第49話

DTS法第23条 国、自治体はT-RFIDを用いて画像、音声、移動経路、行動履歴に関するデータを集約して収集、使用してはならない。ただし、警察官が犯罪捜査のために行う場合はこの限りではない。


DTS法第23条の規定は、犯罪捜査の効率化に画期的な影響を与えた。この法令は、警察が犯罪捜査のためにT-RFIDを用いて画像、音声、移動経路、行動履歴といったデータを集約し収集することを許可している。

窃盗や強盗などの犯罪が発生した場合、警察はT-RFIDを利用して犯人の行動履歴を即座に収集できる。これにより、従来は数日かかった捜査時間を大幅に短縮することが可能となり、犯罪者の逮捕率が大きく向上した。

この法令の導入により、警察は犯罪に対する迅速な対応を可能とし、その結果、社会全体の治安維持に大きく寄与している。


それは一見すると当たり前のことで、だからこそ目を逸らされがちだった。鄭二寿の犯行当日の行動履歴をたどる時、T-RFIDを用いて情報収集すれば良いという事実。


確かに鄭二寿はT-RFIDデバイスを持っていなかった。だから、T-RFIDデバイスによって行動をたどることはできない。しかし、現代社会に生きる人々はほぼ全員がそのデバイスを持っている。そのため、「T-RFIDデバイスを持っていない人」を検索すれば、どんなに大勢の人々がいても一瞬で特定できるはずだ。


ある程度経験のある刑事ならば、それくらいのことは気が付く。しかし、今回の事件の捜査に当たった石川遼太郎をはじめとする刑事たちは、その手法を思いつかなかった。

それは、偶然では説明できない。若手で経験のないメンバーや、専門外のメンバー、そう言った者達が意図的に選ばれたとしか思えない。

メンバーを選んだのかはすぐに判明する。菅原康平である。


菅原康平は、警察内でも上層部の重鎮で、その影響力は広範に及んでいた。その彼が斉藤一郎防衛大臣と非常に親しい関係にあるという事実は、高橋の興味を引いた。斉藤防衛大臣は13年前、DTS法の導入を強力に推進した政治家であった。その彼の動きは、国内外のメディアからも注目を浴びていた。


斉藤防衛大臣の推進によりDTS法が導入されると、警察の捜査手法は劇的に変化した。T-RFIDの使用により、犯罪者の行動を追跡することが容易となり、それに伴い犯罪の検挙率は大きく高まった。その結果、警察の地位は一段と高まり、それまでとは比べ物にならないほどの発言力を手に入れることとなった。


しかし、その一方で、DTS法は警察の権限を拡大するものであり、その導入は個人のプライバシーに対する懸念を引き起こした。そのため、法律の導入と共に、その適用範囲や制約についての議論も活発に行われていた。そして、その議論の中心にいたのが、菅原康平と斉藤一郎防衛大臣だったのだ。


斉藤防衛大臣は、秘書の山本真琴を介して菅原康平に何かを頼んだらしい。その事実は警察内部の人間から得た情報で、その信憑性は高かった。そして、その後に組織された捜査チームのメンバー選びの不自然さに、多くの警察官が疑問を感じていた。


「あの人選は、斉藤防衛大臣の意向によるものだ」と特捜部の佐藤智也は言い切った。彼の声は重々しく、その中には抑えきれない怒りが含まれていた。他のメンバーも同じ意見で、その顔には同じような怒りとともに疑問が浮かんでいた。彼らが感じていたのは、それぞれの能力を無視した不自然な人選が、何か大きな目的を持って行われた可能性があるということだ。そして、その背後に斉藤防衛大臣がいるという疑念だった。


鄭二寿の犯行が中華連邦の指示によるものだったとの警察発表がなされた際にも、斉藤防衛大臣の影があった。斉藤防衛大臣の記者会見はその直後だった。彼が振り絞った声で、中華連邦の関与を指摘し、公に非難したのだ。


高橋直哉は、そのニュースを観ていた時の記憶が蘇る。その時、彼の心の中で何かが鳴り響いた。それは先輩の野口の言葉だった。

「直哉、警察の仕事は真実を見つけることだ。政治家の言葉は信じるな。自分の目と耳で確かめろ。」


その言葉が心の中で鳴り響き、高橋の意識を現実に引き戻した。彼は深く呼吸をし、目の前の情報を冷静に分析し始めた。それは彼が真実を見つけるための第一歩だった。


高橋直哉は斉藤防衛大臣の情報を徹底的に調べ始めた。斉藤大臣には、政界でも囁かれている暗い噂が多くあった。

まず、彼が政界入りする前のキャリアだ。斉藤大臣はかつて大手建設会社の役員をしていたが、その頃に起こった大規模な建設不祥事。彼の名前は公式には決して出なかったが、暗に彼が関与したとの噂が広まっていた。

次に、政界入り後の彼の行動。自身の選挙区での土地開発計画があった際、その裏で様々な利益誘導が行われていたとの声があった。特定の建設会社が優遇され、その会社が斉藤大臣の選挙資金を大量に供給していたという。

そして、彼の政治姿勢。積極的な国防政策を掲げる一方で、自衛隊の装備品調達に関わる様々な取引で、特定の防衛関連企業が優遇されていた。そうした事実から、彼と防衛産業との癒着を疑う声が絶えず、特に防衛予算の増額を主導したことから、彼の行動は一部から疑問視されていた。


高橋直哉は、斉藤防衛大臣の秘書、山本真琴についての情報も集め始めた。真琴は、斉藤防衛大臣が政界入りしたときからずっと側に仕えている、言わば影のような存在だった。

真琴は、斉藤防衛大臣の元で働く前は、大手広告会社に所属し、その才能と美貌で頭角を現していた。しかし、斉藤大臣が政界入りする際にスカウトされ、そのまま彼の側についている。

真琴の役割は大きかった。彼女は斉藤大臣のスケジュール管理はもちろんのこと、重要なミーティングの準備、さらには時には政策の企画までを手掛けていた。その姿は、ただの秘書を超え、まるで影のような右腕と言える存在だった。

真琴は斉藤大臣の信任が厚く、彼の意向を的確に汲み取り、行動する能力に長けていた。しかし、それは同時に彼女が斉藤大臣の全てを知る、唯一無二の存在であることを意味していた。そのため、真琴の行動や彼女を通じた斉藤大臣の意向は、そのまま斉藤大臣自身の動きと受け取ることができる。


高橋直哉は、斉藤防衛大臣の功績についての情報を詳細に調べた。DTS法の導入による犯罪検挙率の上昇や犯罪数の激減は確かにその評価を高める一因だったが、それだけではない。斉藤大臣は、それ以外にもさまざまな功績を上げていた。

まず、彼は自衛隊の装備の近代化に力を入れた。新型の戦闘機や無人機の導入、情報収集能力の向上など、自衛隊の戦闘力を一段と高めるためのさまざまな取り組みを行ってきた。

また、自衛隊の海外派遣についても積極的で、国際社会への貢献を強く訴えてきた。その結果、自衛隊は国連平和維持活動(PKO)などに多く参加し、国際社会からの評価を高めてきた。

さらに、国内においては災害時の自衛隊の活動に力を注いできた。自衛隊の災害派遣を迅速かつ効率的に行うための制度改革を進め、その結果、自衛隊は数々の自然災害で迅速な対応を行い、被災者の救援に貢献してきた。


高橋は、斉藤大臣と黒いうわさのある建設会社"石田建設"について調べる。石田建設は、一見すると普通の大手建設会社だ。しかしながら、様々な都市開発プロジェクトや政府のインフラ整備プロジェクトに関与していた。


一部のメディアでは、石田建設が政府からの便宜を図り、不適切な利益を得ていたとの報道があった。それらはいずれも確固たる証拠を持っていなかったが、それでも石田建設と政府との間に何かしらの繋がりがあることは間違いなさそうだった。


斉藤大臣と石田建設の繋がりを探るため、高橋は斉藤大臣の公的な記録やスケジュール、会見の録画などをチェックし始めた。その結果、斉藤大臣が石田建設の社長と何度も接触していることを突き止めた。しかし、それだけでは不適切な行為を裏付けるには不十分だった。

高橋は、石田建設の内部情報を調査するため、会社の元従業員や業界関係者に接触を試みた。しかし、石田建設についての情報は極めて限られていた。元従業員たちは口を固く閉ざし、業界関係者も詳細を語ることはなかった。それどころか、高橋が調査を進めるにつれて、彼自身が不審者としてマークされている気配すら感じた。


そんな中、高橋の手には意外な情報が入ってきた。それは、斉藤大臣の秘書、山本真琴がかつて石田建設で働いていたという事実だった。

この新たな情報は、高橋の調査に新たな道筋を示すこととなった。耳に入ってきたのは、石田建設がかつて手がけた一つの大型プロジェクトの噂だった。それはDTS法施行後に全国規模で行われた、T-RFIDリーダー設置プロジェクトだった。このプロジェクトは斉藤大臣が推進し、石田建設が施工を手がけたという。

このプロジェクトに山本真琴が関わっていた。

膨大な数のデータと文書を前に、高橋は徹底的に警察とT-RFID、斉藤大臣、そして石田建設の間にある繋がりを調査した。資料室、ライブラリ、インターネット、過去の新聞記事。手に入れられるあらゆる情報源を利用し、彼はその複雑なパズルのピースを一つずつ組み合わせていった。


彼が辿り着いた結論は、一見すると驚愕するほど単純だった。警察が全国的にT-RFIDを導入したのは、斉藤大臣の強力な推進があったからだ。斉藤大臣はDTS法を通じてT-RFIDの普及を後押しし、その結果、全国的なT-RFIDの普及が実現した。

そして、その普及に一役買ったのが石田建設だった。彼らは全国規模でT-RFIDリーダーの設置を行う巨大なプロジェクトを手掛け、施工を成功させた。その結果、斉藤は大きな功績をあげ、石田建設は巨額の利益を得ることができた。

また、斉藤大臣の秘書である山本真琴が石田建設で何を学び、どのように斉藤大臣と繋がりを持つようになったのかは未だ不明だが、彼女が中心的な役割を果たしている可能性は高い。

それぞれが別々の方向から動き、それぞれが異なる目的を持って行動していたかのように見えるが、彼らの行動は全て一つの目的に向かって結実していた。それはT-RFIDの全国的な普及、そしてその結果としての警察の強化だった。


そして、調査はついに、一枚の古い新聞切り抜きに至った。それは石田建設がT-RFIDリーダーの全国設置プロジェクトを契約したことを報じたものだ。その記事の中には斉藤大臣のコメントも掲載されていたが、それは事実上の形式的なもので、特に新たな情報を提供するものではなかった。


しかし、その記事の写真には、斉藤大臣と石田建設の幹部たちが握手を交わしている様子が写っていた。その中には山本真琴の姿もあった。

さらに高橋が注意深くその写真を見つめていると、背景にある一部分が彼の目を引いた。それは、斉藤大臣と山本真琴の間にある部分、二人の間に立っている一人の男だった。

その男の顔ははっきりとは見えないが、その身体の形状、立ち姿、そして何よりもその男が着ている時計。そのすべてが高橋が最初に見たあの男、鄭二寿と一致した。鄭二寿が事件当日につけていた時計と、新聞切り抜きの男が着ていた時計は同じであった。


これは偶然ではない、と高橋は確信した。鄭二寿は斉藤大臣と山本真琴、そして石田建設と何らかの繋がりを持っていた。そしてその証拠がこの新聞切り抜きだった。

高橋は首相官邸襲撃後の新聞切り抜きに目を通す。そこには斉藤大臣の言葉とその行動が細かく報道されていた。襲撃の前後、あらゆる記事が彼の意図を示していた。首相官邸襲撃は、斉藤大臣による自作自演だったのだ。その証拠となる記事が彼の前に広がっていた。

すぐに石川遼太郎に連絡を取り、事の経緯と結論を伝えた。彼の声は冷静だったが、その中には確信が混ざっていた。


次に高橋は警務部に連絡を取った。彼は冷静に、しかし力強く事実を伝えた。「捜査チームメンバーの選出に不自然さがあります。それは斉藤大臣の意向によるものです。」彼の言葉は重く、しかし必要な事実を伝えることには適していた。警務部からの返答は簡潔だった。「了解しました、引き続き調査を進めてください。」

高橋はひとまず一息ついた。しかし、彼の目にはまた最後の謎が残っている。その真相を解き明かすために、彼は再び調査に取り組むことを決意した。

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