アルカナ・石鹸・夜の百合
アルカナ・石鹸・夜の百合 1
家族葬のささやかな祭壇のまえには、清一の母親が棺に入っている。
地元の葬儀社の一部屋だ。
「おふくろ。いままで、ありがとう」
そう言って、清一はユリを母親の顔の横にそえた。
* *
午後の4時すぎ、柚木瑠香は喫茶店『蒼幻』でカフェオレを飲みながら、ノートPCを眺めていた。
1月になったばかりでまだ日が短く、ドアや窓から沁みるような西日が射しこみはじめている。
フリーのエンジニアの仕事をはじめてからしばらく経つが、まだ生活サイクルが定まらない。
瑠香が生徒兼アシスタントを務める占いの店『アルカナアイズ』はとなりにあるが、暇なときはこうして蒼幻で時間をつぶしている。
マスターは毛糸の帽子にメガネの、宗田という年配の男性だ。
コーヒーと木のにおいが満ちた店内にはいつも音楽がかかり、有線放送のときもあれば、レコードがかかっていることもある。
やがてドアベルが鳴って、くせっ毛に黒いジャケットの青年――凛都が入ってきた。
凛都は宗田にアメリカンコーヒーを注文すると、瑠香のとなりに座った。
ふわりと、ミントのにおいがした。
そのうちアメリカンコーヒーがくると、凛都はそれに手をつけず、いつものように十分に冷めるのを待っていた。
瑠香は凛都の横顔を見ながら、
「きょうは、予約は少なめですね」
「ああ。あとは夕方に1件だ」
「それで、食べていけるんですか?」
「生徒が、つまらないことを気にしなくていい。金に困ってはいない」
おそらく、政治家や経営者などの太客のことを言っているのだろう。
「もっと、ホームページとかで宣伝したほうがいいと思いますよ」
「いや、オレは、そういうのはよくわからないから」
「なので、そういうのは、わたしが得意なので……」
「いらない」
そう言って凛都は不機嫌そうに腕を組んだ。
そのとき、凛都のピアスが普段と違うことに気がついた。ヨーロッパの、ユリの紋章を象った銀のちいさなピアスをしていた。
「ユリに興味があるのか?」
「あの。……心を読まないでください」
「いや、心をコントロールするんだ。エンパスは、逆方向にもゆるい。思考が漏れやすいって、言ってるだろ」
瑠香は言い返そうとしたが、やめた。
凛都が相手だと、心の壁を作るのを忘れてしまうようだ。
「ユリはなにを象徴する?」
と、凛都は尋ねてきた。
「テストですか? そうですね。ユリは、潔白、純心を象徴します。特に白ユリは聖母マリアのアトリビュートです。ウェイト版タロットカードの、魔術師のカードなどに描かれています」
すると凛都は鼻で嗤って、やっとコーヒーに手を伸ばした。
瑠香はいらついたが、それすら見透かされそうで、深呼吸をして心を落ち着けた。
夕方の6時半に
瑠香は芹菜をテーブルへと案内した。
すでに凛都がいた。
「よ、よろしくお願いします」
と、芹菜はテーブルの向こうの凛都に言った。
凛都はうなずいて、
「こちらこそ、よろしく。ちなみに、こちらの女性――瑠香が見学のために、一緒に話を聞かせてもらうけど、いいね」
「はい。構いません」
「ところで、紹介で知ったんだっけ? ここのことは」
「ええ。知り合いに、占いに詳しい人がいて」
「そうかい。さて、きょうは、どういった相談かな?」
そこで芹菜は語りはじめた。
芹菜には半年ほど交際している、銀行に勤める彼氏がいた。
その名は三井清一といった。
芹菜は清一に対して、都内の会社で事務の仕事をしていると伝えていた。
しかし、それは嘘だった。
芹菜の母親が入院し、その手術の費用のため、200万円ほどを友人づてのある人物から借りた。
なんとか母親の体調は持ち直したが、金を借りた相手が悪く法外な金利を乗せられ、気がつくと借金がふくれあがった。
会社にも督促の連絡がくるようになり、会社も辞めた。
最後に芹菜はスマートフォンを取り出して、待ち受け画像にしている、2人が並んで映る写真を見せた。
相手の男――三井清一はいかにも真面目で、純粋そうだった。
「わたしはお金のために。……風俗の仕事をはじめました。でも、それが清一にバレてしまい」
「バレた?」
「ええ。清一たちが忘年会で新宿を歩いているとき、偶然、出勤するわたしと、鉢合わせてしまい……。風俗のお店の前で、ばったりと」
「そうか。それは、間が悪かったな」
「はい。清一さんには黙っていたので。バチがあたったんです。きっと」
「ところで、借金の相手は?」
「ええ。お金を借りてから知ったんですが。土井完二っていう、ヤクザみたいな人で……。夜の仕事も、土井さんに紹介してもらったんです」
「なるほど。いろいろわかった。それじゃ、やってみよう」
凛都は息を整えると目をつむり、右手のこぶしをゆるく握って額に当てた。
そして、なにかをつぶやいた。
瑠香は以前この仕草の意味について聞いたことがあったが、『よんでいるんだ』と言って、はぐらかされてしまった。
呼んでいる。喚んでいる。読んでいる。
いずれも近そうだが、わからなかった。
それから凛都はテーブルの脇のタロットカードの束を見た。
タロットカードの束は常に2組、テーブルの脇に積まれていた。
22枚の大アルカナのみの束と、小アルカナを含めた78枚の束だ。
大アルカナは、0番から21番までの、合計22枚があるカードの集まりだ。
一方で小アルカナは、トランプのように『
78枚すべてを使うことでより詳細に占うことができるが、内容によっては、意味のはっきりとした大アルカナのみを使うこともある。
また、凛都は『ライダー・ウェイト版』と呼ばれる種類のタロットカードを使っていた。
凛都は大アルカナの束をとって、シャッフルをはじめた。
やがて、1枚のカードを導き出した。
――それは、『
そこに現れたのは『審判』のカードだった。
最後の審判を告げるラッパを持った天使が空におり、埋葬された死者たちが目覚めるという構図だった。
凛都は人さし指でカードを示して、
「審判のときを迎える。罪人は相応の報いを与えられるだろう。いまはまだ、そのときを待つんだ」
瑠香は疑問に思った。
凛都にしては、あいまいな煙に巻くような言いざまだった。
芹菜が帰ったあと、瑠香は言った。
「さっきの、どういうつもりですか? あんなに苦労されて、困っていたのに。あんなあいまいな占いをして。らしくないですよ……」
「らしくない、か。そうかもな。それより、土井完二ってやつのこと、調べられるか?」
「え? どうしてですか?」
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