第31話 赤の襲撃者



『お客様! ご無事ですか!?』と真っ先に乗客の安否を確認した船員たちや、『ボクの荷物! 大事なデータはどこにある!?』と我先に自分の荷物を探し始めた御曹司のお坊ちゃんを眺めながら、私たちはニンゲンたちが変な行動を起こさないよう警戒する。


 誘拐されていた者たちは自分たちのことで精いっぱいの様子で、今のところ私たちに敵対するつもりはなさそうだ。

 しかし、相手はニンゲンで、私とツバキはモンスター。いつ敵意を向けられるかわからん。


「このまま何事もなく終わってくれるといいがな」

「……マスター。わざとフラグを建築しているのですか?」

「なんのことだ?」


 ――ビィーッ! ビィーッ! ビィーッ!


「はぁ。やっぱり」


 私のせいだと言わんばかりにジト目で睨んだルルイエが、深く呆れたため息を吐いて、船のシステムに接続アクセスして突如船内に鳴り響いた警報音の原因を探る。

 そこに豊満な胸を虹色に輝かせた商人のアッハンが、体をクネクネさせながらやって来た。


「アハーン! 骸骨のセンチョーさん。これはどういう状況ですのぉ?」

「知らぬ。今ルルイエが調査中だ」


 ルルイエの報告を待っていると、彼女はパチパチと目を瞬かせ、


「報告。この船の魔導炉が暴走しかけています」

「魔導炉の暴走だと?」

「アハーン!」


 それはマズい。魔導炉が暴走すると宙賊が放った砲撃をも上回る威力の爆発を引き起こす可能性が高い。当然、船体は木っ端微塵だ。


「宙賊が魔導炉をわざと暴走させたようですね」


 宙賊の『あと少しだったのに』という発言はこのことか。

 バリケードで時間稼ぎをしている間に魔導炉を暴走させて、みんなまとめてボカン。なかなか覚悟が決まっている。って、感心している場合ではないな。一刻も早く暴走を止めるか、船から退避せねば。


「ルルイエ。暴走を止めることは可能か?」

「可能です。しかし、中央制御室コントロールルーム命令コマンドを直接打ち込むか、緊急停止ボタンを押す必要があります。基本的に魔導炉のシステムは遠隔の操作を受け付けませんから」


 そりゃそうだ。魔導炉を遠隔操作できたら困る。敵船の魔導炉を暴走させ放題ではないか。そうならないよう魔導炉のシステムは特殊な仕組みプログラムになっているという。


「ルルイエ、魔導炉の暴走を止めてきてくれ」

命令受諾アクセプト。ツバキ、この場を任せます。マスターの命令に従うように」

『ゴブー!』


 ピシッと敬礼したツバキに頷いて、ルルイエの姿がその場から掻き消えた。目にも留まらぬ速さで中央制御室コントロールルームへ向かったのだ。


「アハーン! 魔導炉の暴走はもう心配しなくてよさそうですわぁ!」


 前屈みになって露骨に胸をアピールする女商人アッハン。彼女はまるでこうなることが分かっているかのようにずっとニコニコ笑顔を浮かべて平然としていたな。


「アッハンよ。お主の荷物はあったのか?」

「もちろんですぅ。この通りにぃ」


 アッハンが見せてきたのは、小さなショルダーバッグと指に嵌めた大粒のダイヤモンドの指輪だった。

 虹色に光る奇抜な服を着ているから、てっきり荷物もド派手かと思っていたんだがな。普通のショルダーバッグと指輪ではないか。


「よくこの大量の略奪品の中から見つけたな」


黒鯨ブラックホエール』は名が知られた宙賊だったこともあり、多くの略奪品を溜め込んでいた。食料や宝飾品、貴金属、武器、魔物の素材、美術品など、中には裸婦の石像や黒曜石の巨大なモノリスまである。

 この中から自分の荷物を見つけ出すのは至難の業だ。なのにアッハンはあっさりと見つけ出している。


「わたくしは、勘と運と体が少し良いですから。骸骨のセンチョーさん、感謝申し上げますわぁ。この指輪だけは絶対に取り戻したかったのです。アハーン!」

「……お主はいちいちポーズを決めねば喋れないのか?」

「わたくしの出身星はフィジカルビューティー星なのですぅ。アハーン! 肉体美を尊ぶ文化があり、何時何時いつなんどきでも体の美しさをアピールするのが常識ですのぉ。アハーン! 今のフィジカルビューティー星でのトレンドは『胸部』と『輝き』! ゆえにわたくしの胸は虹色に輝いていますわ! アハーン!」

「そうか。いろいろと合点がいった。ならその『アハーン』という声も――」


 宇宙には無数の惑星があり、スペースコロニーもある。多種多様な文化があって当然のこと。

 セクシーポーズも艶めかしい掛け声も出身星の文化なら仕方がない、と納得していると、



「『アハーン』はキャラ付けですわ」



 スンと顔から感情が抜けたアッハンが衝撃の事実を述べた。


「は?」

「『アハーン』はキャラ付けですの。セクシーポーズと組み合わせればインパクトがあって、わたくしの名前を一発で覚えるでしょう? 名刺よりも遥かに効果的ですわ」


 そ、そうか。さすが商人だな。たくましい……。

 確かにセクシーポーズから繰り出される『アハーン』は強烈だ。嫌でも記憶に刻まれてアッハンの名前を覚えてしまうぞ。


「そんなことよりもぉ、骸骨のセンチョーさんには、報酬をお支払いしなければなりませんわぁ! ですがぁ、その前に一つお伝えしとうことがございますの」

「……まさか嘘をついていたのではあるまいな?」


 私はアッハンの首に魔法鉄アダマントの鎌を突きつけ、魔力を放って威圧する。


 ちゃんと幽玄提督閣下のナノマシンフィギュアのデータを持っているのだろうな? もし嘘をついていたと告白しようものなら、その首を刎ねてやるぞ。


 しかし彼女は至近距離で魔力を浴びても、冷たい刃が首に触れていても、一切顔色を変えずにニコニコ笑顔だ。よほど肝が据わっているようだ。


「わたくしは嘘などついていません。商人は信用が大事ですから。お伝えしとうことは取引に関することではありませんわ」

「ならなんだ?」

「実は……どうやら『黒鯨ブラックホエール』は、この場に集めた略奪品や誘拐されていた人たちを誰かに引き渡すつもりだったそうですの」

「誰かとは、誰だ?」

「そこまではわかりません。ですが、取引時間はかなり近かったようです」


 ふむ。その情報が正しいのなら、取引相手は近くまで来ていそうだ。

 ルルイエが戻ってきたら警戒するよう促しておこう。

 その時、ビィービィーと鳴り響いていた警報音が消えた。ルルイエが暴走しかけていた魔導炉を停止させたに違いない。


「あらぁ。警報が鳴り止みましたね」

「そのようだ……ゴホン! アッハンよ。そろそろ報酬の幽玄提督閣下のフィギュアデータを渡して――」

『ゴブ!』

「どうした、ツバキ。私は今、アッハンに大事な話があるんだが」

『ゴブゴブ!』


 腕が外れそうなほど引っ張るツバキが指差してたのは、あの御曹司のお坊ちゃんだ。明らかに挙動不審でキョロキョロと周囲の目を気にしている。

 怪しい。何か企んでいそうだ。これは確認しておかねばならぬ。


「おい、そこのニンゲン」

「ひぃっ!? こ、これはボクのものだぞ! ボクの荷物だからボクのものなんだ! ぜ、絶対にボクのものだ!」

「背中に隠したものを見せよ。見せぬのなら殺してから確認するまでだ」

『ゴブ』

「ま、待て! 見せるから殺さないでぇ!」


 鎌と刀を突きつけられて真っ青になったお坊ちゃんは、慌てて隠していたものを前に出した。


 それは透明な耐衝撃ケースだった。中に封印されているのは宝石の原石に似た結晶である。汚泥のような濃い灰色にチラホラと赤い斑点が浮かんだ気持ち悪い塊。生理的嫌悪を隠しきれず、吐き気を催す醜悪さだ。ケース越しでも触りたくない。


 先日、私はこれと似たような感覚を味わった。


 ツバキを殺した冒険者『震剣』のウィアードが『名状し難い憑依者』に変化する直前に砕いた謎の結晶――あれと同じ気配を漂わせているのだ。


 冥界の死者曰く、『名状し難い憑依者』に変化する原因は『冥界から逃げ出した死者の魂』とのことだったが、もしかするとこれも死者の魂が結晶化した物質なのかもしれない。


「さ、さあ、見せたぞ! もういいな!?」

「アハーン! これは『魂魄結晶ソウルクリスタル』ではありませんかぁ!」

「アッハン、知っているのか?」

「もちろんでございますぅ。これは魂魄結晶ソウルクリスタルと言いましてぇ、人の精神を汚染して狂わせる物質ですのぉ。全宇宙で準一級危険物に指定されており、取引が厳しく制限されておりますわぁ。国によっては不正に所持しているだけで死刑になることも……」

「し、死刑!?」


 やはりこれは死者の魂が結晶化したもので間違いなさそうだ。

 ケースを開ければ冥界の死者である『忌まわしき狩人』が回収にやってくるだろうか。だが、封印を解いて誰かが『名状し難い憑依者』に変化したら困る。せめて開けるならルルイエが戻ってからにしてからでないと。

 そもそもなぜそんな危険物を御曹司のお坊ちゃんが持っているんだ、と訝しんでいると、


「ボクのじゃない! そこに置いてあったんだ! 売ったらお金になると思ってボクのだと嘘をつきました!」


 死刑を恐れてあっさり自白した御曹司のお坊ちゃん。

 まあそうだろうな。明らかに嘘をついている様子だったからな。嘘をついてまで自分のものと言い張り、死刑になりたくはないだろう。


 さて、ネコババしようとしたコヤツには相応の罰を与えなければ気が済まん。余計なことをするなと忠告していたのにコヤツは無視したのだ。腕か脚の一本くらい斬り落としてやろうか……。


 その時、御曹司のお坊ちゃんが私の背後を指さす。


「な、なんだ! あれは! なんか光っているぞ!」

「振り向いた瞬間に私を襲う気か? 見え透いた手には乗らんぞ?」

「違うんだって! モノリスが光っているんだ! 色が変わって……」

『ゴブゴブ!』

「骸骨のセンチョーさん……本当にモノリスが変化していますわ……」

「なに……?」


 次から次へと一体なんなんだ。ルルイエが言っていたフラグとやらのせいか?

 ツバキとアッハンにも促されて振り返ると、貨物室の中央付近に鎮座していた黒いモノリスの表面が波打って、銀色に色を変えていた。

 モノリスの全ての面が黒曜石から鏡のように変化すると、また軽く表面が波打って、鏡の中にこことは違う景色が映り込む。どこかの屋敷の薄暗い部屋みたいだ。

 これは一体……?


「まさか……! 『ニトクリスの鏡』ですの……?」

「ニトクリスの鏡、だと?」


 はい、と驚きに目を見開いてアッハンが鏡面のモノリスを見つめて頷く。


「ニトクリスの鏡は古代文明の遺物ですわ。二枚で一対の魔導具。その効果は――転移ゲート」


 転移ゲート……?

 その言葉の意味を理解する前に、鏡に赤い髪の美しい女が映り、その姿がだんだん近づいてきたと思うと、モノリスの表面が一段と大きく波紋が広がって、その揺れる鏡の中から女が現れた。

 燃えるような赤い髪と赤い瞳。気の強そうな顔立ち。抜群のスタイル。微かにチラつく既視感。

 私は彼女をどこかで見たことがある……?


「アハーン……なぜあのお方がここに……?」


 アッハンは珍しく動揺した様子でこちら側に出現した赤い女を見つめ、震える唇でその正体をぼそりと呟く。



「――クティラ・ラムレイ皇女殿下」



 クティラ・ラムレイだと!? それはコズミックモデルで、ラムレイ帝星国の皇女ではなかったか!?

 そうだ。少し前に雑誌の表紙で彼女の姿を見たのだ! まさしく同じ顔である!

 でも、なぜ彼女がニトクリスの鏡を通ってここへ……?


「…………」


 クティラ皇女は虚ろに凪いだ赤い瞳でゆっくりと貨物室の中を見回し、私と目が合った次の瞬間――


『ゴブゥッ!?』


 ツバキが苦しげな悲鳴を上げて倒れ込んだ。胸を押さえて身悶える。


「ツバキ! どうし――ぐあっ!?」


 猛烈な痛みと眩暈に襲われて、私も堪らず膝をつく。

 視界がグワングワンと揺れて立っていられない。上下左右の感覚が失われ、体に力が入らない。床に落ちた魔法鉄アダマント製の片手鎌の音だけがぼんやりと聞こえる。


「ぐっ……! あ゛ぁっ……!?」

「センチョーさん! しっかりしてくださいな!」


 自分の体が溶け、侵食され、塗りつぶされていくような不気味な不快感。でもそれが異様に気持ちよく、同時に身を引き裂かれるくらいの激痛でもある。

 懸命に呼びかけてくれるアッハンの声も、まるで深い水の底で聞いているみたいに鈍く反響している。


「わわっ!? し、死体が動き出したぞ! なんなんだよ、これはぁ! よ、寄るな! ボクに近寄るなぁ!」


 お坊ちゃんはなにを言って……まさかこれは!


「ク……ソ……! 死霊……術…………かっ……!」


 アッハンたちには効果がなく、私とツバキにだけ襲う苦痛――それが死霊術によるものならば説明がつく。

 この不快感は誰かが死霊術で私を操ろうとしているのだ。

 ぐっ! 私は負けんぞ……! 誰からの支配も受けぬ……!


「センチョーさん! 逃げてください! きゃっ!?」


 死霊術に懸命に抗っていると、歪んだ視界の中で私を庇っていたアッハンが、なにかに殴られて吹き飛んでいくのが見えた。


「な、何が起こって……!」


 次に私の視界の中に現れたのは、赤い髪のクティラ皇女。彼女は私の前でしゃがんで何かを拾う。それは魔法鉄アダマント製の片手鎌。反対の手には魂魄結晶ソウルクリスタルが入ったケースを持っている。


「くっ……! 私の鎌を……返せ……!」

「…………」


 クティラ皇女は生気の抜けた無感情な瞳で私を見下ろすと、無言で背を向けて遠ざかっていく。


「待……て……!」


 物言わぬ彼女の背中に必死で手を伸ばし――そこで私の意識がぷっつりと途切れた。

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