第40話 上書き
『さあ、目覚めるがいい!
ラムレイ帝星国の皇女の細胞から造られた生体人形クティーラに宿った『屍使い』ナグーブ・ホーが、高らかに哄笑しながら傲然と命じる。
するとコロニーの大地が震え始め、咆哮に似た轟音とともに床の分厚い鋼材や博物館の建物を突き破って無数のアンデッドが這い出してきた。
床から現れたのは、その名の通り、まさに巨人の骸骨。上半身だけなのだが、それでも高さ10メートル以上に達し、骨全体を怨念のようなおどろおどろしい瘴気を纏い、ぽっかりと空いた眼窩には激しい憎悪の炎が燃えている。ガシャガシャと関節や顎を鳴らす重厚な低音が、不気味に体の芯にまで鳴り響く。
そして私たちの周囲を取り囲んだのは、博物館から溢れ出てきた恐竜の骨たちだ。二足歩行の小型の肉食恐竜から四足歩行の草食恐竜、その大型種、素早く空を飛ぶ翼竜種、虚空を優雅に泳ぐ水生の古代爬虫類種など、人類が栄える遥か以前に惑星を支配していたという太古の生物たちのアンデッドである。
全長30メートル級の超大型草食恐竜がのっそりと雄大かつ緩慢な動きで登場し、最後に誰もが名前を知っているであろう大型肉食恐竜ティラノサウルスの骨まで現れて、声にならない咆哮がビリビリと大気を震わせる。
博物館には恐竜の骨がたくさん保管されていたようだ。一般人や専門の研究者にとっては歴史を紐解く鑑賞物や研究対象だが、熟練した死霊術師にとっては素材の宝庫でしかない。
「これは少し厄介そうだ……」
今までのアンデッドとは明らかに保有する魔力量や威圧感が違う。第一級魔導犯罪者『屍使い』ナグーブ・ホーの切り札だろう。
このアンデッドの一団だけでコロニーを制圧できそうな戦力である。
『クハハハッ!
「死者蘇生させたアンデッドではないのだな」
『えぇいっ! 黙れ黙れ黙れぇええええっ! そこな無礼者をやってしまえ!
血走った瞳に狂気を宿すナグーブの命令を受けて、片腕を振り上げた
圧倒的な質量が私を潰そうと大気を押しのけながら猛然と迫りくる。
しかし、不思議と恐怖や焦りはない。なぜなら、私と骨の拳の間に割り込んだ黒髪の美女がいたから――
「パイパーンチ!」
抑揚の乏しい声音で呟いたルルイエの拳とその10倍以上ある骨の巨拳がぶつかり、勝ったのは細腕から繰り出されたルルイエの小さな拳だった。
ルルイエのパンチは
怯む
「もう一発。パイパーンチ!」
結果は見るまでもない。ティラノサウルスの頭骨が粉々に砕け散った。
私の隣に軽やかに着地した彼女は、艶やかな黒髪を風になびかせて淡々と述べる。
「説明しましょう。パイパンチとは、綺麗に処理された
「……なるほど。要するにただのパンチなのだな」
ところどころ規制音が入った必要のない説明にはツッコまない。ツッコまないぞ。
彼女ならばただのパンチでも充分余裕だな。これでもまだコロニーを破壊しないよう手加減しているに違いない。
ルルイエは取り囲むアンデッドたちをため息をつきながら見渡して、
「雑魚はいくら集まっても雑魚にしかなりませんね」
「そう言えるのはルルイエくらいのものだ」
『ゴブゴブ』
私もツバキも
それでも数の多さや俊敏さは厄介で、一瞬でも油断できないシビアな戦いになるのは確実だ。
『これまでの出来損ないと同じだと思うな!』
クティーラの顔で酷薄に哄笑するナグーブ。彼の言葉通り、
「再生能力か」
傷ついた
破壊しても再生する――まさに不死身の軍団ってわけだ。厄介さが増したな。
しかし、この場にはなおも余裕な者がいる。
「……え? それだけですか?」
ルルイエはキョトンと目を瞬かせ、渾身の能力を『それだけ』と言われたナグーブのこめかみにはっきりと血管が浮き出る。
『……もちろんこれだけではないよ、お嬢さん。こんなものは如何かな?』
不気味なほど静かに告げたナグーブが合図をすると、一番巨大な草食恐竜型の
緑色に可視化した魔力が渦を巻き、極大の魔力砲撃がビームの如く一気に放たれる。しかし、
「ルルイエ」
「
音速を超えて直進する魔力砲撃をルルイエはペシッと軽く叩いて軌道を変えてしまった。
『……は?』
変更した軌道の先にいたのは、偶然にも
さすがだな。敵の攻撃を利用して凶悪な一体を倒すとは、文句のつけようのない完璧な仕事である。よくやったぞ。
『む、無傷……? あれだけの攻撃を受けて無傷……?』
茫然自失で思考が停止したナグーブは、クティーラの体で激しく髪を掻き毟り、言葉にならない悲鳴を上げる。
『くぁwせdrftgyふじこlp!?』
なんだか物凄く憐れだ。最初の時の余裕はどこへ行ったんだろうな……。
「ルルイエは中型以上の
「
「ツバキは小型の
『ゴブッ!』
「ナグーブは私に任せるがいい」
二人に命じた後、私は燃えるような赤い髪を振り乱すナグーブに銃口を向け、
「アル=アジフ」
撃ち放った複数の魔弾があらゆる方向から彼を狙う。
しかし、直撃する寸前に魔弾は透明な壁に阻まれてしまった。
「魔力障壁か」
威力が足りなかったようだな。次はもっと魔力を込めるとしよう。
『どうしてだ……? どうしてこうも上手くいかない……? 全部全部全部全部全部全部全部っ! 何もかも全てがっ! シャウラとラッシュが死んで……
「知らんよ。興味もない」
『ぬぁぁあああああっ! 寄越せっ! 死者蘇生の叡智を寄越せぇぇえええっ! そうすれば
「とうとう狂ったか……」
直撃する魔弾を諸共せず、憑依するクティーラの体で肉弾戦を仕掛けてくるナグーブ。元大学教授であり、『屍使い』という二つ名通りアンデッドを操ることが主な攻撃手段である彼の動きは、素人から見てもお粗末と表現するしかなかった。
ひょっとすると私よりも運動音痴かもしれんな。
ツバキやルルイエと比べてナグーブの動きは無駄や隙が多く、運動が苦手な私でも簡単に避けることができる。
『な、なぜだっ! なぜ捕らえられん!? この体は極上の素体から造り上げたアンデッドのはずでは!?』
「素体は極上でも貴様の動きがそれではなぁ……。それに胸も重かろう」
その体のオリジナルであるクティラ・ラムレイは、コズミックモデルで有名になるほどスタイルがいい。当然、同じ遺伝子を持つであろうクティーラもオリジナルと寸分変わらぬ肉体だ。
ということは、胸の大きさも同じとなるわけで……90代の男が20代の巨乳美女の体を操れば、重心や身長、手足の長さの違いについて行けないのは自明の理である。
『このっ! このぉぉおおおおおおっ!』
必死の形相で掴みかかってくる手を私は余裕をもって回避する。
彼は、憑依するクティーラの手に濃厚な死霊術を纏わせているのだ。遠距離が効かないならば、直接掴んでゼロ距離で侵食してやろうという魂胆なのだろう。
「おっと、危ない危ない」
バックステップで距離を取ると、私を捕らえ損ねたナグーブがクティーラの顔で悪辣にニヤリと笑う。
『
呼びかけに応えて私の左右と背後から同時に襲い掛かってくる小型の
「――ツバキ」
『ゴブ!』
小柄なツバキが戦場を駆け抜ける。
しなやかな足運びで疾駆する彼女は、美しい白髪を風になびかせ、
ツバキは走る勢いをそのままに、周囲の
『まだだぁっ!』
「ぬおっ!? 地面がっ!」
その隙をつかれて、私は頭蓋骨を掴まれて地面に押し倒された。
『捕らえたぞ! さあ、死者蘇生の叡智を
クティーラのような美人に馬乗りされるのは大歓迎だが、中身が90代の男だと思うと実に微妙な気分だ。
「ふむ。果たして私に構っている余裕はあるのかな、『屍使い』ナグーブ・ホーよ」
『なに……?』
アンデッドが蔓延る廃棄コロニーに、凛と澄み渡る美しい声が響き渡ったのはその直後だ。
「心室縮退魔導炉<限定起動>」
ドクンッと大きな心臓の拍動が大気を震わせ、輪を作った両手の親指と人差し指を胸の前で構えたルルイエから、
『な、なんだ、そのバカげた魔力は!?』
ナグーブの焦り声は、濃密な魔力が引き起こす空間の震動音に掻き消された。
「照準固定」
指の間に凝縮する光を向けた照準先は、目の前の博物館の地下及びコロニーの地下構造体だ。
それに気づいたナグーブは、焦燥と驚愕で目をこれでもかと見開く。
『ま、まずい! その方向はっ! 儀式場が!』
私たちが死者蘇生を行なおうとしている儀式場を知らないと思ったかね? ルルイエの情報収集能力を甘く見てもらっては困る。複雑な結界等を施していた様子だが、電子機器のハッキングや構造物のスキャンでバレバレだったのだよ。
大詰めを迎えている大事な儀式場を破壊されるわけにはいかぬだろう? 私なんかに構っている暇はないはずだ。
予想通り、馬乗りになっているクティーラからナグーブの意識が慌てて抜け出す気配がした。
私の顔面を力強く掴んでいた手から力が失われ、生々しく剥き出しだった感情がスッと抜け落ちて、魂のない人形のように無表情へと戻る。
「戦略級惑星破壊用人型生体魔導兵器ティックB型072号改改ルルイエ<発動>」
恒星の如く輝いた二つの光が今、解き放たれる。
「Bカップ級チクビーーーム!」
光の速度で突き進むビームは二重螺旋を描き、やがて一つの巨大なビームに集束して、コロニーの分厚い床鋼材を貫く。
『ぬぉぉおおおおおおおおおっ!?』
地の底から老人の死力を尽くす雄叫びが聞こえた気がするが、そんなものはどうでもいい。
「いつまで許可なく私の上に乗っている? 早々に退くがいい」
「…………」
馬乗りのクティーラを吹き飛ばすと、彼女は受け身を取ることなく無表情で地面を転がり、その後も倒れたまま身動き一つしない。
私は油断せず、クティーラの体を地面に縫い付けた。
「<
物言わぬ赤髪赤眼の美女の体を影で拘束し、逆に今度は私が彼女の上に馬乗りになる。そして、
「<解析>」
錬金術を発動し、クティーラの体の構造を隅々まで調べ上げる。
「なるほど。
『屍使い』ナグーブは、生命活動が停止した魂のない生体人形クティーラに死霊術を施し、アンデッド化。さらに人間の
「しかし、意外と術式が拙いな……これならば何とかなりそうだ」
私は焦点が合わない目で全く抵抗する素振りを見せないクティーラの柔らかな左胸、心臓の真上に手を置くと、魔力を流し込んでナグーブが刻んだ術式を上書きし、改変していく。
「…………」
荒くなる息。小刻みに痙攣する体。ほんのりと桜色に染まる肌。汗でしっとりと濡れて張り付く赤い髪。潤む虚ろな赤い瞳。
書き換えの影響で体がピクピクと反射的に反応するものの、クティーラは何も言葉を発さず、淡々と私を受け入れ続ける。
抵抗しないのならば好都合。彼女の最奥で魔力を解き放ち、時間をかけてじんわりと広げ、内側から私の色で染め上げてしまう。そしてついに――
「んぅっ……」
クティーラの口から小さな吐息が漏れ出た瞬間、『屍使い』ナグーブ・ホーが施した術式の上書きに成功した。
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