第3話★当然の権利ですわ

1952年12月23日。エリー伯爵令嬢が人生の転機を迎えることになる二日前の夕刻。

壮大な屋敷内で、七歳のエリーは数人のメイドをしかりつけ、わめき散らし、金切り声をあげていた。

それに気付いたのは、エリーの母親。

同じく美しく艶やかな黒髪を揺らし、困ったように眉を潜めている。



「エリー、準備はまだなの。お父様がお待ちしているわ」


「だって、お母さま。メイドたちがいけないのよ。赤色がいいって言ったのに、メイドたちったら、赤色のものはドレスしか用意してなかったのよ。本当に使えないグズばっか、あり得ない。今すぐクビよ、クビにして」


「そんなこといって、この間、一斉解雇したばかりじゃないの。数日は我慢なさい。それより、この白色のリボンは?」


「いやよ。ダメなの。今日は赤色の気分なの。ドレスも靴もリボンも全部、赤色じゃないと、外には出ないんだから」



咲いた花を連想させる華やかな赤色のドレスに身を包んだ少女の名前は、紛れもなくエリー・マトラコフ。現マトラコフ伯爵四番目の末子であり、唯一の娘。

まだ七歳でありながら、艶やかに色めく黒髪と黒曜石を思わせる漆黒の瞳の魅力は、すでに名高い。かつて、魔女と呼ばれた世界屈指の大魔法使い『エリス』を連想させる美しさを持っているせいかもしれない。が、エリーは魔法を扱えない。

魔法そのものが活躍していた時代は遥か昔。今ではパク鉱石によって、エネルギー源の全ては供給が可能となっている。だから、王家とも関わりの深い有名な伯爵令嬢が魔法をつかえなくても、世間的には何の問題もなかった。



「せっかく王子様に会えるんだから、赤い色を身に付けたいの」


「まあ、エリーったら」



おませな娘の発言に、母親は微笑ましく眺めるだけ。周囲で右往左往走り回っているメイドたちには目もくれない。



「仕方ないわねぇ」



その一言はクビの合図。メイドたちはその言葉が吐かれる前に仕事をやり遂げなければならない。

それが日常。

マトラコフ家の末娘が世にも最悪なワガママ令嬢であることは、暗黙の認識として広まっている。

そんなワガママ令嬢が、いつも以上に目を輝かせ、興奮気味に気合いをいれる出来事はひとつしかない。

憧れの王子様に会えること。

毎年王宮で開かれる王侯貴族だけのパーティーに出席するため。12月の最終にあたる新月の夜、王家主催のパーティーには、エリー伯爵令嬢の二つ年上の第二王子が参加することになっている。



「アーノルド王子様の髪は燃えるように赤いの。その色をまといたいの」


「エリーお嬢様、赤い靴がございました」



椅子に座ったまま、うっとりと頬を赤らめて、王子の姿を思い描いていたエリーの元へ、どこからともなくやってきたメイドの手には、可愛らしい赤い靴。ようやく金切り声が収まるかと思いきや、エリーは目をつり上げて、メイドごとその小さな腕で凪払った。



「ふざけないで。それは去年の靴よ。この私に同じ靴を二度履かせるつもり!?」



耳がいたくなるほどの金切り声。

気高くも世間知らずな七歳に、周囲の空気は静まり返る。けれど、ここで優位なのは主人である令嬢であり、優先させるべきなのは、雇い主であるマトラコフ家が溺愛する娘、「エリーお嬢様」の発言。

間違っても、反論や反撃、反抗は許されない。



「お嬢様、申し訳ございません」


「すぐに別のものをご用意致します」


「当たったお手が赤くなっておりますので、すぐに主治医を」



他の屋敷よりも数段良い給金の理由。誰も続かないせいでつり上がった金額だが、残念ながら金欲しさに勤まるとは思えない。例え続けたとしても気紛れでクビになる。汚点をつけたくないからと、エリーが誕生して七年。マトラコフ家で働きたがる人材はゼロに等しい。

そんなわけで、現在勤めるメイドの大半は、あぶれものばかり。どこぞの貴族が手付けの女中に生ませた子や、隠し子、果ては身寄りのない娘。

ここを追い出されたら行き場がない。だからこそ必死に、エリーの機嫌を最優先にする。

小さな爪で自尊心を傷つけられても、相手は七歳。この悪夢のような数時間が終われば、小さな悪魔は夜会へと出掛けていくのだから、それまでの辛抱だと、誰もが唇を噛み締めていた。



「なによ、その顔。私に不満があるなら言いなさいよ」


「い、いえ。エリーお嬢様。わたくしは何も」


「去年の赤い靴を持ってきたのは誰なの。王族の前で恥をかかせるつもりだったなら容赦しないんだから」


「そんな、滅相もございません」



不機嫌の的にされれば、平謝りしてやり過ごす他ない。そうして、触らぬ神に祟りなし状態の緊迫した室内に、突如として打ちなさらされる扉の音がする。

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