でも、母さんはフランス語を話せないよ」

「私が簡単な英語で話したわ」そうだ。母は大学で英文学を学んでいたのを忘れていた。

「それでどうしたって?」

「あなた、日本で何してるの?家族に不幸があったと思っていたのに。何かあったの?」

「いや、その。それより母さんはなんだって」

「あなたが日本にいるて聞いてあなたの泊まっているホテルの住所を教えたわ」

「そうなのか」

「ところで、日本で何してるの?」

「いや、実はちょっと疲れてたんだ。カトリーヌ。3人も親しい人が倒れて。なんだか逃げたくなって。無責任だと思ったけどごめん」

「いいわよ。許してあげる。だから、早く帰って来て。職場には私がうまく言っておくから」

「うん、わかった。本当にごめん。身勝手で。本当なら君の隣で看病しなくちゃいけなかったのに」

「謝るんだったら、電話じゃなくて直接謝って。待ってるから」

「わかった。帰るよ」

 電話を切ってどうしようか迷った。距離を置く事によって<法則>が通用しなくなるのはよくわかった。だが、全て勘違いかもしれない。もし、帰ったら、今度はカトリーヌが死ぬかもしれない。でも、ただの偶然の重なりだとしたら?ただ、自分が考えすぎてできた妄想だとしたら?だが、きっと妄想に違いない。大体距離によって、この呪いのような<法則>が発動するなんて、ナンセンスだ。もう一度、パリに戻ろう。それで、<法則>が発動する兆しが見えたらどこかに逃げれば良い話だ。

 そんなことをあれこれ考えているうちにお腹が減り始めた。ホテルの近くに美味い豚骨ラーメン屋がある。そこのラーメンが急に食べたくなった。部屋を出てエレベーターで下に降りてエントランスを抜けて外に出ると、車道の向かい側に手を振る女がいた。遠いので一瞬誰だかわからなかったが、母親だ。そうだ、さっき電話でカトリーヌが言っていた。ホテルの住所を教えたと。それで心配になって来たのだと。

 信号が青になった歩道を母親が歩いて、こちらにやってくる。すると急に猛スピードで車が走って来て母を轢いた。母の体は宙を舞いまるでスローモーションのように見えた。それから、身体が灰色のアスファルトに直撃して赤く染めた。


 あの日から25年経つ。今はカナダのケベックに住んでいる。フランス語を喋る人が多いから言葉には困らないが訛りが強くてたまに苦労する。ケベックの山奥。周囲10キロ四方に民家はない。母が死んだ時、財産を姉さんと半分にした。東京の土地を売り今の家を買った。収入源は東京のマンション、アパートの家賃収入。食べ物は自給自足。畑を耕しジャガイモを育て、狩で鹿やウサギを捕える。極力人には会わないように、どうしても必要な時はインターネットの通販サイトで物を買う。もう、全ての人間関係を絶っている。

 母が死んだ時に<法則>は確実にあると感じた。これ以上、嫌な奴も良い人も自分のせいで死んでしまうのに耐えきれなかった。カトリーヌとは電話で別れを告げた。カトリーヌは泣いていたが仕方ない。自分のせいでカトリーヌが死ぬより1人で山小屋に篭っていた方が良い。

 だが、最近おかしなことが起きている。それは、この村に奇病が多発している。眠りから覚めない病気だ。これが自分のせいなのかどうかわからない。ネットの記事によるとまだ死者は出ていないそうだ。死者が出た時にどうしようかと悩んでいる。

 常に持ち歩いているコルトM1911。弾はホロウタイプ弾頭に火薬はホットロッド。そろそろ決断の時かもしれない。このまま生きていても仕方ない。自分が1人死ぬだけで眠り病が解決するのであれば仕方ないことだ。


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