第5話 友達 (1)
転校してきた週の木曜日。神原さんの撮影と俺のバイトの都合がついので、放課後に作戦会議をすることになった。
喫茶店で俺はブレンドコーヒーとシュガートースト、神原さんはクリーム多めのクリームソーダにふわ生地パンケーキを注文した。
注文を終えると、神原さんは席を外すと言ってトイレに向かい、しばらくして注文が全て届き終わった頃に帰って来た。そしてさらりと重大なことを口にする。
「今電話してきて『Light-moon』の読モ辞めることになったから、よろしく」
「えっもう辞めたの?」
なんと神原さんは事務所を退所したと言うのだ。
「ぐだってたら余計に辞めずらくなるわ。こう言う時はキッパリとするのがプロよ」
神原さんは3段に重ねられたスフレパンケーキにドロドロと蜂蜜を掛け流しながらそう言った。
「モデルって体型管理が大事なのにそんな食べて大丈夫?」
「いいのよ。たまには自分にご褒美をあげないとね」
神原さんが事務所を辞めた選択は尊重するけど、いくらなんでも早すぎる。
そっちのマネージャーとちゃんと話したのか疑問だ。
「そっちのマネージャーは引き留めなかったの?」
「読モなんてアマチュアだからとか言って舐められてるのよ。話しててイラッとしたから無理矢理辞めてきたわ。……んーっ肩の荷が降りてせいせいする」
猫のように背筋を伸ばす神原さん。
体が傾けば、彼女の制服もずれて、その決して控えめとは言い難い胸のラインと白くすべらかで引き締まったお腹が露わになる。
当然、思春期にある男子の目がその隙を見逃すはずがない。
「やっぱり大きいと肩凝るのかな?」
「なによ急に」
「いや、胸の話」
「……っ! 見るなバカ!」
神原さんは無自覚だった。
よくそれでモデルやれてるよ。
「神原さんも夏菜みたいにモデル事務所に所属するつもり?」
「まあそうなるわね。何件かお誘いのメールを受けていたから。それにどっかの誰かさんのおかげで話題性もあるからね」
神原さんは「誰かさん」のところで、あからさまに俺へ視線を送った。
「う、それについては申し訳ありません」
俺は俯きがちになって、苦いコーヒーを啜った。
「申し訳ないと思うなら誠意を見せて貰わないとね」
「なにが欲しいの? 夏菜の弱点とか?」
「なによそれ! 今すぐに教えなさい!」
神原さんは夏菜の弱点に食いついてきた。
異性にも関わらず、密着するように迫ってくる。
ヘアオイルの良い香りがした。
やっぱこう見るとモデルなだけあって可愛いなと思ってしまう。
「夏菜はいつも澄ましてる顔してるけど、実はめっちゃすぐりに弱いんだ」
「なるほど。……って、どう活用するのよ!」
「今度会った時にでもやってみたら?」
「嫌よ! なんで初対面の相手、しかもあの神崎夏菜をくすぐらないといけないの!?」
「夏菜と会ったことないの?」
今までの流れ的にもうバチバチの関係だと思ってたので意外だ。
「会ったことは何回もあるけど……直接話したことない。事務的な話しすらないし……そのぉ、プライベートでなんて声かけたらいいかわからなかったし……」
なんとなくそんな予感はしていたけど、神原さんはドがつくほどコミュニケーションが苦手だった。
「そんな陽キャっぽい恰好でコミュ症なんだ」
「うっさい!」
強い猫科を彷彿とさせる雰囲気を出しといて、中身は子猫並みのビビリだった。
「よく俺に話しかけられたね」
「牧は初めて会った時から私より弱そうだったからね。身体能力的にも社会的にも」
「初対面から失礼だな!」
サバンナでも生きていけそうなほどの三下っぷりだ。
「……あ、そろそろ帰らないと。スーパーのタイムセールに間に合わない」
ふと時間を確認すると、午後六時。
外の街路に植えられたソメイヨシノに夕日が差し込んでいる。人通りも部活帰りの学生や早帰のサラリーマンが多くなってきた。
「会計は俺が持つよ。迷惑かけたのはこっちだし」
「まだ話は始まってすらないわよ!」
伝票を持って席を立つ俺の制服の袖を神原さんは掴んで引き留めた。
でも悪いけど、答えは決まっている。
「俺はてんで機械ものはダメなんだ。当然ながら編集技術もないし、パソコンのキーボードも授業以外で触ったことない。だから神原さんの動画投稿には協力できない」
情報の授業でよくパソコンをフリーズさせる生徒いるよね。それが俺だ。
授業の一環でExcelを扱ったりするけど、俺は毎回、先生の指示に遅れている。
パワポも画像をただ貼り付けた不細工なものしか作れない。
「牧は名前を貸してくれるだけで良いの!」
「それってなにかの連帯保証人?」
語感から胡散臭さが伝わってくる。
「動画で牧の名前を出すだけよ! あと……その、名目上の話、なんだけど、彼氏として扱っていいかってこと」
「俺が神原さんの彼氏?」
「だって仕方ないでしょ! 神崎夏菜に勝つためには今の騒動を利用した動画で話題性を作らないといけないのよ! ……そのためなら私は恋人だろうがなんだって演じてやるわ」
神原さんはよほど申し出が恥ずかしかったのか、後半は尻すぼみになりながらなんとか金切り声を絞り出した。
喫茶店を出て、架線の影が差し込む線路脇の道路。
住んでいる地区も違う俺たちは、漫然とした足取りで駅へと向かっていた。
「牧は私と恋人になるの、そんなに嫌?」
「それは……いや、んん、!」
俺は痰が絡まったような声を出した。
もし俺が(仮)でも彼女を作ったら、本当に夏菜との繋がりが断ち切れてしまいそうな気がする。
「……少し考えさせてくれない?」
我ながら厚かましい申し出だ。
駅に着いても俺は返答することができずに、うじうじと悩んでいた。
「私も今すぐになんて言わないわ。だから今日のうちにこれを渡しておく」
神原さんはそう言うと、名刺っぽい紙を渡してきた。
渡してきたというか、半ば強引に押し付けられた。
「それ私の連絡先だから! 心が決まったら、……決まってなくても! いつでも電話して!」
顔を真っ赤にして逃げるように改札を走り抜けていく神原さんはどこかやり遂げた顔をしていた。
「……神原さんも不器用だよね。そんなことくらい最初に言えば良かったのに」
俺は転校して初めて出来た「友達」の後ろ姿を見送ると、改札を抜けて別のホームへ行った。
◇◇◇
乗り換えで降りた駅は人でごった返しになっていた。
懐かしい制服もちらほら見える。
転校しても住所は変わっていないから、こうして転校前にいた茅橋高校の生徒とかち合うのも必然だ。
部活帰りの男子グループが大声ではしゃいでるのを傍目に俺は電車を待っていた。
ふと自分の制服を見る。彼らとは違う。
この制服を着ているのはこのホームでは俺だけだった。
さっきまで神原さんと一緒にいただけに寂しさが積もっていく。
地面に視線をやっているといつか消えてしまいそうな気がして、俺は辺りをゆるく見渡した。
「あっ」
思わず声が漏れる。
学生やサラリーマンがぎちぎちに詰まっているような場所でも、褪せることなく存在感をあらわしている人物がいた。
今や世間で大注目のモデル——神崎夏菜だ。
「あ」
夏菜もこちらに気づいたみたいだ。
「牧君。久しぶり」
「お、お、……え、ああ……うん」
約二か月ぶりの挨拶はぎこちないものに終わった。
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