【短編版】世界樹の下で、君に誓う

それは一つの物語のエピローグ

　――貴女を守るよ、世界樹の名にかけて。

　初めて貴方と出会った日。

　口にしたその言葉を、私は絶対に忘れない。

■■■

「本当に行くの？」

　アスが感情を表に出すのは珍しいと私は思った。冷血王子と影で言われていた彼だ。そんなアスは、世界樹の勇者にして、ウィンチェスター王家の王位第一継承権をもつ。そして魔術と世界樹オタク。今思えば、それすら愛おしい。

　世界樹が朽ちかけていた。

　そのチカラを取り戻す方法は、魔術ではどうこうなるものじゃなかった。

　花を咲かせ、緑を増やし、空気を清浄化すること。妖精が住める土壌を作ること。古代技術を追い求め、戦争を繰り返してきた国々。その行いは、根底から間違っていたのだ。

　世界樹の花びらが風に揺れて舞い散る、

　桃色の花びら。

　それは、私がよく知っている桜。

　ソメイヨシノ。

　花びらは、大地に――万物のモノにふれた瞬間、まるで線香花火のように散っていた。

　氣（き）は空（くう）に還る。１３歳の時、こちらに呼ばれた私は、まるで意味が分からなかった。

　今もきっと分かっていない。

　八百万は、地に空に

　輪廻の鈴を鳴らす

　りん、鈴（りん）、麟（りん）

　まわるめぐるかわるふれる

　花びら果実そして種

　妖精達が歌う。私は銀の羽を見やる。本当にキミ達は綺麗だ。心の底からそう思う。羽根に光が反射して、虹を描く。

　『本当に帰っちゃうの？』

　鈴がなるように、妖精のアルまで囁く。銀粉を撒きながら。光がさらに乱反射して。まるで光が波紋をうつように煌めいて。それこそが、世界樹が活力ある証拠だった。

　私はコクンと頷いてみせる。

　未練はある。

　未練だらけ、だ。

（アス、ずるいよ）

　このタイミングで、そんな顔を見せるのズルいと思ってしまう。気落ちが揺れてしまうじゃないか。決めたのに。ちゃんと決意したのに――。

　雑音。

　あぁ、最後くらい思い出したくなかったのに。

　雑音。

　回廊ですれ違いざまに囁やかれた、あの言葉が忘れられない。

　――聖女様、おつとめご苦労様でしたな。後は、そう早急にお国にお帰り願いますか？　世継ぎの問題もあります。貴女が殿下のお隣で、王太子妃面（おうたいしひづら）をされるのは、非常に迷惑です。

　雑音。

　ざつおん。

　ザツオン。

　１３歳でこっちの世界に呼ばれて、今日１４歳になった。スマートフォンはあっという間にバッテリーが尽きて使えなくなって。

　生徒手帳のカレンダーに、丸をつけて。こちらのカレンダーとのズレを理解するのにも、とても役に立った。でも何より、私はこっちの世界の住人じゃないと、そう意識するのに、本当に役にたった。

　お父さんとお母さんを忘れないように。幼なじみの庚君を忘れないように――日本を忘れないように。

　アスは、王位継承権第一位。

　そして世界樹の勇者。

　彼は子どもを残さないといけない。

　妃は多ければ、多いほど良い。

　その血筋が何より問題だ。

　私にはよく分からないけれど「政治」って、こういうことなのだ。

　ここからは「政治」に価値がある子女が立たないと、国が沈む。

　分からない、分からない。

　私には、まるで分からない。

　でも住む世界が違う。

　それは分かる。

　だから、変な期待はしない。

　それで良い。

　私は背中を向けた。

　王子の顔を見るのが辛い。

　好きだったよ。

　本当に好きだったの。

　逃げ出したくて、仕方がなくて。

　実際、逃げ出す騎士さんもいるなかで、貴方は私の傍から離れなかった。

　私のワガママなんだ。

　他の子に甘い言葉を囁くアスを見たくない。

　ただ、それだけ。

　周囲の皆さんが許してくれたとしても、私が認められなかったの。ただ、私だけを見てほしかったから。

　あぁ、ダメだ。

　気付けば、涙が溢れてしまう。

「聖女様、そろそろ」

　お役人さんの言葉に誘われて、私は魔方陣の中央に立つ。

　色という色が溢れる。

「櫻っ！」

　アスが私の名前を呼ぶ。

　お願い、呼ばないで。

　これ以上、呼ばれたら未練が残る。

　私は、諦めたんだ。

　諦めることは得意だから。

　ちゃんと、諦めるから。

　ごうごうと風が吹く。

　アスが何を言っているのか、もう聞こえない。

　と、妖精アルが魔方陣の光をかいくぐって、私の腕にしがみついてきた。

「な、何を――」

　世界樹の勇者と世界樹の妖精は、共存すべき存在だ。世界樹に花を咲かせることが目的の聖女とは、根本的に役割が違う。

　アルが私に触れることで、回線が繋がる。

　必死にアスが、私に向かって語りかける。

　雑音。

　ザツオン。

　ざつお――。

　――貴方を守るよ、世界樹の名にかけて。

「ユグドラシルの樹の下で、僕は君に永遠の誓いをたてたんだ。忘れたなんて言わせないよ？」

　そうアスは言っていた。私は目を大きく見開く。

「愛して――」

　無情にも、そこで視界は暗転した。

　いつまでもいつまでも、アスの声が。

　私の耳の奥底で残響した。