第8話◆ これからのこと

「……悔しいです」


 そう呟いたイノリは口を真一文字に結んだ。

 悔しさと怒りと悲しみがブレンドした複雑な表情をしている。本当に悔しいそうだ。

 しかし、悔しがれるのは悪いことではない。

 負けたくないという気持ちを取り戻せたということは、初めて会ったときに失っていた自信を取り戻せたようだ。

 

「なぁに、気にすることはない。嬢ちゃんならあんな奴らすぐに見返せるさ。今夜は旨い物でも食べて忘れよう、パーティ結成祝いだ」


「でも……、その、お金が……」


「心配するな、こう見えて俺にはそれなりに貯金がある」


 胸を叩く俺を見つめるイノリの目はまだ迷っている。

 再び彼女が「でも」と言い出す前に「嬢ちゃんの生活が安定してきたら今度は驕ってくれ」と告げた。



 彼女を連れて俺は大衆酒場よりも少しグレードの高いレストランにやってきた。客層のほとんどが小金持ちの商人や安定した稼ぎのある熟練冒険者だ。チンピラみたいな冒険者がいないここなら落ち着いて食事を取ることができる。

 いつもの猫鍋亭を悪く言う訳ではないが、あそこは年頃の少女がいる場所としてはふさわしくない。

 

 ところ狭しと運ばれてきた料理をイノリはキラキラした瞳で見つめている。俺が「さあ、食べよう」と言うと彼女の掌を合わせて「いただきます」と言った。

 その所作は彼女の国の儀式なのかもしれない。

 俺も真似して「いただきます」と言うと彼女は微笑んだ。


 幸せそうな彼女を見ているとこっちまで温かい気持ちになってくる。

 もし俺に娘がいたらこんな感じなのだろう。


 彼女が訳アリだということは最初から分かっていた。気になるのはどこで寝て起きて何を食べているのか普段の生活だ。

 

「なあ、嬢ちゃん、言いたくなかったら言わなくてもいいが、今までその……、飯とか宿とかどうしていたんだ?」


「橋の下で何日か過ごしました」


 彼女は意外にもあっけらかんと言ってのけた。

 初夏ということもあって夜はそこまで冷え込まない。だからといって危険なことには変わりない。夜は野犬もいるし、人攫いの悪党だってウロウロしている。


「橋の下か……」


「でも身に着けていた物が売れたので、それでご飯を買ってギルドの登録料を払って、飛び込みでクエストに参加させてもらって、しばらくしてパーティに入れてもらうことができました」


「確か今まで五つのパーティに所属していたそうだな」


 イノリはこくりと頷いた。


「最初の頃は運よく私の出番が来ることはなくて、パーティメンバーとして随行すれば報酬を得ることができました。でも、それも長くは続きませんでした。即座に魔法が使えないと分かるとパーティから追い出されました。それの繰り返しです。役に立たないのだから仕方ないですよね……」


 彼女の声のトーンが落ちていく。


「《紅き鮫》の人たちは、何も聞かず二つ返事でパーティに入れてくれました。あのときは本当に嬉しかったです。でも、きっと彼らは私の噂を知っていて、からかうつもりで入れたんだと思います……」


「そうか……。でも、結果的にそれでよかったんだ」


「よかった?」


 イノリは首をひねる。


「いくらパーティに加わっているからといって、知識も経験もないのに迷宮に潜るなんて自殺行為だ。今まで嬢ちゃんは運が良かったんだ。本当ならとっくに死んでいたかもしれない」


 俺は口調を強めて彼女をたしなめる。


「はい……、それは今ならよく分かります。あの、ロランさん……」


「なんだい?」


「……どうして、こんなに親切にしてくれるんですか? いまだって私のことを思って叱ってくれます」

 

 困っている少女がいたから手助けをした、俺は当たり前のことをしただけだ。明確な動機があるとすれば、かつての自分と重なったからだろう。


「俺もそうだった。駆け出しの頃に先輩の冒険者が付き添ってくれて育ててもらったんだ。それを今度は嬢ちゃんに返しているだけだよ。だから嬢ちゃんも一端の冒険者になったときに困っている新人がいたら助けてやってくれ」


「が、がんばります」


「とりあえず、嬢ちゃんが冒険者として稼げるようになるまでは面倒をみるつもりだ。もちろん嬢ちゃんのあの魔法はアテにさせてもらうぜ」


「はい、ロランさん、優しくしてくれてありがとうございます。それとこれからもよろしくお願いします!」


 イノリは微笑んだ。

 その笑顔がとても眩しかった。




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