第16話 らぶこめ
部屋に女性を招くというのは大変緊張する。
樹木が入り浸ってくれていたおかげか、部屋が片付いていたのが不幸中の幸いといったところだ。
その樹木は、無駄な気をかせてくれていて、今はこの部屋にはいなかった。だが、どこか違うところで見ている事には間違いない。どうせ市井さんには姿が見えないのだから近くにいてくれれば良いのに。
ちょこんと座った市井さんがこちらを見ている。とりあえず話しかける事にしよう。
「ベータ、遅れるんだって」
「うん、そうみたいだね」
「…………」
「…………」
困った、会話が続かない。普段は問題なく会話が出来ているのにどういうことだろう。多少緊張しているとは言え、流石に意識しすぎである。やましい気持ちなんかこれっぽちもない。
そうだ『ひまわりでいず』の中での市井さんはゲーム好きだった。一ヶ月の会話の中で話題にしなかったのが不思議なくらいだ。日本的なRPGが好きで、オンラインよりオフライン派だった。なので話題に上がるゲームのタイトルが古めなのを覚えている。主に三十代の僕が小学生の時にハマったタイトルだ。多分作者の年代がそのくらいなのだろう。
「市井さんってゲーム好き?」
「えっ? なんで?」
市井さんはちょっとびっくりしている。思いがけない反応だ。もっと楽しそうに食いついてくるかと思ったのに。僕は逆に言葉に困ってしまった。
「あ、いや、好きかなーと思って」
「あ、うんと、す…ううん、普通かな………」
あれ?今言葉を飲み込んだような?もしかしてゲーム好きって秘密なのか?
「そうだよね、普通だよね…僕も普通…ははは」
突っ込んで良いのか分からないのでとりあえず笑ってごまかす。そして再び沈黙。
そうだ『ひまわりでいず』の中での市井さんは可愛いもの好きで、特にネコが好きだった。この話題ならきっと問題なく食いついてくれるはず。ゲーム好きというのは少し恥ずかしかったのかもしれない。最近のスマホゲーなんかではなくレトロゲー好きなんて、きっと女の子だと言いづらいだろう。きっとそうだ。
「これ、最近見つけた猫の動画なんだけど、すごい可愛いから見てみる?」
僕はスマホを市井さんに手渡した。
「わあ、見たい! ありがとう」
市井さんは満面の笑みでスマホを受け取ると、食い入るように動画を見始めた。猫の一挙手一投足に歓声を上げ、愛おしそうにコロコロと表情を変えている。
とりあえず一安心だ。僕の発掘したネコ動画はまだまだある。しばらくは間が持つだろう。
ベータが遅れてくることになったのは完全に意図的である。どういう意図かは分からないが、どうやらベータは僕と市井さんを近づけたいという気持ちがあることだけは、なんとなくだが分かった。今日、詳しい話を聞くことは無理だろう。明日、しっかり確認する必要がある。
しかし、二人きりというのはどうにも落ち着かない。一度心を落ち着けるためにトイレに行くべきだと判断した。立ち上がり、その場を離れようとした瞬間、
『ゴンっ』
鈍い音がした。市井さんが肘をテーブルにぶつけたようだった。バランスが崩れるコップ。それに気付き、痛みを堪えながら必死に手を伸ばす市井さん。そして、僕。
コップはバランスを取り戻した。僕と市井さんの二人の支えによって。
代償として、手と手が強く触れ合った。思わず素早く手を離す。沈黙が訪れた後、市井さんは顔を真っ赤にし、恥ずかしそうに笑った後、再びスマホに目を落とした。
元30代の僕は、とりあえず照れ笑いを浮かべただけだった。気が利いた言葉など何も出てこない。イケメンの才能ゼロだ。
僕はそわそわしながらベータの到着を待った。とても変な空気だ。ベータよ、さっさと来い。
しかし、まさかと言うべきか、やっぱりと言うべきか、ベータは来ることなく集まりは解散になってしまった。この空気感は明日へ持ち越しになってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます