氷の薔薇 〜心無し暗殺令嬢は婚約して愛を知る~

林 稟音

第1話 二人の暗殺者

 満月の夜。とある貴族屋敷の門を、若い男女がくぐった。門の前には、門兵と思わしき青年二人が倒れている。


 正面玄関を開き、堂々と館に入る二人。不自然に開いた扉に気付いた執事が、駆け足で様子を見に来た。


「なっ…何者だ⁉︎」


彼が発した言葉に目もくれず、何も言わぬまま少年は執事の喉元を切る。


「ごめんね、君に罪は無いんだけど。」


そう言って素通りすると、少年の背後で執事は血を噴き出し、ばたりと大きな音を立てて倒れた。


 何事も無かったかのように少年が少女の後を追うと、彼女はある部屋の前で待っていた。そこまでの廊下では、血を流した数人のメイドがあちらこちらに倒れている。


「行くわよ。」

「うん。」


部屋の扉を開けると、外の惨状にも気づかずすっかり気を抜いていたであろう中年太りの男性が二人を見て驚愕した。


「な…なんだお前達⁉︎」

「えーっと…ウェセックス子爵ですね?こんばんは。突然ですが、貴方のお命を頂きに来ました。」

「何⁉︎」


 嬉々として恐ろしい事を口走る少年に、男性は怯えた視線を向ける。普通ならば本気だとは思わないだろうが、彼らは実際に音もなく自室までやって来た。そして手に持っているのは、血であかく濡れたナイフ。それはこの場に味方は居ない事を示しており、自身に迫る危機を察するには十分であった。


貴方あなた、帝国とつるんでますよね?今は膠着状態とはいえ、正式な同盟も無い国に我が国の情報を横流しした。違いますか?」

「なっ、何を馬鹿な…。」


虚勢をはるものの、その声は震えている。


「ご存じでしょうけど、立派な反逆行為です。殺されたって文句は言えないですよね?」

「ち、違う!反逆だなんて、そんな…。私はただ、この国の為に!」

「それなら、今帝国に訪問なさっている王太子殿下の暗殺でも企んでいたんですか?外国で身罷みまかられれば、いくらでも事実は捻じ曲げられますからね。貴方は第二王子派だ。絶好の機会ですね。」

「とんでもない!王太子殿下の暗殺なんて…。」

「とぼけたって無駄ですよ。貴方が今まで何度も王太子殿下のお命を狙ったことは調べがついている。」

「…頼む、命だけは助けてくれ!」


反論できずに命乞いを始めた子爵に、少年はハハッ、と声を出して笑う。


「どうせ僕達が殺さなくたって、貴方は公に裁かれる。それが面倒だから、陛下は僕達に貴方の暗殺を命じられたんです。貴方だって、さらし者になるのは嫌でしょう?」

「何…陛下だと…⁉︎」

「あ。」


口元に手を当てて大袈裟なリアクションを取る。


「言っちゃった。」

「こら、余計な事を口走らないように。」

「ごめん。でもこれで、殺さなきゃいけない理由が出来たね。」


少年はニコッと微笑み、再び子爵に視線を戻す。


「お前達、まさか陛下直属の…⁉︎」

「正解ー。ってことで、お国の為に死んでください。」


少年が言葉を切ると同時に、少女の刃が子爵の喉を斬り裂いた。子爵はその場に倒れ、二人を瞳に映す。


「ウェ……リ…。」


辛うじて発した声が声にならないまま息絶えた子爵を、二人は見下ろす。


「さて、念の為…。」


少年は自分のナイフで、息絶えたと見られる子爵の胸を深く刺した。


「さぁ、帰ろうか姉さん。」

「えぇ。」


脈も測って子爵の死亡を確認すると、胸ポケットから人工的に染めた真っ黒な薔薇を取り出し、刺さったナイフのそばに置いた。翌朝には調べに来るであろう兵士に事件の揉み消しを指示する、決まった合図である。


「いや〜、うっかりうっかり。陛下の名前を出しちゃうなんて。」

「どうせわざとなのでしょ?悪趣味なんだから。」

「えへっ、バレた?」

「さぁ、帰るわよ。門番は殺していないのだし。」

「もちろん。彼らには子爵を発見してもらわないと。」


 二人は軽い身のこなしで、その館を去ったのであった。



 夜の街を抜け、二人は別の屋敷に辿り着いた。表を回って裏の塀から入ると、そのまま建物の方へ進んでいく。すると、屋敷の裏口の扉が勝手に開き、中からメイドが一人出て来た。


「おかえりなさいませ。」


メイドはこうべを垂れ、二人を迎える。二人は返り血がべったり付いた黒いローブと顔を隠していた黒布を脱ぎ、そのメイドに渡す。すると、脱いだ先から白く美しい顔が姿を現した。


「あー、疲れた。」

「湯浴みの準備が整っております。」

「やったー。ま、僕は血が付いたまま寝ても気にしないけどね。」

「シーツが汚れるわ。」

「固まってるから大丈夫でしょ。それより、今日の標的ターゲット、僕達の正体に気づいてたよね?ちょっと遊びすぎたかな?」

「確かに、今日の貴方は楽しみすぎていたかも知れないわね。」

「やっぱり?久しぶりだったからテンション上がったんだよね〜!」


少年は満面の笑みを浮かべる。それを見た少女は一つため息を吐いて、まとめていた髪を解いた。長い銀色の髪が、月の光を浴びて輝く。


「別に構わないわ。どうせ皆消してしまうのだから。」

「ふふっ、姉さんならそう言うと思ったよ。」


 少年は笑って、中に入った姉の後に続く。最後に入ったメイドは、裏口の扉を静かに閉めた。

 その扉に描かれているのは、薔薇。この国の有力な貴族、ウェルズリー家の紋章である。



 ウェルズリー辺境伯家。代々国境を任されている、武人の家系である。そして、この家には別の顔があった。

 王家直属の暗殺者一家。それがウェルズリー家の裏の顔であり、その家に生まれた者は一様に暗殺者として育てられる。


 今の二人、姉のクリスティーナと弟のアラン。もちろん彼等もまた同様に、生まれながらの暗殺者であった。



 これは、血に汚れて人の心を忘れた暗殺者が、恋を知るお話。


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