第24話
「それから私は町田さんのデッサンを描いて、病室で2人で思い出話をして過ごしたの。凄く楽しい時間だった。これが最後になるなんて信じられないくらいに。」と緑川さんは言った。
「それでね、私がそろそろ帰るっていう時になって町田さんがこう言ったの。麗さん、きっとあなたはまだ真紀子さんのことを恨んでいるんだよね?って。私は突然全ての核心を突かれて、思わず息を飲んで固まってしまったの。」
「それで…緑川さんは何て答えたの?」と僕は尋ねた。
「私は何も言えなくて、ただゆっくりと頷いた。そうしたら町田さんは私に言ったの。あなたのお母さんは、間違いなく心を病んでいたんだと。だからあなたに対して、歪んだ愛情しか与える事が出来なかったんだって。」
緑川さんはそう言うと、力が抜けたようにほっとため息をついた。
「私はやっぱり何も言えなくて、町田さんのことをぎゅっと抱きしめて、その病室を出たの。町田さんが亡くなった事を知らされたのは、それから丁度一週間後のことだった。あの出来事から1年くらい、私は町田さんの言葉を信じることが出来ずに生きてきたの。母が私に与えたものが、例え歪んでいたにせよ愛情だったなんて思いたくなかったから。私にとってあれは、愛情なんかじゃなくて、ただの取り引きだったの。」と緑川さんは言った。
「取り引き?」と僕は少し驚いて言った。
「そう。私が望むような娘でいれば、褒めてあげるっていう、そういう関係。親子のはずなのに、凄くドライな関係だった。でもね、安田くんに自分の人生を洗いざらい話してみて、私ようやく気付いたの。あれが愛情だったのかそれとも取り引きだったのかなんて、この先一生考え続けても、答えが出ない問いなんだって。」
そう言うと緑川さんは、僕の両手をそっと握った。その手はとても白く、簡単に折れてしまいそうな程華奢だった。
「安田くん、私ね、言葉では伝えられない位に感謝してるの。あなたのおかげで私、自分の心の中にいる母と、色んなことを赦し合う必要があるんだって事がようやく分かったの。それは他の誰のためでもなくて、私自身のために。それが出来た時に初めて、私は前に進むことが出来るんだと思うの。」
そう言って緑川さんは僕の目を見つめた。彼女の瞳はどこまでも真っ直ぐで、僕は高校時代の緑川さんを思い出した。そうだ、彼女はあの頃、いつもこんな真っ直ぐな瞳をしていたんだ。
窓の外には、ひと筋の飛行機雲が伸びて行くのが見えた。暑い一日になることを予感させるような、気持ちの良い高原の朝がそこにはあった。
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