第32話 完成式典
そして、朝がやってきた。
一部区間ではあるが、完成式典がおこなわれるのだ。
堤防に建てられた水の精霊オンディーヌ様の彫像に向かって、私たちは馬車を走らせていた。
完成式典は彫像の前でおこなわれるのだ。
堤防の両脇では桜の花が咲き乱れている。
「素晴らしい景色ね。こんな美しいものが見られるとは思わなかったわ」
ルナール侯爵夫人が感嘆する。
向かいには侯爵様と夫人が座り、私の両脇にお兄様とバルがいる。
バルは帽子を被り、今日も薄い色つき眼鏡をしていた。
「お母様の体調はいかがですか?」
「ギヨタン先生のお薬が効いて、すっかり良くなったわ」
私が尋ねると、お母様は機嫌良く答えた。
お母様は拘回虫症の治療も終えて、今では式典に出られるほど健康になったのだ。
「ただの雑草だと思っていたセンチメンに、こんな効用があるなんて……。アカデミーの方々も驚いていたようね」
侯爵も頷く。
「拘回虫症の唯一の治療法だからな。ルネの言うとおり、センチメンを侯爵家で管理することにして正解だった。ただの雑草が、今では仕事と富を生んでいる。おかげで治水工事の雇用もできる」
拘回虫症の薬で得た富で、だんだんと、領地全体が活気づいてきていた。
「ルネの編み出したヘンナの利用方法も好評みたいね。ルナールの人々がヘンナ染めのお店を各地に開いているそうよ」
お母様が微笑む。
「これもみんなライネケ様のおかげです」
「ルネは謙虚だね」
私が言うと、リアムがクシャクシャと頭を撫でた。
気持ちが良くてうっとりと目を細める。
これで少しは恩返しできたかな?
そう思いつつ、馬車の窓から外を見ると、多くの人々が幸せそうに笑い合い歩いていた。
「それに、堤防に暮らす人を免税にしたのは良い考えだ。免税の条件に、氾濫を監視させるとは」
「それを考えたのはお兄様です」
私が答えると、侯爵は目を見張り、小さく「そうか」と呟く。
お父様、もっとはっきりお兄様を誉めて!!
私はそう思うが、リアムを見ると照れたように微笑んでいた。
お兄様にはあれで充分伝わってるのね。良かった!
私は親子の絆に気付き、ほんわかとする。
「リアムは本当にすごいな。剣の腕も立つし、領地の経営まで考えて……」
バルも感心する。
「将来ルナールを継ぐ身なら、これくらいは当然だよ」
リアムは無表情で答えながらも、こっそりと私の尻尾を撫でた。
きっと、嬉しかったのだろう。
「それも、お父様が私たちを信じてくれたおかげです。ありがとうございます」
私が礼を言うと、侯爵はコホンと咳払いをした。
「あなた、照れてるのね」
お母様が侯爵を見て笑う。私は意味がわからずキョトンとする。
「お父様が照れてる?」
小首を傾げると、耳がヒクヒクと動いた。
お母様は黙って、ニコニコと微笑んでいる。
「ルネに『ありがとう』って言われて嬉しいんだよ」
リアムが私のキツネ耳にそう囁いた。
私の尻尾が喜びでフワリと膨らむ。
「私なんかの『ありがとう』が……嬉しいの?」
私がリアムに尋ねると、リアムは頷き、私の尻尾を撫でる。
お父様は私を見て、ツッと視線を逸らした。
「どう反応したら良いかわからないんだ……。父上は、不器用だから」
リアムがコソッと私に打ち明ける。
私は心がホンワリと温かくなる。
お父様、私のこと、もう嫌いじゃないのかな?
嬉しさで、口元が緩み、尻尾がブンブン揺れてしまう。
そんな私を見て、お母様はニコニコと微笑んでいた。
馬車は、完成式のメイン会場に到着した。
新しく作られた水の精霊オンディーヌ像の前である。
彫像の後ろに臨時のテントが張られている。なかには豪華なテントが二張りある。私たちルナール侯爵家はそのうちのひとつを使うことになっていた。
ひときわ豪華なテントを見て、私はブルリと震えた。王太子が使うテントである。
尻尾が膨らみ、耳が倒れる。
「緊張しているの?」
リアムが私の手をギュッと握った。
「うん……。だって、王族の人が来るんでしょ?」
私が小首をかしげると、バルもピンと背筋を伸ばした。睨むように豪華なテントを見る。
「国王の祝辞の代読で王太子がくる。でも、ルナール領に直系の王族が来るのは珍しい」
リアムはそう言って、思案顔でテントを見た。
「珍しい?」
バルが尋ねる。
「ああ、罪を犯した王族が修道院で幽閉されることはあるけれど……」
リアムの答えを聞いて、チッとバルが舌打ちをした。
バルは、国王の婚外子で修道院に幽閉されようとしていたからだ。
「最近のルナール領の発展はめざましい。様子を見に来たのだろう」
お父様がそう言って、私の尻尾はシビビと膨れ上がった。
ルナール領が豊かになってきたから、きっと、王家に目を付けられたんだわ! 恩返しどころじゃないかもしれない……。
不安で涙目になると、リアムが私をギュッと抱きしめた。
「怖がることはないよ。まだ、王太子殿下は見えられていないし。式典が終わるまで、バルと一緒にテントから出なければ良い」
リアムの言葉を聞きつつ、涙がにじむ目でお父様を見る。
お父様は私を見て、目を逸らした。
「……あ、ああ。リアムの言うとおりだ。王太子殿下は式典で祝辞を述べてすぐ帰る日程になっている。祝辞が終わるまで隠れていなさい」
お父様に言われて、ホッとする。
今世では、王太子に絶対会いたくない。
間違って、また一目惚れなどされてはかなわないからだ。
「心配するな! 俺が守ってやるよ!」
バルが胸を叩くと、リアムがバルを睨んだ。
「バル様も目立つ行動はお控えください」
お父様は無表情でそう言って、お母様が小さく噴きだした。
「あらあら、みんな、過保護だこと」
お母様がコロコロと笑って、私もつられて笑ってしまう。
明るいお母様の笑顔が、緊張を解きほぐしてくれた。
*****
完成式典が始まった。
遅れてきた王太子が、国王の祝辞を代理で読む。これが初めての王太子としての仕事らしい。
王太子はリアムと同じ歳だという。その割には不慣れな態度に見えた。
形式的に代読を終えると、王太子はさっさと会場をあとにした。
田舎の領地は王太子にとってつまらない場所らしく、隣の領地の伯爵家に宿泊することになっているからだ。
帰路を急いでいるのだろう。
式典を終え、私とリアム、バルはのんびりと温室でお茶を楽しんでいた。
すると、下男が慌ててやってきた。
「ルネ様、バル様、お部屋にお戻りください」
「どうしたの?」
私が問うと、下男が困ったように説明した。
「王太子ヘズル殿下が、本日こちらにお泊まりになると、突然、早馬がありまして……」
私はドッと冷や汗をかく。
バルは暗い顔をして俯いた。
王太子ヘズルは、バルの腹違いの兄なのだ。
そして、バルの母はヘズルの母の命令によって殺され、バル自身も命を狙われた。
「ルナール領に泊まるのは嫌だとあれほど言っていたのに、どうして気が変ったんだろう」
リアムは不思議がる。
「今、慌てて準備をしているところです。侯爵様より、ルネ様は挨拶不要との伝言を承っております」
私の心臓がキュッといたくなる。
私はキツネ耳を両手で押さえた。
「そうですよね。キツネで、恥ずかしいですもんね……。私、今日はライネケ様の神殿に行きます」
「いえ、心配だからと部屋に鍵をかけるようにとのことです。夕食はあとでお届けすると」
「溺愛だな」
ボソリとバルが呟く。
「……バル様もできるだけ顔を合わせないようにとのことでした。王太子殿下が滞在しているあいだは色眼鏡を付けるようにと」
下男は少し言いにくそうに伝える。
バルは頷いた。
「オレ、ルネと一緒にいるよ。そっちのほうが安心だろ?」
「間違って会ってしまっても、くれぐれも無礼のないようにとのことです」
「わかってる」
バルは答えた。
下男が続ける。
「王太子殿下のお部屋は、ルネ様の部屋から一番遠いお部屋にするように命じられています。バル様の部屋はルネ様のお隣に移しましょう」
リアムが頷く。
「お夕食はルネのお好きなものを部屋に運んでやってくれ」
「オレの好きなものは?」
バルが甘えるように、リアムに言う。
「そうだな。バルの好きなものもよろしく」
リアムは笑った。きっと、心配しているのだ。
また、急に宿泊を要求してくる王太子に憤りを感じているのだろう。
通常であれば、一ヶ月以上前に連絡があり準備を進めるものだからだ。
私たちは、王太子に会わないようにと、細心の注意を図って部屋へと戻ることにした。
コソコソと部屋に戻るのは、ドキドキとして少し惨めだったけれど、安全のためにはしかたがなかった。
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