第19話 復讐


「グアッ!?」


 高速移動をしたルルイエに蹴り飛ばされて、ウィアードはテーブルや椅子を破壊しながら建物の壁に激突。轟音とともに瓦礫に埋もれて見えなくなった。


 瓦礫の隙間からゆっくりと血溜まりが広がっていく。


 無感情にそれを眺めたルルイエは、また忽然と姿を消し、気づいたときには別の場所に移動している。


「逃がしませんよ、『瞬風』のファンシフル」

「こ、こりゃ参ったねぇ……!」


 混乱と喧騒に紛れて、片腕を失ったファンシフルは逃亡を図っていたようだ。

 斥候ということで気配を殺す技術は一流。人々の意識の間隙を突いて密かに逃げようとしていたことに、ルルイエ以外誰も気づいていなかったのではないだろうか。


「どこでゴブリンのことを知ったんですかねぇ……って、まさか!」

「ええ。ヴァーリンという女から聞き出しました」


 血を失って青い顔のファンシフルは、なおも飄々とした態度は崩さず、あちゃー、と余裕そうに唸る。


「ヴァーリンのお嬢が帰って来ねぇのはそういうことですかい。ヴァーリンのお嬢は殺したんですかい? それともまだ生きてるんですかねぇ?」

「まだ生きてはいますよ。生きては」

「なんだか意味深な言い方ですねぇ」


 状況を理解していないのか、それとも理解しているからこそなのか、彼はヘラヘラと笑い、


「ここはお互いに悪かったっていうことで、話し合って手打ちにしねぇですかい? 復讐なんて何も生まねぇことはやめてさぁ。ねぇ?」

「復讐は何も生まない……? ククッ……アハハハハ! ハハハハハ!」


 突然、狂ったように酷薄に哄笑し始めたルルイエに、対峙しているファンシフルも少し離れた場所にいる私も困惑して動きを止める。と、


「――そんなものとうに知っていますよ。それで? だからどうしました? そんな綺麗事でワタシが復讐をやめるとでも? 何も生まなくとも、たとえ自分がどうなろうとも、ワタシは復讐をやり遂げます。ツバキを殺したお前がのうのうと生きていることが赦せませんから」


 ひとしきり笑った彼女は、一度復讐の鬼になり下がったことがある者特有の独特な昏く美しい笑みを浮かべた。見ているだけで身の毛もよだつほど鋭く寒々しい雰囲気だ。


「お、おっと……藪蛇でしたかねぇ……」


 話し合いでは絶対に解決しないことを理解して、戦意を喪失させたファンシフルは『降参』を表すように片手を上げ――その手の勢いを利用していくつもの暗器を投げ放つ。


 ルルイエに猛然と迫る何本もの投げナイフ。しかし、それが彼女の体に届くことはない。30センチほどまで近づいたナイフは、ことごとく塵と化して消滅する。


「チッ! 効かねぇですか。完全に不意をついたつもりだったんですけどねぇ」

「ヴァーリンからお前のことは聞いています。そのような攻撃をしてくることは予測済みでした」

「ヴァーリンのお嬢めぇ……! ん? ぬおぉ……?」


 舌打ちをして体勢を整えようと後退ったファンシフル。しかし、その体が本人の意思に反してゆっくりと背後に倒れていく。


「相手の得意なことを封じる。これは戦術の基本です」


 自分を見下ろすルルイエの言葉は、床にバタリと倒れた彼に届かない。


「ぎゃあああああああっ! 脚がぁぁあああああああああっ!」


 ルルイエの言葉は最もだ。素早い動きを得意とする斥候職を封じるには、まず脚をどうにかすればいい。


 腕だけでなく両脚も切断されたファンシフルは、もう抗う術がない。飄々とした余裕な態度はどこへ行ったのか、激痛に泣きじゃくり、叫び、血を流し続けている。


 このまま何もせずとも数分後には失血死するだろう。


 だが、復讐に身を委ねるルルイエがそれで終わりにするはずがない。

 冷酷に瞳を光らせ、感情を感じさせないのっぺりとした無表情で、彼女はゆっくりと美しい足を振り上げる。


「苦しんで死ね――」


 ――グシュッ!


 咄嗟に視線を逸らした私の存在しない耳に、声にならない男の絶叫と、股間付近で何かが踏み潰される音が聞こえた。

 おっふぅ。そ、それはさすがに私も元人間の男としてファンシフルに同情を禁じ得ないぞ……。


「ア、アガッ……!」

「おや。まだ死にませんでしたか。痛覚を鋭敏にしたのですが」


 え、えげつない……痛覚を鋭敏にして男の象徴を踏み潰したのか! 生きていたとしても痛みで正気を失っていそうである。

 ルルイエを怒らせないよう気をつけよう。


「やはり確実に息の根を止めましょう」


 ルルイエは、白目を剥いてビクビクと痙攣するファンシフルの心臓に人差し指を向ける。指先に凝集する眩い光。あのチクなビームと同じ光だ。


「…………」


 無言で小さなビームを撃ち放ち、ファンシフルの心臓を穿つ。

 心臓だけではない。額、喉、鳩尾と、次々に容赦なく、確実に、非道なまで冷静かつ冷酷に、万が一の可能性すら残さずビームで撃ち抜いて、ルルイエは復讐をやり遂げた。


 ファンシフルが完全に死んだことを確認し、最後に死体を冷たく見据え、ルルイエは顔色一つ変えずに私のもとへと颯爽と戻ってくる。振り向いた彼女の黒髪がふわりとたなびく。


「報告。『瞬風』のファンシフルを殺しました」

「ああ。よくやったぞ」

「……どうしてマスターは内股なのですか?」

「ちょ、ちょっといろいろあってな……」


 あんなものを見せられたら、元人間の男の心理として股間がヒュッとなってしまうだろう!? 今の私に股間は存在していないが!


「ゴホンッ! ルルイエよ。私の復讐まで奪わないでくれないか」

「ウィアードには手加減しました。まだ死んでいません」

「だが、瀕死じゃないか」


 瓦礫の下に埋もれたままの剣士のウィアードは、起き上がる気配がない。早くしないと死んでしまう。


「まあ、手加減してくれただけ感謝しよう」


 次は私の番か……って、ん? なんだ?


「お前ら! 囲め!」

「「「おうっ!」」」


 いざ復讐を遂行しようとすると、周囲を冒険者たちが取り囲み、各々武器を構えて戦意を漲らせている。


 まったく。なぜこのタイミングで……。


 ここは冒険者ギルド。彼らの本拠地だ。これだけ暴れればそりゃ敵認定もされる。だが、いささか対応が遅くないか?

 私は邪魔をされた不機嫌さを隠すことなく煩わしげに告げる。


「邪魔しないでもらおうか、ニンゲンども」

「何者か知らないが、ここは俺たちの本拠地ホームなんだ。大人しく捕まって牢屋おりの中に入れ。それともこれだけの数を相手にするつもりか?」

「ククク……それも悪くない」


 ザワリと動揺する冒険者たち。まさか抵抗するとは思っていなかったのか? だとしたら考えが甘いな。甘すぎる。


「そうそう。何者か知らないと言ったな? 私はこういう者だ」


 着ていたフードを脱ぎ捨てると、今度こそはっきり冒険者たちが騒めいた。


「ア、アンデッド! スケルトンだと!?」

「隙だらけだぞ、ニンゲン」


 カタカタと骨を鳴らして酷薄に笑った私は、魔導銃アル=アジフの引き金を引く。流し込まれた魔力を増幅し、魔弾として射出。私の魔力制御によって複雑な軌道を描いた弾は、武器を構えていた冒険者たちの眉間をあっさりと貫通する。


 取り囲んでいた冒険者たちがその場に崩れ落ち、床に倒れた時にはもう絶命している。

 しかし、ギルド内にいる冒険者はこれで終わりではない。二陣、三陣とまだまだいる。


「やれやれ。ニンゲンは次から次へと湧いてくる。実に面倒だ」

「進言。マスター、ここはワタシにお任せを」

「ほう。ならば頼む」

命令受諾アクセプト


 ルルイエが頷いた直後、彼女の体から火山の噴火を思い起こさせる圧倒的な魔力の奔流が迸った。空間そのものが揺れ、ゴォッと爆風が吹き荒れる。


 己の魔力許容量を超える膨大な魔力を浴びたニンゲンたちは、当然意識を保っていられず、パタパタと気絶していく。


 なんという力技だ。しかも綺麗に私だけ対象外にしていたし。

 これだけの濃密な魔力を受けたら命にも関わるだろうに……まあ、知ったことではないか。


「ご苦労、ルルイエ。よくやったぞ」

「ありがとうございます」

「あとは私に任せるがいい。ルルイエはツバキのコアを探してくれ」

命令受諾アクセプト


 頷いたルルイエは、進路上の邪魔なものはすべて吹き飛ばして、冒険者ギルドの建物の奥へと消えていく。

 ルルイエに任せておけばコアの奪還は確実だろう。


「さてと――ん?」

「オオオオオオオオオオオオッ!」

「ちょうどいいタイミングだな」


 突如、獰猛な獣の咆哮のような怒号が大気をビリビリと震わせ、瓦礫が吹き飛んだ。瓦礫の下から現れたのは、ゆらりと立つ片腕を失った血だらけの大男だ。

『震剣』のウィアードが復活したらしい。満身創痍ながらも瞳は怒りでギラギラと鈍く輝いている。

 まるで手負いの猛獣だな。こうなった時が一番危険で油断ならない。


「赦さねェ……赦さねェぞ! 殺してやるっ!」

「それは私のセリフだ」


 ウィアードが腰を落として猛然と襲いかかってくる前に、私は愛用の魔導銃アル=アジフの引き金を引き、ルルイエを見習って彼の膝を撃ち抜く。


「ガアアアアアアアアアアッ!」


 足を一歩踏み出したところで、ウィアードは盛大に転倒する。

 生物は関節を動かして体を動かす。なので膝を撃ち抜いてしまえば彼は歩くことも立ち上がることもできない。


 相手を殺さず無力化する場合、関節を狙うのはとても効率的で有効な手段だ。


 近接戦闘ではツバキにすら劣る私が大柄な剣士を相手に正面から勝つことなど不可能。これは試合ではなく殺し合いである。あらゆる手段を用いて最後に生き残っていたほうが勝者なのだ。悪く思うなよ。


「アル=アジフ」


 放たれた大量の小さな魔弾が床に倒れた仇敵の体に容赦なく降り注ぐ。


「グオオオオオオォォ……!」

「これくらいで死んでくれるなよ、ニンゲン」


 土属性の魔弾が体を穿ち、風属性の魔弾が皮膚を斬り裂き、火属性の魔弾が肉を焼く。雷属性の魔弾が全身を痺れさせて気絶を許さない。


 あぁ……何も感じない。苦しみに歪む仇敵を見下ろしても何の感慨も湧かない。気分が晴れることはない。

 この心の虚無をどうすればいい……?


 私は淡々と攻撃し続ける。


「ツバキの痛みと苦しみを、ツバキを喪った私たちの怒りと憎しみを、思い知るがいい――」


 裁きの槍のような魔弾が仇敵の体を刺し貫く。


「ゼェ……ゼェ……クソッ……クソクソクソッ!」


 しぶといな。まだ悪態つく余裕があるのか。

 床に縫い付けられたウィアードは虫の息でも私を睨み続けていた。奇しくも私が向けるものと同じねっとりと淀んだ憎悪の目だ。


「――もう終わらせようか」


 どれだけ傷つけても何も感じないので、仕方なく銃口をウィアードの額に向ける。

 あとは引き金を引くだけですべてが終わる。なのに男は獰猛に笑っていた。


「オレはまだ死なねェ――!」

「む?」


 その時、残った左手に何かが握りしめられていることに気づく。


 それは宝石の原石に似た洗練されていない無骨な塊だった。色は黒。黒曜石のような艶やかな漆黒ではなく、コールタールや原油といった不快感を抱かせる脂ぎったドス黒さだ。


 私はそのおぞましく禍々しい黒い結晶に本能的な嫌悪を抱く。以前、ルルイエが再封印した戦略級魔法が込められている魔宝石とよく似た雰囲気を放っている気がした。


「アハハハハ! 死にやがれェェエエエ!」


 男が嘲笑しながら拳で思いっきり黒い結晶を砕く。

 ま、まさか、この結晶にも強大な魔法が封じ込められているのか!?

 身構える私。高笑いする『震剣』のウィアード。



 ――しかし、何も起こらなかった。



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