10,大貴族のブル何とかさん

 わたしは先ほどから、ひたすら菓子を食っていた。

 他の人間たちは誰かと話すことやダンスに気を取られているせいか、あまりお菓子にがっついている人間はいなかった。というかこんなにもしゃもしゃと食っているのはわたしだけだ。他の人間は本当に軽くつまむ程度だ。

 わたしは心底不思議だった。

 ……なぜ他の人間はこんな美味いお菓子に見向きもしないのだろうか? そんなにおしゃべりとダンスに夢中なのだろうか?

 まぁ、他の連中が食わないならわたしが食べるだけだ。

 それにその分、わたしの食べる分が増えるわけだしな。まるでお菓子食べ放題だ。こんな機会そうそうないから食えるだけ食っておこう。

 わたしは次のお菓子に目を向ける。

 これは確かシュークリームというやつだ。存在は知っているが食べたことはない。しかも最後の一個だった。

 これは是非食べねば――と、シュークリームを皿に取る。

「そこのあなた」

「ん?」

 声をかけられたような気がした。

 振り返ると女が立っていた。知らない顔だ。多分、わたしよりは少し年上だろうと思う。でも、わたしより少し背は小さかった。

 赤くて長い髪に、赤い瞳の、いかにも気の強うそうな顔の女である。

 ……誰だ?

 わたしは念のため、周囲を確認した。他の誰かに声をかけているのかもしれないと思ったからだ。

 だが、

「あなたよ、あなた。さっきからそこでお菓子をバクバク食ってるあなた」

 今度は思い切り指を指された。うん、どうやらわたしだったようだ。

 わたしは何だろうかと内心で首を傾げつつ、とりあえず顔にエリカスマイルを貼り付けた。

「わたしですか? 何でしょう?」

「あなた、名前は?」

 いきなり名前を聞かれた。本当にいきなりだったのでちょっと面食らってしまった。

「……え? 名前、ですか?」

「そう、名前よ。あなたの名前。さっさと教えなさい」

「……」

「なに? どうかした?」

「あ、いえ……」

 わたしの困惑はさらに大きくなった。

 ……ええと、何なんだこいつは?

 というかなぜいきなり名前なんて聞いてくるんだ?

 おかしいな。わたしの知ってる礼儀作法では、初対面ならまず名乗り合うものだが……もしかしてわたしの知らない作法がまだ人間の社交界には存在するのだろうか。

 色々疑問だったが、ひとまず答えた。

「わたしはエリカ・エインワーズと申します」

「エインワーズ……? 聞いたことないわね……もしかして小貴族かしら?」

「そうですが……」

「ああ、そう。やっぱりね。まぁそうだとは思ったけど」

 はっ、と女は鼻で笑った。

 それから、わたしを見下すようにこう続けた。

「そうそう、ちなみにわたしはブリュンヒルデ・ディンドルフよ。まぁいちいち名乗らなくても、わたしの名前はもちろん分かってはいると思うけどね?」

 ふぁさぁ~、と女は自分の赤い髪を片手ではらった。なぜかドヤ顔である。

 なにやら相手は自分の名前を知ってて当然、みたいな顔をしているが……もちろんわたしはこんなやつの名前は知らない。というかややこしくて一度では覚えられなかった。人間の名前は馴染みが薄いせいか、どうにも長ったらしい名前が覚えられないのだ。短い名前なら覚えられるんだが……アンジェリカも最初はよく間違えたものだ。

 ブル何とかと名乗った女は、いかにも小馬鹿にしたような目で、改めてわたしを見ていた。

「あなた、さっきから随分と熱心にお菓子を食べているわね。そんなにお腹が減ってるのかしら?」

「いえ、そういうわけではないのですが……普段あまりお菓子を食べないので、せっかくなので頂いておこうかと」

「あら、そうなの? 小貴族っていうのは普段満足にお菓子も食べられないくらいに貧乏なのね。なんて可哀想なのかしら」

 相手はクスクスと笑った。どことなく悪意のある笑みだ。

「……」

 わたしは顔に無機質なエリカスマイルを貼り付けたまま考えた。

 ……おや? これってもしかして……ただだけなのでは?

 ふと、わたしはそのことに気づいた。てっきりわたしの知らない高度な社交術が始まったのかと思ったが、相手は明らかにわたしを馬鹿にしているような雰囲気だ。普通に考えて無礼な態度である。

 わたしは魔王としての頭脳をフル回転させた。

 なぜだ? これがいわゆる社交ではなく、ただ絡まれているだけなのだとすれば……なぜわたしはこいつに絡まれているのだ? わたしはただ菓子を食っていただけ……こいつに無礼は働いていない。なのになぜ――

 そこでわたしはハッとした。

 ――そうか、待てよ? こいつ、わたしが皿に取った最後のシュークリームが食べたかったのではないか? なのにわたしが先に取ってしまったから、それで因縁をつけているのではないだろうか?※違います

 思い返せば、こいつが話しかけてきたのもシュークリームを皿に取った直後。そうか。こいつはわたしが目の前で最後のシュークリームを取ったことに対してイチャモンをつけてきているのだ。そうに違いない。※まったく違います

 くっ、こんなもの食える機会はそうそうないが……まぁわたしもかつては魔王だった身だからな。ここは欲しいというやつに譲って、王の貫禄を見せてやろう。

 事情を察したわたしは、笑顔で相手にシュークリームを差し出した。

 相手は怪訝な顔をした。

「……ん? なによ? そのシュークリームがどうかした?」

「申し訳ありません。このシュークリームが食べたかったんですよね?」 

「は?」

「わたしは他にもたくさん食べたので、これはお譲りします。どうぞ」

「……」

 相手はわたしの差し出したシュークリームをじっと見ていた。

 すると、怪訝そうだった顔が、今度は段々と不機嫌そうなものになっていった。

「……あなた、もしかしてわたしのこと馬鹿にしてるのかしら?」

「え?」

「誰がそんなもの食べたいと言ったの? 言ってないわよね?」

「……あれ? 違いました?」

「違ったも何も、そんなものわたしはいらないわよ。だいたい、人が一度取ったものを食べるなんてありえないわ。それを差し出す方もどうかと思うけどね」

 やれやれ、と女は大袈裟に肩を竦めた。

 ……そうか。違ったのか。わたしの勘違いだったか。

 わたしはじっとシュークリームに視線を落とした。

「……」

 じゃあ、これはとりあえずわたしが食べていいということだな。

 よし。

 じゃあ、遠慮無く食うか。

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