第7話 ヨガの秘術


<妾に体を貸せ>


 そう言うと、ダーキニー様は私に憑依した。同時に、体が勝手に動き出す。


『我が名は、精霊ダーキニー。精霊ライネケの頼みを聞き、そなた達にヨガの秘術を授けよう』


 私の口から、勝手に言葉が出る。私の声ではなく、落ち着いた女性の声だった。


 えっ! ちょっと、ダーキニー様に体が乗っ取られてる!? まって、狐の精霊の魔法ってこういうことなの?


 ダーキニー様に乗っ取られた私の体は、あぐらをかき、深呼吸をはじめた。


 やだ、こんな格好恥ずかしいっ!


 あられもない姿に戸惑う。しかし、体はダーキニーに乗っ取られ、声も出ない。


 お母様もリアムも、令嬢がしてはならないような、はしたない体勢に驚き、戸惑いを隠せない。

 侍女や護衛の騎士達は、困惑顔で私を見ている。


『妾の真似をせよ。呼吸を整え、心を穏やかにするのだ。さすれば、体の健康も取り戻せるだろう』


 厳かな言葉に、お母様は心を決めたように息を吐いた。


「精霊様の思し召しです……」


 そう言って、顔を赤らめながら、敷布の上であぐらをかいた。


「私も付き合います」


 リアムもそう言ってあぐらをかく。無表情ではあるが、頬は赤らんでいる。きっと、恥ずかしいのだろう。


 それでも、一緒に付き合おうとしてくれるなんて、お兄様は優しいのね。


 私はその姿にジーンとする。


 前世では気がつけなかったけど、お兄様は感情表現が下手ななだけみたい。

 誤解して上手くいかなかった前世。今世は誤解を生まないように、せめて私はちゃんと気持ちを伝えよう。


 心新たに決意する。


「お兄様……大好き」


 体を乗っ取られていて言葉にならないと思いつつも、呟くと思いっきり声になった。


 私の声を聞き、リアムはフイとそっぽを向いた。

 

 しかし、侍女たちは私たちの体勢に驚いた。


「奥様! そのような格好はさすがに……」

「いいのよ。精霊様がおっしゃるのですもの。きっと健康に良いのでしょう? ルルがいなくなってから、生きることがどうでも良くなってしまっていたけれど、今は違うの」


 お母様はそう言うと、私とリアムを見た。


「過去ばかり思うのでなく、この子たちの未来を見てみたいわ。少しでも元気になりたいのよ。少しくらい恥ずかしくたって、それがなんだっていうの?」


 お母様がそう言うと、侍女たちはウルウルと瞳を潤ませた。


「奥様! ご立派です」

「そうです。元気になりましょう!」

「私たちも一緒にお付き合いいたします」


 侍女たちは、草の上にあぐらをかいた。

 騎士たちは、自分たちのマントを広げ、私たちの様子がほかから見えないように配慮する。


 ダーキニー様は、私の体でグルリと周りを見渡して満足げに頷いた。


『準備は良いな? まずは、呼吸を覚えろ。呼吸によって、世界の生命エネルギーを取り込むのだ。鼻からゆっくり息を吸い、腹を膨らませ、腹をへこませるように鼻から吐く』


 スーハーと息をするたびに、お腹が上下し、体の中心から温まくってくるのがわかる。


『呼吸に慣れてきたら、体をほぐす』


 ダーキニー様はそう言うと、両手を合わせて手首を回しはじめた。肩や首、足首などもまわし、体がほぐれてくるのがわかる。


『そして、猫のポーズだ』


 指を広げて手をつき、四つん這いになり、肩の下に手首がくるようにする。腰幅に脚を開き、つま先を立て、呼吸をしながら、猫のように背を丸める。

 

『へそを覗くように、肩甲骨を広げろ。次は息を吸いながら背骨を反らす』


 ダーキニーは指示しながら、背を丸めたり反らしたりを繰り返してみせる。


 そうやって、ダーキニーはいろいろなポーズを侯爵夫人に教えた。

 体を乗っ取られている私も、次第に体が温まり、体がほぐれてくるのがわかる。


 体の中を、自然の力が巡っていくみたい。気持ちが良い!


『これが基本のヨガだ。できるときに無理せずおこなえ』


 ダーキニーはそう言い残すと、私の体から出ていった。


「……ダーキニー様……。いきなりひどい……」


 放り出されるように、現実に戻されて私はぼやいた。

 

「ルネ? なの? 大丈夫?」


 お母様が心配そうに私を見た。


「大丈夫です。お母様こそ大丈夫ですか?」

「ええ! 私は大丈夫よ。少し恥ずかしい体操だけれど、体も頭もスッキリとしたわ」


 清々しい顔をして、お母様はハンカチで額を押さえた。


「やっぱり、ルネはルルと違うわね。ルルだったらこんなこと絶対しないもの」


 お母様は、フフフと機嫌良く笑う。

 私はその言葉に、心がホンワリと温かくなる。


 前世ではルル様の代わりでしかなかったけど、今度は私自身を見てくれてるのかな。


 希望の光が見えた気がした。

 

「たしかに、この呼吸法を繰り返すと自然のマナが体に集まってくるようだね」


 リアムが言う。リアムは魔法アカデミーの入学を目指して、家庭教師から魔法の基礎を教わっているのだ。


 マナとは自然界に漂っている超常的な力だ。精霊と契約し、魔法を使うにはマナのコントロールが必須なのだ。

 大きなマナが扱えるほど上級の精霊と契約できる。そして、強い魔法を使うことができるのだ。


 私はライネケ様と契約して以来、人よりも嗅覚も聴覚も敏感になっていた。

 しかし、今はいつも以上に敏感になっている気がする。


「たしかに、いつもより感覚が鋭くなっている気がする……」

<そうだな。お前との交信も楽に感じる。これは良い、毎日続けろ>


 私が呟くと、ライネケ様が答え、ダーキニー様は満足げに笑った。

 

「そろそろ、風が冷たくなってきました。汗をかいたので体が冷えてしまいます。お屋敷に帰りましょう」


 リアムの提案に、お母様と私は頷いた。


 お母様の右手をリアムが、左手を私が結ぶ。


 まるで本当の親子みたい……。


 私は胸がいっぱいになって、お母様を見上げた。

 お母様も同じように感じたのか、私を見おろす目と目が合った。


 ふたりで少し照れながら笑いあう。


 幸せ。こんな時間がずっと、ずぅぅぅっと続けば良いな。


 私は思う。


 私たちは、屋敷へ向かってのんびりと歩いてゆく。


 ヨガによって、鋭くなった感覚が木々の歌を拾う。

 気分良く、狐の尻尾がユラユラ揺れる。

 フンフンと鼻歌を歌っていると、バサバサと鳥の羽ばたきが聞こえた。



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