127,贖罪
全てを話し終えると、ヴァージルはその場にうずくまって涙を流していた。
「ごめん、ミオ……ッ! オレは、オレは前世でお前のことを、この手で殺してしまった……ッ! どんな理由があったって、その事実だけは変わらない……ごめん、本当にごめん……許してくれなんて、都合の良いことは言わない……ッ! おれを許せないと言うなら、今この場で、オレのことを殺してくれ――」
掠れる声で言葉を吐き出し、まるで懇願するように額を地面に擦りつけていた。
そこには王子としての威厳も――かつて〝勇者〟と呼ばれていた男の尊厳も、何もあったものではなかった。
どこまでも無様で、本当に哀れだった。
その姿に、わたしの胸は締め付けられた。
この時、ようやくわたしは理解したのだ。
こいつが前世のことを、どれほど悔いていたのかということを。
わたし自身は最後に愛する者に殺されて、それがむしろ救いだった。
ヴァージルの手で殺され、全てから解放される。
あの時の死は、本当に、わたしにとってはむしろ救いだったのだ。
……だが、こいつは違った。
こいつは、自分の手でわたしを殺めてしまったことをずっと悔いていた。
その悔いを胸に抱いたまま、その後も生き続けた。
……ああ、わたしはなんと愚かだったのだろうか。
あまりの情けなさに、わたしは本当に自分で自分を許すことができなかった。
ヴァージルがこんなに苦しんでいるのはわたしのせいだ。
わたしが〝責任〟を放り出したからだ。
あの時、わたしは逃げることしか考えていなかった。目の前の争いから逃げることだけを考えていた。
だけど、こいつは……わたしが放り出した〝責任〟も、全て背負って、そのまま生きて苦しみ続けたのだ。
「……ヴァージル、顔を上げてくれ」
「え?」
ヴァージルが顔を上げる。
その顔を涙でぐちゃぐちゃだった。
わたしは左手を伸ばして、涙で濡れた頬にそっと触れる。わずかに残った手先の感覚から、ヴァージルの悲しみが伝わってくる。それはわたしが感じる自分自身の痛みより、ずっとわたしの心に痛みを感じさせた。
……こいつを〝許す〟なんて
むしろ断罪されるべきはわたしなのだ。
けれど、こいつがわたしに許されることを望んでいるというのであれば――わたしは、そうしなければならない。
こいつを許すことが出来るのは、世界でただ一人。
わたしだけなのだから。
わたしは、ヴァージルに向かって微笑んだ。
昔、そうしていたように。
「ヴァージル、わたしはお前のことを恨んだことなんて一度もないよ」
「……で、でも、おれはお前の喉をこの手で突き刺したんだ。痛かっただろ? 苦しかっただろ?」
「さて、どうだったかな……そんな些細なこと、もう覚えてないよ。わたしが覚えているのは、ヴァージルとたくさん遊んだ楽しい思い出だけだから」
「……ミオ」
「なぁ、覚えてるか? 森に遊びに行ったらワイバーンが出てきてわたしがそれを追い払ったり、わたしが虫を拾ってそれでお前を追い回したり、怪我をしてる泣いてるお前の怪我を治してやったりさ」
「覚えてる、もちろん覚えてる」
涙を流しながら、ヴァージルは何度も頷く。
涙が流れる度、わたしは指先でそれをそっと拭っていく。
「あの丘で約束した時のことも、昨日のことみたいに、わたしは覚えてる」
「おれもだ。おれも覚えてる」
「あの頃は本当に楽しかった。あの頃の日々は、いまもわたしの中で黄金色に輝いている」
錆びて色褪せていたはずの気持ちが、かつての輝きを取り戻していくのが自分でも分かった。
楽しかった日々と、ヴァージルを好きだったあの頃の純粋な気持ちが、まるであの当時のままよみがえってきた。
……どうしてずっと、今まではっきりと分からなかったのだろう。
だって、どこからどう見ても、こいつはヴァージルじゃないか。
確かに前世と容姿は違う。
でも、それでも、こいつは間違いなく――わたしがかつて好きになった男の子だったのだ。
子供のように
だから、わたしは〝ミオ〟として、その言葉を口にする。
「いいんだよ、ヴァージル。お前は何も悪いことなんてしていないんだから。謝る必要なんてないんだ。それでもお前がそう思うなら、わたしが全部許してあげる。だから、もういいんだよ」
「――」
ヴァージルの目が見開かれる。
震えた唇からわずかに声が漏れる。
「……許して、くれるのか? こんなオレを」
「うん。もちろん」
わたしが頷くと、ヴァージルは顔をくしゃりと歪めて、そのままわたしの膝に泣きついてきた。
「ごめん、ごめんよ……ッ! ごめん、ごめん――」
「うん、うん……大丈夫だよ。気が済むまで泣いていいから。ずっと一緒にいてあげるから」
ヴァージルはわたしに縋り付いて、本当にみっともなく泣き続けた。その姿は本当に子供みたいだった。
わたしはそんな彼の頭を、ただずっと撫で続けた。
昔に戻ったみたいに――
μβψ
やがて泣き疲れたヴァージルは、そのままわたしの膝の上でうとうととし始めていた。
これまで張り詰めていたものが緩んだのだろう。
それにかなり疲労も溜まっているはずだ。
だから、わたしのかけた魔法はすぐに効果を現し始めていた。
「……なぁ、ミオ。このまま、二人でどこかに逃げよう」
まどろんだ表情で、ヴァージルはうつらうつらと言葉を口にする。
わたしはそれに、静かに言葉を返す。
「どこかって、どこに?」
「どこでもいい。こんな国から離れて、二人で静かに暮らそう。それで昔みたいに、二人で手を繋いで、森を駆け回るんだ」
「はは、それはいいな……うん、そうしよう。わたしも、そうしたい」
「本当か?」
「ああ。でも、その前に少し休もう。色々あって、疲れただろう?」
「うん……そうだね……ちょっと、疲れたかな……」
いつの間にか焚き火も消えていて、外は明るくなり始めていた。雨も止んでいて、静かな森の息づかいだけがひっそりと聞こえてくる。
「ミオ……一緒に……今度はオレが絶対に守るから――」
やがて、ヴァージルは静かに寝息を立て始めた。
よほど疲れていたようだ。
……本当に、わたしは〝昔〟に戻ったような感覚だった。
この何でもない、些細な瞬間こそが幸せだったのだとつくづく思う。
あの頃は、こんな幸せで溢れていた。
あまりに些細で、子供だった頃は気付かなかった。でも、あの頃に感じていた言葉にできない気持ち――あれこそが幸せと呼べるものだったのだ。
ヴァージルの頭を撫でていると、手の上に涙が落ちた。
わたしの涙だった。
「……すまぬ、ヴァージル。すまぬ――」
……本当に、自分が情けなかった。
愚かで情けない。
こんなのが〝王〟だったのか思うと、本当にわたしは情けなかった。
わたしが〝責任〟を放り出して逃げた後も、こいつはずっと戦っていたのだ。
マルコシアスだってそうだ。
生き残った者達は、その後もずっと戦っていた。
なのに、わたしは……わたしは、死ねることを喜んだ。
自ら死を受け入れた。
そのことを、本当に感謝してしまった。
情けない。
あまりに、本当に、情けない。
出来るならば今すぐにでも死んでしまいたい。
あの〝影〟も言っていたではないか。
わたしは呪われているのだ。
わたしは存在するだけで周囲を不幸にしてしまう。
わたしなど、存在すべきではない。
存在することすら許されない。
……だが、こんなわたしでも、この命にはまだ使い道がある。
「……ヴァージル、安心して眠れ。起きる頃には、全部終わっているからな」
ヴァージルの額に軽く口づけをする。
それから、わたしはヴァージルが起きないよう、そっと立ち上がった。
「お前には眠りの魔法をかけた。丸一日は起きないだろう。その間、せめて良い夢を見ていてくれ」
わたしは一人で洞窟を出た。
すぐ近くの木陰に、シャノンの
わたしの姿を見ると、なぜか近寄ってきた。
わたしは軽く
「……あいつが目を覚ましたら、よろしく頼むぞ。王都まで連れて帰ってやってくれ」
「ブヒヒン」
まるで返事するみたいに鳴き声を出した。
その場から離れ、森へと入っていく。
……いる。
実はかなり前から、森の中にいる複数の気配に気付いていた。かなりの人数だ。
我々を探しているのだろう。
山狩りというやつだ。
「……知っている気配もあるな。わざわざ探しに来てくれたということか……ちょうどいい。どれ、探す手間を省いてやるとするか」
足を引きずって歩き出す。
ヴァージルと二人でどこかに逃げる。
それはわたしにとっても魅力的な提案だった。
わたしも、このままずっと、あいつと二人で一緒にいたい。死ぬまでずっと一緒にいたい。
……でも、それではダメだ。
このままでは、あいつは一生追われる身になってしまう。
わたしという〝異端者〟が一緒にいれば、これから先、あいつが幸せになることはない。
アシュクロフト王国は世界中に巨大な影響力を持つ大国だ。どこに逃げたって、その影響力から逃げおおせることは、恐らく不可能だ。刺客は永久に追ってくる。
二人で逃げ続ける日々になるだろう。
あいつはわたしを守るために戦うだろう。
……戦って、くれてしまうのだろう。
「……ダメだ。そんなのは、絶対にダメだ」
わたしはあいつと一緒にはいられない。
だから、せめて――この命を使って、あいつの命を助ける。
いまのわたしにはもう、それくらいしか、してやれることがない。
わたしがこの事件の首謀者であり、あいつはわたしの魔法で操られていた――そういうことにする。
全ての〝責任〟はわたしが負う。
それが――前世でわたしが犯した罪の、せめてもの償いだ。
せっかく、せっかく生まれ変わったんだから。
だから、せめて……今世では、幸せになって欲しい。
あいつにはただ、幸せになって欲しい。
それだけが、わたしの望みだった。
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