まぁ海といえばスイカだろう

「………………」

「……おはよう」

「……一応聞いておくんだけど、今何時?」

「……十六時手前」



 目が覚めると周囲にいたはずの人たちの数がだいぶ減っており、また水平線に太陽が近づいていた。まだ明るいから夕方とは到底言えない。けれども、決して昼とは形容できないくらいの時間帯だった。



 寝ぼけ眼をこすりながら起き上がった雪花は、やはりぼんやりとした視線をあたりに散策させて、間もなく状況を理解したのか目を見開く。普通「目が零れそうな」という表現は瞳の大きさを褒め称えるものであるが、彼女の場合は腐り落ちるのでは、などの切迫した危機感を感じさせる表現だ。



「……かなり寝たわね」

「寝てしまったね」

「…………どうする、まだ遊ぶ?」

「いいんじゃないかな」



 疲れたし。体も乾いたし。

 寝る前にシャワーを浴びていなかったから塩が気持ち悪い。今すぐシャワーを浴びたいくらいだ。海に飛び込むには体力的にも精神的にも気力が足りない。



 どうやら雪花も同じ気持ちになっていたようで、鼻の稜線に付着した塩の粒を指先で払いながら、やけに響くため息をついた。



「何でこう締まらないのかしら」



 せっかくの夏休みなのに。初めての海なのに。勇気を出して遊びに誘ったのに。お姉ちゃんに嘘をついてまでお忍びで来たのに。

 彼女は未だ寝ぼけているのか思考をそのまま口に出しているようだ。俺は紳士なので、プライバシーに関する発言は表面上だけのものをさらって、その意味を理解しないことに努めているが。つまり何を言っているかわからない。



「とりあえず帰ろうか」

「……そうね。全身が気持ち悪いし」

「すぐそこにシャワーがあるらしいよ」



 ビーチマットやらを片付けて、ふらふらと歩いている――よほど眠たいのか何らかのショックを受けているのか――雪花の背を追いながら、俺はとあることを考えていた。大したことではない。ただ、多少無理矢理な導入ではあったものの、遊びに誘ってきてくれた彼女のことを思えば、このままシームレスに帰宅するのも面白くないと思ったのだ。



 自分もさっとシャワーを浴びて着替える。女子の入浴(入浴ではないが)は長いという定説通り、雪花はまだ出てきていなかった。



「……ふむ」



 まぁ、このあたりは知らない場所ではない。

 海水浴のためにこそ来ないものの、何度か足は運んでいる。

 ならばいくらか宛はあるということだ。



 相手が化け物であろうとも礼節に欠けるのはよろしくない。親しき仲にも礼儀あり。円滑な人間関係を構築するためには、受け取ってばかりではなく自分からも何か行動するのが大事なのだ。知らんけど。



 ということで、俺は雪花が出てくる前に目的の場所に足を進めたのであった。



















「ちょっと化野」

「ん」

「どこに行ってたの?」

「雉撃ち」



 片手に袋をぶら下げて返ってくると、すでに髪も乾かしたらしい雪花が、壁に背を預けながら腕を組んでいた。こちらの姿が見えるまでは迷子になった子どものようにオロオロとしていたが、自分を認識した途端、自信満々そうな表情を取り戻した。正直ちょっと面白い。



「それにしたって長すぎじゃない? 私、十分くらい待ってたんだけど」

「遠くにあってね。ほら海だから」



 彼女の質問を適当に躱しつつ、自然な流れで帰宅ルートに持っていく。鍛え上げた技術には流石の雪花も違和感を抱かなかったようで、唇を尖らせてはいるが素直についてきた。



 紳士ムーブを存分に発揮して彼女の荷物を受け取りつつ、代わりに俺が持っていた袋を渡す。



「……なにこれ」

「飲み物。喉乾かない?」

「乾く」



 雪花には服を選んでもらったという恩もあるし、海に誘ってもらったという恩もある。飲み物の一つや二つくらい奢るのなんて訳無い。あと自分も飲みたかったし。



「一本あげるよ」

「え、本当? ありがと」



 つぶやきながら彼女が袋から取り出したのは、プラスチック製の丸い蓋がついた、同じくプラスチック製のコップ。蓋には太い――太すぎると言ってもいいくらいに太いストローが刺さっている。おそらくタピオカだとかを飲む以外に用途がないであろうストローだ。これはタピオカではないが。



 要するにスイカジュースである。

 たまたま近くに売っている店があったから買いに行ったのだ。



「……ありがと」

「そんな何回もお礼を言われることじゃ」

「私が言いたいから言ってるの」

「あ、そう?」



 怖い。

 雪花がこんなに素直なのが怖い。

 俺の中の彼女は『何よこれスイカジュース!? ゾンビだからって血が好きなわけじゃないわよ! 吸血鬼と一緒にしないで! 同じアンデッドだけど!』みたいな発言をして殴ってくる。間違っても色づき始めた日差しを頬に受けて、はにかみながら感謝など向けてこない。



「熱とかある?」

「ない」



 雪花は自身の赤くなった顔を――勿論日差しのせいだろうが――隠すように、こちらに背を向けて容器を胸に抱く。その状態で俺も容器を受け取って、やはり太すぎるストローを咥えた。吸いづらい。



 もしかすると、これはタピオカミルクティーの残骸なのかもしれない。今思えばあの店は流行りの商品がたくさんあった。中には当然タピオカも。この太いストローは消費量の減ったストローを流用したものである可能性がある。



「そう思わない?」

「思わない」

「そう……」



 一刀両断。

 清風明月。

 柳暗花明。



 彼女のあまりに速すぎる返答に俺は凹んだ。

 嘘だけど。

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