第17章

113,絶対的勝利

 ……今回の襲撃は、王国を揺るがす大事件になった。

 戦時中ですら、この国の王都は戦火に見舞われたことがなかったのだ。

 王国の歴史に、この事件は重大な出来事として刻まれるだろう。それこそ、80年前のブルーノ暗殺事件に次ぐ――いや、それ超えるほどの出来事だったと言える。

 アサナトスの襲撃は本当に用意周到だった。

 途中までは、この襲撃は本当にうまくいっていた。それはもちろん、マルコシアスの知謀に依るところが大きかったが……まるで事が進んだかのようですらあった。

 だが、誰も運命などという言葉を心の底から信じてなどいない。

 故に、多くの人間は、この襲撃があまりにも上手くいきすぎていることに対して疑問を抱いた。

 そして、誰もがこう思った。

 アサナトスを手引きしたが王都いるのではないか――と。

 たまたま防備が手薄になっていたハンブルク砦が襲撃され、アサナトスが防衛網を突破したことを、誰もが不自然なことだと感じたのだ。

 それはただマルコシアスの知謀がそれだけ優れていたというだけの話でしかなかったのだが、多くの人間はそう思わなかった。魔族ごときにそんな知略があるとは考えなかったのだ。

 そこへ、とある〝異端者〟の情報が一気に駆け巡った。

 街中で目撃された〝異端者〟の素性は、あっという間に明らかになった。

 城門から突入してきたアサナトスの戦士たちが全て討伐された段階で、この事件にはいちおうの決着がついていたが……その日の夜にはもう、の名前が明らかになっていたのだ。

 もちろん、真実はそうではない。

 今回の襲撃が恐ろしいほど上手くいったのは、マルコシアスの知謀が優れていたこと、そして人間側が単に自滅しただけのことで、それ以上でもなければそれ以下でもなかった。例え〝何か〟の意志が働いていたのだとしても、結果としてはそれが全てだ。

 だが……人間たちはそうは思わなかった。

 エリカ・エインワーズ。

 その名前は、この事件を手引きした〝異端者〟の名前として、すでに王国の中を駆け巡っていた。

 そして――第二王子シャノン・アシュクロフトには、その協力者なのではないかという疑いがかけられていた。

 防衛機密などの情報も、王子であれば難なく入手可能だ。シャノンが王子の権限で入手した情報を、〝異端者〟であるエリカ・エインワーズに渡していて、それが今回の襲撃に利用されたのではないか、という憶測が流れていた。

 現在、二人は行方不明だ。

 最後に目撃されたのは、アサナトスの襲撃で王都内が混乱している時だった。

 そのタイミングで、二人は王都から脱出したのだ。

 それはどう考えても、客観的に見れば二人がアサナトスと繋がっているという証拠としか思えない行動だった。

 誰の目にも、そうとしか見えなかった。

 彼らが本当は何をしようとしていたかなど、誰も知りはしない。知りようもない。

 憶測は、もはや事実のように王国中を駆け巡っていた。

 


 μβψ


「はははははッ!! 馬鹿め、シャノンッ!! 俺が何をするまでもなく、勝手に自滅しやがったッ!! ひはははははッ!!」

 ウォルターはあまりの歓喜に、狂うほどの哄笑を上げていた。

 これほど愉快なことはなかった。

 何でも良いから難癖をつけて異端審問にかけてやろうと思っていたら、勝手に〝異端者〟と共に自滅したのだ。

 今回のことは、わざわざウォルターが裏で手を回す必要すらなかった。

 エリカ・エインワーズが〝異端者〟だと判明した時点で、当の本人と行方不明になったシャノンが協力者なのではないか――と疑われるのはただの必定だった。

 シャノンが入れ込んでいたという女が街中で魔法を使い、を行っていたことはもはや揺るぎない事実だ。目撃者は大勢いる。証拠をでっち上げる必要もなかった。

 他にも、エリカ・エインワーズと見られる女により、街中で直接襲われたという被害者もいる。その場に騎士団も出くわしている。目撃された〝異端者〟の情報は、どちらも合致している。

 そう、証拠はいくらでもあった。

 今回の事件による被害者は、襲撃の規模に比べるとあまりに少なかった。

 死者は200人ほど、負傷者は合わせて1000人ほどだ。あれだけの大規模襲撃がこの程度の被害で済んだのは、むしろ奇跡的なことである。それに王国の中枢には特に被害はなかったため、ウォルターにとっては何も被害はなかったにも等しい。壊れた城門と砲台は修理させればいいだけだ。

 もし仮にアサナトスの計画が全てうまくいっていれば……それこそ、数万という単位の死者が出ていたはずで、王国の中枢にも少なからず被害は出ていただろう。

 そうならなかったのは、騎竜兵への対処が早かったからに他ならない。それは今のところ全てテディの功績となっているが、、真実を知る者は一人もいなかった。もちろん、人知れず人命を救った存在がいたことも、誰も知らない。

 ウォルターは相変わらず散らかった部屋の中で、上機嫌な様子で椅子に踏ん反り返っていた。

「もうこれで俺の邪魔者は誰もいない。この国は――完全に俺のものだ」

 その姿は、まるで玉座にでも座っているかのようだった。

「ウォルター殿下、ヘルムートでございます」

 部屋にノックの音が響く。

 ヘルムートだ。さきほど、ウォルターが呼びつけたのだ。

「来たか。入れ」

「はっ、失礼致します」

 ヘルムートは恭しく頭を垂れながら入室してきた。散らかったままの部屋には触れず、真っ先に用件を尋ねた。

「ウォルター殿下、御用件とは何でございましょう?」

「ヘルムート、すぐに王都の外に出てシャノンと〝異端者〟の女を捜してこい」

「は? え? すぐに、ですか?」

「そうだ」

「すぐにと申しますと……えっと、これから今すぐに、ということでしょうか?」

「それ以外に何があるというのだ? さっさと行ってこい」

 ウォルターは当然という顔で言い切った。

 ヘルムートは少し焦った顔を見せた。

「お、お待ちくださいウォルター殿下。今すぐにというのは、その……さすがに危険ではないでしょうか? まだ外にはアサナトスの残党がどこかに隠れ潜んでいるかもしれません。大軍であれば魔力探知機にも引っかかりますが、一匹や二匹では探査もできませんし……」

「ふむ……それで?」

「え?」

 ウォルターは立ち上がり、きょとん――としているヘルムートの目の前に立った。

「ならば貴様に一つ問うが……いまここで俺に殺されるのと、外で魔族に殺されるのと、どっちがいい? 選ばせてやる」

「――」

 ヘルムートは思わず悲鳴を上げそうになった。

 ウォルターの目は完全に据わっていて、とても冗談を言っている様子はなかったからだ。

 命令を断れば殺される――と、ヘルムートは本気でそう思った。

 慌てて直立不動となる。

「はっ、畏まりましたッ!! すぐに部下を連れて捜索に出て参りますッ!! 見つけ次第捕らえ、すぐに殿下の前はお連れしますッ!!」

「いや、捕らえる必要などない。

「……は? く、首だけ?」

「そうだ。死んでいるならそれでいいし、生きていたら殺せ。俺が欲しいのはそいつらの首だけだ」

「その……よろしいのですか? 今回の件は異端審問が必要な案件と思われますが……」

「異端審問の必要などない。すでに多くの人間が、この事件はエリカとかいう〝異端者〟が手引きしたものだと思っているのだ。そして、それに協力したのがあの愚かな第二王子シャノン・アシュクロフトである――とな。多少の情報操作はしたが、まぁその必要もなかったかもしれないな。であれば、下手に生きて証言などされたらむしろ厄介だ。死んでくれている方が都合がよい」

「な、なるほど……」

「分かったなら、何があっても必ず二人の首を持ってこい。いいか? もしそいつらの首を持って帰ってこられなければ――代わりに俺が貴様の首を撥ね飛ばしてやる」

 ぎろり、とウォルターはヘルムートを睨みつけた。

「は、はいいぃぃッ!! 異端審問会の総力を上げて、すぐに捜索に向かいますッ!!」

 ヘルムートは慌てて部屋を飛び出して行った。

 それを見送ってから、ウォルターはにやりを嗤った。

「どれ、騎士団の連中が余計なことをする前に根回ししておくか――」

 ……このまま、あの二人を始末することができれば、ウォルターは労せずして全てを手に入れることができるだろう。

 この時点では、そうなるのはもはや決定的で――すでに、時間の問題だった。

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