第28話 取引


 商人アッハンが持っていたカタログから、敬愛する幽玄提督閣下の忠実なコスプレ衣装を含む10種類の船長服データを入手することができて私は大満足である。


 まさかこんな公宙域で幽玄提督閣下の衣装を手に入れることができるとは思っていなかった!


 生前は、宇宙船を買うために泣く泣く我慢していたのだ。それを今回、宙賊から救った報酬として提示されるとは何たる幸運! 助けた甲斐があったというものだ。


 早速”混沌の玉座ケイオス・レガリア号”に帰船して試着しなければ!


「喜んでいただけましたかぁ?」

「ああ。もちろんだとも! たくさんある中から10種類だけしかダウンロードできないのは残念だったが……。よくこのデータを手に入れたな。当時のカタログデータだろう?」

「今回の星間移動の直前に偶然手に入ったのですぅ。宙賊に襲われた際、何としても手放してはいけないと商人の勘が囁きましてぇ、データが入っているタブレット端末を咄嗟に自慢の胸の中に突っ込んだのは正解だったようですねぇ。アハーン!」


 相変わらずのセクシーポーズ。豊満な胸がチカチカと眩しい。

 なぜだろう。慣れてはいけないはずなのに、どうしようもなく慣れ始めている自分がいる……。

 くっ! 気をしっかり持つのだぞ、私! 状況に流されて受け入れてしまってはいけない!


「それにぃ、骸骨のセンチョーさんのぉ、幽玄提督閣下を彷彿とさせる凶悪で凛々しい立ち振る舞い! 一目見ただけでぇ、すぐにピンときましたのぉ! わたくしは骸骨のセンチョーさんと出会うためにこの船に乗ったのだと!」

「そ、そうか……? 幽玄提督閣下を彷彿させたのか、この私が……? くっ! 恐れ多い……しかし、とても嬉しいぞ!」

「もはや幽玄提督閣下の後継者と言っても過言ではありません!」

「こ、後継者……!」

「骸骨のセンチョーさん。わたくしと取引をしていただけませんかぁ? 幽玄提督閣下と英雄戦隊が取引したように」

「いい――っ!?」


『いいだろう』と即答しかけたところで、私はなんとかギリギリ言葉を呑み込んだ。

 危ない危ない。おだてられてつい頷くところだった。


 私が敬愛する幽玄提督閣下ならば、敵の甘言に乗せられて即答することなど決してない! 閣下は恐ろしいほど理性的であり、冷酷であり、狡猾なのだ!


 彼に憧れる私が迂闊に即答していいだろうか。いや、よくない。

 寸前で思い出せてよかった。


『ゴブゴブ』


 け、決して、ツバキが片手にペシペシとハリセンを打ち付けながら薄ら寒い威圧感を醸し出しているから言葉を呑み込んだわけではないぞ?

 逆らえない圧力を放つ小柄な体を前に、すぐさま正座して謝罪したい衝動に駆られたり、『鬼嫁』とか『恐妻』という言葉を思い浮かんだりしたわけではないからな! 

 ち、違うぞ? 彼女の背後に般若がチラついているのも、げ、幻覚だからな!


「ふぅー……」


 私は一度心を落ち着ける。意識がスッと冷えていく。


 商人を相手に安易に頷くのは危険――これは常識だ。それにアッハンは油断ならないと警戒したばかりではないか。


 彼女の派手派手しい衣装やセクシーポーズ、残念な変態性にばかり注目してしまい、甘ったるい口調は比較的普通だと錯覚して受け入れてしまう。その結果、アッハンの言葉はまるで遅効性の毒のようにじんわりと蝕んで、こちらの警戒心を薄くさせてしまうのだ。


 まったく。恐ろしい女だ。警戒レベルを引き上げなければ。

 私はアッハンに向き直り、幽玄提督閣下のように尊大な口調で冷たく命じる。


「アッハンよ。話を聞くだけ聞いてやる。回りくどい話は抜きだ。嘘偽りなく簡潔に疾く述べよ」

「かしこまりました――」


 セクシーアピールをしていた彼女は、スッと姿勢を正して別人のような真面目な商人の顔つきとなり、洗練された所作で45°ほどの最敬礼をする。


「単刀直入に申し上げますわ。どうかわたくしの荷物を宙賊『黒鯨ブラックホエール』から取り戻していただけませんか?」


 む? アッハンの荷物を取り戻す、だと?


「わたくしはもともと別の船に乗っており、着の身着のままこの船に避難しましたの。荷物や商品を乗せた船は宙賊の手に渡ってしまい、逃げた一隻に牽引されてしまったそうですわ。その荷物を取り戻してほしい、という依頼です」

「そんなの周辺の国の宇宙警察に任せれば良いだろう?」

「ここは公宙域。近隣の星間国家の宇宙警察に任せていたら最短でも数ヵ月はかかるでしょう。『黒鯨ブラックホエール』は骸骨のセンチョーさんたちのおかげで甚大な被害を負っています。攻め時は今しかありませんわ」


 ふむ。確かにアッハンの言う通りではある。

 ここはどこの国にも属さない公宙域。星間国家の捜査権は無いに等しい。手続きをするだけでも時間がかかるし、動き出すにはさらに時間を要するだろう。


 その間に『黒鯨ブラックホエール』は拠点を移動させるはず。宇宙は広大だ。一度逃げられれば捕まえることはおろか探し出すことさえも困難だ。だから『黒鯨ブラックホエール』のような宙賊が蔓延るのだ。


 その点、私たちはどこの国にも所属していないし、法律ルールにも縛られない。ルルイエが捕捉しているから、すぐさま『黒鯨ブラックホエール』を追うこともできる。


「しかし、なぜニンゲンのために面倒なことをせねばならんのだ。私たちは便利屋ではないぞ」

「これは取引。もちろん相応の報酬を支払いましょう。成功報酬に英雄戦隊シリーズの全巻データセットはいかがでしょうか?」

「よし、うけたまわ――」

『ゴブッ!』


 ――パァァンッ!


「あいたっ!?」


 響く爽快な音。頭蓋骨を揺らす軽い衝撃。そして、怒ったツバキの声。

 ジャンプしたツバキがハリセンを一閃して私の頭を叩いたのだ。

 痛みはほとんどなかったものの、大きな音に反射的に『痛い』と叫んでしまった。

 私は叩かれた場所を撫でながら、


「なにをする、ツバキ。びっくりするではないか」

『ゴーブッ! ゴブブッ!』

「しかしツバキよ。英雄戦隊シリーズの全巻データセットだぞ? 幽玄提督閣下をいつでも鑑賞できるのだぞ?」


 ――パァァンッ!


「あいたっ!? なぜもう一度!?」

『ゴブゥ……』


『ダメだこりゃ』と言いたげに肩を落としたツバキは、タタタッとどこかへと駆けだしていく。彼女が向かった先は、なおもエプロンを求め続けるエプロン狂い、もといルルイエのところだ。


「これと、これと、これも頂きましょう」

「ちょ、ちょっと待て! どれだけ買うのだ!? も、もうやめろぉー!」

「おぉ! このデザインもいいですね! 素晴らしいエプロン様です!」


 ホログラム状に映し出されるエプロンをうっとりと眺めるルルイエ。その彼女の背後でツバキがピョンッと飛び上がり、空中で体をひねってハリセンを華麗にフルスイング。


「これも買い――」


 ――パァァンッ!


「あいたっ!?」


 実に良い音が鳴り響いた。

 叩かれた後頭部を撫でながらルルイエが怪訝そうに振り返り、


「一体何ですか……って、ツバキではありませんか。どうしましたか?」

『ゴブゴブ!』

「なぜ引っ張って……って、あ! まさかマスターが何か迷惑を?」


 なぜ私が迷惑をかける前提なのだ? 


『ゴブ!』


 そしてなぜツバキは頷いたのだ? 解せぬ!


「まったく。世話の焼けるマスターです。ワタシがいないと本当にダメダメなんですから。気に入ったものを一括購入。エプロン様のデータをダウンロードしてっと……はい、行きましょうか、ツバキ」

『ゴブ!』

「ぬおおおっ! ボ、ボクの貯金が……数億も入っていた口座が底をついて……」


 なにやら一名床に崩れ落ちて慟哭しているが、二人は一切振り返ることなく私の元へ戻ってきた。

 ルルイエは腰に手を当てて仁王立ちし、ツバキもそれを真似して、威圧感丸出しの女性二人に私は睨まれる。


「それで、マスター? 遺言は?」


 刑がもう確定しているだと!?


「待て。まずは話を聞いてくれ。アッハンから取引があったのだ。報酬を支払うから『黒鯨ブラックホエール』に奪われた荷物や商品を奪い返してくれ、とな」

「提示された報酬は?」

「……英雄戦隊シリーズの全巻データセット」

「話になりませんね」


 ぐはっ!? そ、そんなにバッサリ切り捨てなくても……。

 英雄戦隊シリーズの全巻データセットだぞ? 2000シリーズ以上あるのだぞ? 航行中に鑑賞会ができるではないか!


「はぁ。これだからマスターは……」

「わたくしの荷物の中に愛用のエプロンが入っていますわ」

「それを早く言ってください! 早速エプロン様の救出に――」


 ――パァァンッ!


「あいたっ!?」

『ゴブブッ! ゴブッ! ゴブゥー!』

「し、しかしツバキ。エプロン様が……助けを求めているエプロン様が!」

『ゴブッ!』


 ――パァァンッ!


「あいたっ!? なぜもう一度!?」


 ルルイエは叩かれた場所を撫で、ツバキは眦を吊り上げて腕を組む。

 ツバキが大層お怒りである。

 いつの間にこんなにも頼もしく成長したのだ……。

 私はツバキのあまりの成長速度に感動と寂しさを禁じ得ない。


「――話は聞かせてもらったぁ! ボクの荷物も取り戻せっ! 英雄たるボクの荷物だぞ! …………じゃないとパパとママに怒られる。大事なデータが……」

「ほう? 、とな?」

「あ、いや……取り戻してください。お願いします……」

「私からもいいでしょうか!?」

「……まったく。次から次へと」


 泣いた跡が残る御曹司のお坊ちゃんが縋りついてきたと思ったら、次はこの船の船員たちがズラリとやってきた。代表はあの土下座をした男である。


「『黒鯨ブラックホエール』に奪われたのはお客様のお荷物だけではありません。お客様や我々の同僚も誘拐されています。だから、一刻も早い救助をお願いできませんでしょうか!?」


「「「お願い致します!」」」


 面倒な……。

 救難信号が出ている。直に救助も来る。なのになぜ私たちに頼むのだ。そういうのは警察の仕事だろうに。


「なぜ我らがニンゲンの言うことなど聞かねばならん?」

「報酬はこちらに! 船内からエプロンを掻き集めて参りました!」


 船員の男が指し示す先には、船内で使っていたであろう業務用エプロンがこんもりと山積みされていた。


「こ、こんなにもたくさんのエプロン様が!?」


 大量のエプロンを提示されてルルイエはキラキラと瞳を輝かせ、『ぜひ依頼を受けましょう!』という無言の訴えを伝えてくる。その背後ではハリセンの素振りを開始するツバキの姿が……。


「骸骨のセンチョーさん。こちらも報酬に追加致しますので、どうか何卒……」

「……なんだこれは?」


 アッハンが差し出してきたのは、小型タブレット端末に似た板状の機器だ。


「これはナノマシンフィギュアプリンターですわ。データをインストールすれば、瞬く間に緻密なナノマシンフィギュアが形成されますの。そしてこちらがデータカード」


 虹色に輝く胸の前で扇状に広げられたデータカードに私は愕然と言葉を無くす。


「ま、まさかそれは……!?」

「幽玄提督閣下のナノマシンフィギュアのデータカードですわ。そのままの立ち姿や戦闘シーンなど、すべてコンプリートしてあります」

「すべてか……? 劇中では登場しなかった閣下の本気モード、三種の神器を構えたのデータもあるのか……!?」


 激レア中の激レア。受注販売なのに当時は受注が少なく、幻のフィギュアとも言われる幽玄提督閣下の本気の戦闘モードのデータが、まさか……。


 データカードに釘付けになった私へと、蛇のように口を開いてアッハンが甘く囁く。


「もちろん。大鎌、魔導書、銃、三つの武器を同時に構えたデータもございますよ……」

「本当かっ!?」

「わたくしは商人ですもの。交渉の場で嘘はつきませんわ。ただし、前報酬でデータの半分、残りのデータは成功報酬とさせていただきましょう」


 アッハンはデータカードの半分を己の深い谷間の中に隠してしまう。


 くっ! 前報酬に半分、残り半分を成功報酬だと!

 取引を反故にしないよう万が一の保険というわけか。


 最初からフィギュアのデータのことを提示しなかったあたり、この展開を読んでいたのだろうか。


「……殺して奪ってもいいのだぞ?」

「あらぁ! 幽玄提督閣下はすべて暴力で解決するお方でしたか?」

「…………」

「ええ、違いますとも。何事も暴力で解決していたのはブリリアントゴリンティウス49世。幽玄提督閣下ではありません。閣下は冷酷なほど理性的。そこが良いところであり、恐ろしいところでもありましょう。閣下は、必要とあらば敵である英雄戦隊とも協定を結び、共闘しました。閣下のお姿を彷彿とさせる骸骨のセンチョーさんは、今ここでわたくしを殺し、閣下のデータを我が物と致しますか?」


 ぐぅ! 痛いところを突いてくる……。

 アッハンの言う通りだ。今の状況だったら、閣下は脅すことはあっても、よほど無礼な態度を取らない限り殺すことはしないだろう。だからこそ、閣下に憧れる私がアッハンを殺してデータを奪ってはならない。

 やはり侮れん。まさかここまで幽玄提督閣下のことを知っているとは!


「……よく調べてあるな」

「恐れ入ります」


 優雅に一礼したアッハンが、商人らしい微笑みを浮かべてスッと手を差し出してくる。


「骸骨のセンチョーさん。どうかわたくしの依頼を受けていただけませんか?」


 正直、即答して頷きたいところだが、先ほどツバキに叩かれた経緯もある。念のため仲間の様子を……って、ルルイエ! 『早く受けてください!』と猛烈な威圧感を放つ無表情で見つめるんじゃない! 瞬きしないからホラー映像みたいで怖いんだぞ!


 そして、ツバキは……なんだか肩をすくめて投げやりになっている。暴走寸前のルルイエがどうしようもできないことを悟って、説得を諦めたらしい。『もうお好きにどうぞ』と言いたげに頷く。


 ルルイエもツバキも反対意見はなさそうだ。


「アッハンよ。荷物を取り戻す確約はできんぞ?」

「もちろんでございます。もし荷物を取り戻せなくとも『黒鯨ブラックホエール』を壊滅させれば、残りのデータをお渡ししましょう」

「……いいだろう。取引成立だ」


 私は骨の手でアッハンの柔らかな手を握る。取引成立の握手だ。

 こうなっては仕方がない。幽玄提督閣下のフィギュアデータのためだ。宙賊ごとき、いくらでも叩き潰してやろう!


「アハーン! よろしくお願いしますぅ、骸骨のセンチョーさぁーん!」

「ぬおっ!? 急に変態に戻るな! 手を放せ! 胸に当たっている!」

「アハーン! つい嬉しくてぇ! 骸骨のセンチョーさんはお嫌ですかぁ?」


 アッハンは握った私の手を自らの豊満な胸に押し当て、長い睫毛をパチパチと瞬かせてあざとく上目遣い。

 嫌というわけではないが、良くもない。

 男なら心がくすぐられる状況なのに、なぜだろう。興奮は皆無。感情も無に近い。

 相手がアッハンだからだろうか? それとも私が骸骨スケルトンだからだろうか?

 むしろこのまま胸の谷間に手を突っ込んで、データカードを掠め取ってやろうかとさえ思う。

 そんな邪な考えを抱いていると、


『ゴブゴブゴブブー!!』


 ツバキが間に割り込んできて、乱暴にアッハンから引き剥がした。

 眦を吊り上げた彼女は、ふと己の平たい胸を見下ろし、そして潤んだ深紅の瞳でキッとアッハンの巨大な胸を睨め上げる。と、


「あらあらぁ。女騎士ナイトさんったらぁ。可愛らしい嫉妬ぉ! アッハーン!」


 わざとツバキを煽って虹色の胸を強調するセクシーポーズを披露するアッハン。

 どこかで『ブチッ!』と何かが切れる音がした。


『ゴッブゥー!』


 弾丸のように飛び出したツバキは、一瞬にしてアッハンの懐に潜り込むと、貰ったばかりのハリセンを鋭くアッパースイング。強烈な一撃をアッハンの下乳にお見舞いする。


 ――スパァァンッ!


「アッハーーンッ♡ 強烈ぅぅううううう!」


 身悶える変態アッハンになおも追撃する私怨丸出しのツバキを、私は慌てて羽交い締めにするのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る