第35話◆ きゃっち

「良くやったロラン!」


 どたどたと万引き犯を追いかけていた肉屋のおやっさんが、少女の手から骨付き肉を奪い取る。


「さあ、覚悟しろ! これまでの分はお前の体でしっかり払ってもらうからな!」


 物騒なことを言いはじめたが、借金を返せない者は売られて奴隷になるしかない。特に若い女子供は高く売れる。

 この娘も数日後には奴隷商の競売に掛けられるのだろう。


 俺に腰を掴まれた少女は獣のように歯をむき出して肉屋のおやっさんを威嚇している。


 本当にこれでいいのだろうかと、クエストを受けたことに加えて、腹をすかせた子供を捕まえたことに対する後悔の念が押し寄せてきた。

 たかだか30プラタ……、されど30プラタ……。現在、無給教師の俺には喉から手が出るほどの報酬だ。アパルトメントにはお腹を空かせたイノリが待っている。


「さあ、ロラン、この縄でこいつの手足をふん縛るぞ!」


 あら縄を解き始めたおやっさんに俺は、「いや、この子は違うんだ」と告げた。


「あん? なんだと?」


くだんの万引き犯じゃない。この子は俺の知り合いの子どもで……、えーと、さっき肉を買ってきてくれって買い物を頼んだんだ。しかしお金を渡すのを忘れちまってさ」


 下手くそな言い訳に、おやっさんは呆れ顔で俺を睨む。


「おいロラン……、こいつを庇うつもりか? そんなことしても無駄だぞ、どうせまた同じことを繰り返すんだ。せっかく捕まえたんだ、とっとと奴隷商にうっぱらっちまった方がいいに決まってる!」


「まあまあ、そう言わずに今回はこれで見逃してくれ」


 そう言ってポケットから取り出した数枚の銀貨をおやっさんに握らせると、彼は深い溜め息をついて「このお人好しが……」と小声で漏らした。


「お前がそう言うならそういうことにしといてやる……。だが次にそいつが盗みを働きやがったら組合に引き渡すからな。お前が責任をもってしっかり見張るんだぞ、わかったな!」


「ああ、恩に着るよ」


 ふんすと息巻いておやっさんは踵を返して帰っていった。

 俺に拘束されている少女も、ふんすと息巻いて「感謝なんかしないんだからね」とそっぽを向いた。


 奴隷商に売られそうになっていたにも関わらず、肝が座った態度に思わず苦笑してしまう。


「別に感謝しなくてもいい。腹減ってんだろ? なんか食うか?」


「恩を着せようったって無駄よ。あたしをどうするつもり? どうせえっちな事が目的なんでしょ?」


「そ、そんなつもりはないよ」


「あたしの体が目的なんだって正直に言いなさいよ! この変態!!」

 

 息巻く少女のお腹がぐぅぅと鳴り、その振動が手を介して伝わってきた。


「……」

「……」


 俺たちの間になんとも言えない空気が流れ、周囲の視線も気になりはじめる。


「えーと……。キミ何歳?」


「さあ、知らないわ」


「知らないかぁ……」


 自分の誕生日を知らない彼女は生後間もなく親を失ったか、親に捨てられた孤児のようだ。


「名前は?」


 彼女は仏頂面で俺を見上げて、「……アルカナよ」と呟いた。


 ん? アルカナ? この辺りでは聞かない珍しい名前だな。しかしどこかで聞いた名前だ、どこだっけ?


「逃げないから……いい加減もう降ろしてくれない?」


「あ、ああ……」


 俺は言われた通り彼女を開放した。逃げたら逃げたでいいかと思っていたが、地に足を着けた彼女は本当に逃げ出さず、俺の前に留まっている。


「なあ、アルカナ。泊まるところはあるのか?」


「ないわよ」


「だよなぁ……。じゃあしょうがねぇ、うちに来るか?」


 俺がそう言うと彼女はフードに収まる端整な顔をひどく歪めて、「はあ? キモ……」と蔑んできた。


 


 ――その後、俺はアルカナとふたりでアパルトメントまでの帰路を歩いている。


「キモ……」に続いて罵詈雑言のそしりを浴びるかと思っていたら、なんとアルカナは「あんたがどうしてもって言うなら行ってあげる」と俺の提案を受け入れて、大人しく付いてきたのだ。


 軽い気持ちで『うちに来るか』なんて言ったものの、さすがに俺の部屋に泊める訳にはいかない。ならばイノリに事情を話して、しばらく彼女の部屋に泊めてもらうことしよう。その後のことはアルカナが落ち着いたら考えよう。

 きっとイノリなら分かってくれるはずだ。



 アパルトメントに到着した俺は、学校から戻ってきているであろうイノリの部屋のドアをノックした。

「はーい」という返事と同時に、ニコニコ笑顔のイノリがドアを開ける。


「ロランさん、今日もお疲れ様でした。いつもより遅かったですね」


「ちょっとハプニングがあってな」


「ハプニング?」とイノリは首を傾げた。


「あー、実は訳あって彼女をしばらくイノリの部屋に泊めさせてもらえないかな?」


「彼女?」


 俺は俺の後ろに隠れている万引き犯の少女をイノリに紹介すると、アルカナは空気を読んですっと顔を出した――その瞬間、アルカナの「えっ?」と息を吞む音が聞こえて来た。


「ちょっと待ってよ……あ、あんたって……もしかして……」


「へ?」


「魔法少女シャイニーピンク!!」


 アルカナの声にイノリの眼がギョッと見開かれた。 


「魔法少女シャイニーピンク?」


 俺がオウム返した直後、イノリが「わーーーーーッ!!」と大声で叫んだ。


「なーにーもーきこえなーーーーーーーーい!!! ていうかなぜその名を!? あなたは誰なんですか!?」


「この顔を忘れたとは言わせないわよ」


 アルカナは自らの頭を覆っていたフードを取り去る。

 少女の素顔が白日の下にさらされ、そこから現れたのは燃え上がるような真紅の髪と瞳。そして彼女の顔を見たイノリもまた息を呑んだ。


「あ……、あなたは……、《オラクル》四天王アルカナ=エンペリウス!?」



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