第19話 検問所1
エストロニア王国とランドール王国の国境には主要な検問所がいくつもある。その中でも、ポルタの検問所は魔物の出る森を抜けるなど交通の便が悪く、最も利用者が少ないといわれている。
ところが、一日に数組しか通らないはずのポルタの検問所に、数多くの冒険者パーティーが押しかけていた。
「はぁ、本当によかったのですか?」
「どうしたの? さっきから溜息ばかりついて」
そんな検閲の順番待ちをする冒険者パーティーたちの列に、ベルフェルミナとマリーが平然と紛れ込んでいる。
「どうもこうも、メイソン様のことですよ」
「いいのよ、ご迷惑ばかりかけていられないでしょ? 優しいお方だから、どこまでも面倒をみようとしてしまうわ」
「御迷惑だなんて思わないですよ」
「どうして、マリーにわかるの?」
「だって、メイソン様はお嬢様のことが好きなのですよ」
「――へっ? ええ~っ」
ボフッとベルフェルミナの頭から湯気が上がる。
「やはり、気づいていなかったようですね」
「う、うそよ。そんな、メイソン様がわたくしを? からかわないでちょうだい」
「お嬢様はメイソン様のことを、どう思っていらしたのですか?」
「ま、まあ、優しくて親切でカッコイイ方だなあと……」
ベルフェルミナの顔がみるみる赤くなっていく。
「今から追いかけますか?」
「もう遅いわ――じゃなくて、これでいいのよっ。マリーは少し黙ってて」
激しく後悔しているのか、天を仰いだままベルフェルミナは、気持ちの整理がつくまで一言も喋らなかった。
一時間後。
冷静な頭でようやく気付いた。
「……ねえ? マリー?」
「はい。なんでしょう」
「どう見ても、わたくしたち場違いじゃない?」
「まあ、こんな服装ですからね」
周りの眼など特に気にする様子もないマリーは、地味な色のスカートをつまんで広げてみせた。
「早く順番まわってこないかしら……」
一刻も早くこの場から去りたいベルフェルミナが声を潜める。目の前に並んでいるのは『戦士』『弓使い』『魔導師』『僧侶』という冒険者の見本のような四人組パーティーだ。しかも、よりにもよって幾つもの修羅場を乗り越えてきた熟練者が集うBランク冒険者のパーティーである。
「あら? あなたたちは、あそこに見える門で検閲を受けなきゃ。ここは冒険者用よ」
ベルフェルミナとマリーの存在に気づいてしまった女魔導師が、親切心で声をかけてきた。ジャラジャラと装飾品のついたとんがり帽子に、ざっくりと胸の開いたボディラインを強調する黒のローブ、背が高くスタイルも抜群である。二十代後半にしか出せないであろう大人の色気がムンムンと漂っていた。
「ご覧の通り、私たちは町娘に見えますが、あなた方と同じ冒険者なので、ご心配なく」
まるで、冒険者に町娘という職業があるかのように、毅然とした態度でマリーが返す。
「あっ、ごめんなさい。ひょっとして、クエスト中だったのかしら? でも、一般人になりすますのだったら、やはりここに並ばないほうが……」
要らぬ機転を利かせ、何かを察した女魔導師がチラチラと周囲に視線を配る。隠密活動のシーフならば、完璧な変装だと言わんばかりだ。
「いえ。町娘を装っているわけではなく、普段着なんですけど」
素っ気なくマリーが答える。
「えっ? よくわからないわ。武器や防具は鞄の中ってこと?」
「私たちは、そういう類のモノは持っておりません」
「ああ、わかったわ。私と同じ魔導師でしょ? 最近の若い子は杖やローブを装備しないのね」
「魔導師? ……まあ、そうなりますかね?」
自分は違うけれど、ベルフェルミナは魔法を使えるため、含みのある言い方になってしまった。
「装備なしでも魔物と戦えるものなのね。私には無理だわ」
「魔物に遭遇したことがないので、戦ったことはありません」
「じゃあ、遭遇してしまったら?」
「戦闘は苦手にしていますので、そういう場所には極力行かないようにしています」
小さく首を振り、マリーは肩を竦めた。
「あなたたち、よくギルドの試験を受けようと思ったわね。実技試験はある程度戦えないと合格できないはずよ」
唖然とする女魔導師の言葉に、ベルフェルミナとマリーが目を合わせる。やはり冒険者になるための試験はあるようだ。もし、試験を受けていれば筆記も実技も散々な結果であったに違いない。奇しくも、あの受付嬢のおかげでギルドカードが手に入ったといえよう。
「恥かしながら筆記試験が満点だったので、実技試験が全然ダメでもギリギリ合格できたのです。わたくしどものつまらない話よりも、お強そうな皆さんの武勇伝をぜひ聞きたいですわ。エストロニアではどのような魔物と戦っていたのですか?」
得意の慎ましい笑顔で誤魔化したベルフェルミナは、話題の矛先を女魔導師たちに向けた。
「私たちの武勇伝? そんな自慢するようなことはないけど、今は――そういえば、私たち名前も言っていなかったわね。私はエレーナ。エストロニア北部の出身よ」
「わざわざありがとうございます、エレーナ様。わたくしは王都近郊の町より旅をしております、ベルフェルミナと申します。そして、こちらは」
「マリーと申します。よろしくお願いいたします。エレーナ様」
冒険者同士では決して見られない丁寧な挨拶に、さすがのエレーナも少々困惑気味だ。
「え? ああ、よろしくね」
「あの、お連れの方たちは?」
いまだに後ろ姿しか見せない戦士、弓使い、僧侶の三人は、一般的に二十代で引退といわれる冒険者では珍しく、三十代後半に差しかかった男たちであった。彼らはベルフェルミナたち、若い女子との会話にも全く興味を示さないでいる。寡黙というより達観しているといったところだ。
「こいつらはいいのよ。戦いにしか興味無い戦闘バカだから。むさ苦しいパーティーに女ひとりだと話し相手がいなくてね、ほんとイヤになるわ」
「それは、たいへんですね」
心のこもったエレーナの愚痴に、ベルフェルミナとマリーも苦笑いするしかない。
「ああ、ごめんね。話を戻しましょうか。私たちはAランクに昇格するクエストを受けていたのだけれど、討伐対象のドラゴンがいなくなってしまったのよ」
「まあ、ドラゴンがいたのですか? 怖ろしいですわ」
両手を口もとに添えてベルフェルミナが青ざめる。しかし、瞬時にマリーは演技だと見破った。
「山の中を二日かけて探し回ったけれど見つからなくてね。諦めていたところ、ランドールに飛び立ったという情報を聞いて、今ここにいるわけなの」
「ワイバーンならともかく、ドラゴンが住処を離れるなんて珍しいこともあるのですね」
前世が同じ種族なだけに、ベルフェルミナはドラゴンの習性を熟知している。
「よく勉強しているのね。でも、それだけじゃないわ。おとといあたりから、いるはずの魔物が一斉に消えてしまったのよ」
「それなら、わたくしたちも知っています。森の中では全く魔物を見かけませんでした」
馬車の中でメイソンが『今回は大賢者ものんびりと旅ができそうだ』と言っていたのを思い出した。
「どうやら、それらの魔物たちも国境を越えてランドールに向かったらしいわ。ここに並んでいる冒険者たちは、ほとんどが私たちと同じ理由なのよ。みんな困っているわ」
「それは妙ですね。ランドールに美味しい餌でもあるのでしょうか?」
防壁を眺めながら、マリーが小首を傾げる。
「実を言うと、私はね。魔物たちは逃げたんじゃないかと思っているの。とてつもない力を持った何かから」
「まさか、魔王の誕生ですか? 子供の頃にお嬢様と絵本を読んだことがあります。伝説の勇者(どこかの国の王子)が魔王を倒し、捕らわれたお姫様を助けるのです。そして、ふたりは結婚して末永く幸せに……」
チラリと主人を見たマリーは、何やら妄想して喜んでいる。今度は伝説の勇者とベルフェルミナをくっつけようと目論んでいるようだ。
「…………」
しかし、ベルフェルミナは一点を見つめたまま、何の反応も示さない。実は、重大なことに気づいてしまったのだ。
思い出すのも難しい、まだ深淵の竜と呼ばれる以前のオルガだった頃。ひたすら戦いに明け暮れステータスは止めどなく成長していった。魔力が増していくにつれ、周囲から魔物たちが姿を消していったのを覚えている。オーラのように全身から溢れ出す禍々しく強大な魔力に、Sランクの魔物でさえ耐えられなかったのだ。初めは山ひとつ分だった。それが、二つ、三つと範囲が広くなり、やがて百キロにも及んでいった。その頃は魔物の気配を感じなくても、全く気にも留めなかった。むしろ、静かで心地良いとさえ思っていたのである。
「わたくしのせいかもしれません……」
消え入りそうな声で呟いたベルフェルミナは深々と頭を下げた。長く艶やかな黒髪がサラリと垂れる。
たくさんの冒険者だけでなく、その冒険者相手に商売をする人々にも多大な迷惑をかけているのだ。お金を失う不安や恐怖を知ったベルフェルミナは、責任を感じずにはいられなかった。
もちろん、エレーナは何のことやらさっぱりである。
「ちょっと、どうしたの? 具合でも悪いの? だいじょうぶ?」
「いえ。なんとかしますので……」
「そう、あまり無理をしてはダメよ。辛くなったら何も考えずゆっくり休みなさい。誰もあなたを責めたりしないわ」
「はい。ありがとうございます」
優しいエレーナの言葉に、ほんの僅かでも救われた気がした。この無意識に溢れ出てくる魔力を制御するには、安定した精神状態と時間が必要不可欠である。とはいうものの、できる限り急がなければならない。既に、ランドールでも魔物が姿を消しているはずだ。
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