第4話 僕らは何の準備もないまま引き裂かれる
「真咲君、これを見て」
そう言って杏沙が胸元から取り出したのは、時計のチャームがついたネックレスだった。
「これは今、父が研究している不確定時空の発生防止装置。今、この街には生命の存在を不確定にする時空連続体が時々発生しているの。うっかり触れたら意識を弾き飛ばされて抜け殻になってしまいかねない危険な現象よ」
「いつもながら、さっぱり意味がわからないんだけど」
「まあ、竜巻みたいなものだと思えばいいわ。研究の副産物かどうかはわからないけど、時空の渦が普通の空間の一点に現れて、触った人間から意識を抜き取ってしまう……そういうことかな」
「意識を抜き取られる……」
「このネックレスはその時に意識を飛ばされないよう、現実の肉体に繋ぎとめておく装置よ。本来、意識を飛ばす実験は座標を固定させたカタパルの上で行う物なの。そうしないと出発時空に……わかりやすく言うと元の身体に意識が戻ってこられなくなるから」
「戻ってこられなくるって、そんな……」
「ね、これで私がやろうとしていることがどれだけ危険な実験かわかったでしょ?事故で発生した不確定時空にうっかり触れたりしたら、下手をすると永久に元の身体に戻ってこられないかもしれない」
「じゃあ僕も行くよ」
「真咲君が?」
「七森博士に直訴すればいいんだろ?僕だって幽霊になった経験があるし、適性はありますよねって」
「だめよ」
杏沙はいつになく強い口調で言うと、「絶対にだめ」とつけ加えた。
「真咲君、この世界から私が消えたとして、いつか別の姿で戻って来たらほんの一瞬でも私だと思ってくれる?」
「別の姿とか一瞬とか、縁起でもないこと言うなよ。たとえ犬や猫になったってわかるに決まってるだろ。僕らは一緒に侵略者との戦いを生き延びた戦友なんだぜ」
「……そうね」
杏沙は珍しく僕の言葉に素直に頷くと「侵略者かあ」と言った。
「いま振り返って見たら、ちょっと面白かったかもね」
杏沙がまるで消えてしまいそうな淡い微笑みを口元に浮かべた、その時だった。ふいに警告音のような音が空気を震わせ、杏沙が取り出した携帯から七森博士の物らしい切羽詰まった声が流れだした。
『杏沙、今いる場所から離れるんだ。この街に発生した「ねじれ」がお前のいる地点に向かって動き始めた』
「なんですって?」
『準備不足のまま不用意に近づくと身体と意識が「分離」する危険性がある。少なくとも数メートルは離れていなければ危ない』
「わかったわ。……真咲君、公園を出ましょ。さっき言った『不確定時空』がここに近づいてるみたい」
「やれやれ台風みたいだな。……わかった、行こう」
僕と杏沙が遊歩道から外れそのまま公園の外に向かおうとした瞬間、背後で「ボンちゃん!」という叫び声が聞こえた。振り返ると、立木の根元に現れた極彩色の渦に獲り込まれそうになっている子犬と駆け寄ろうとする老婦人とが僕の目に飛び込んできた。
「――駄目っ」
杏沙は突然そう言って身を翻し、子犬を抱きあげようとしている老婦人の元に駆け寄った。
「こ、これは何?」
極彩色の渦に子犬ごと取り込まれそうになっている老婦人に、杏沙は「もう間に合わない、これを!」と叫んで自分の首から外したネックレスを老婦人の首にかけた。
「――ああっ!」
「七森!」
僕が二人のいる立木の方に駆けだした瞬間、極彩色の渦が杏沙の全身を包みこんだ。
「…………」
渦はほんの二、三秒杏沙を包みこんだ後、まるでCGか幻だったかのようにその場から消滅した。
「七森……七森っ!」
僕は目を閉じぐったりとなった杏沙の身体を抱きとめ、強く揺すった。だが杏沙は目を開けず、揺すった身体も力を取り戻すことはなかった。
『杏沙、どうしたんだ杏沙。なにがあった?返事をしなさい』
杏沙のポケットから転がり落ちた携帯から、七森博士の緊張した声が漏れだした。はっとした僕は、携帯を拾うと「博士……僕です、真咲です。杏沙さんがおかしな渦に巻き込まれて意識を失いました、助けて下さい」と叫んだ。
『真咲君?どういうことだ、まさか……』
博士の沈黙とぴくりとも動かない杏沙に、僕は最悪の事態が起きつつあることを悟った。
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