第3話 コウコウセイノススメ
気が付くと、僕は鏡の前にたっていた。どうやら手を洗っている途中のようだ。制服を着た男子生徒が楽しそうに会話をしている。体格的に高校生だろうか。多分ここは学校のトイレだろう。
鏡をまじまじと見た。別にイケメンがそこにいる訳ではない。特徴もない、どこにでもいそうなありふれた顔が写っている。とてもよく知っている顔だ。そう、32年間付き合ってきた顔。
ただ、知っている顔なのに、皺もなく生気が
中年の自分ではない、高校生の自分がそこにいた。
「こんなに顔が変わってたんだな」 思わず口に出てしまう。
(おーい)
頭の中に直接声が届いた。い先程まで聞いていた可愛らしい声だ。だが、とても自分勝手な声。
(ごきげんようレン君。気分はどうだい?)
(体調はいい感じだ。健康な時を忘れていたよ。それで、ここはどこなんだ?)
頭の中で話をするのはなかなか難しい。周りの学生に変な人間と思われないだろうか。
(『ひまわりでいず』っていうアニメの世界さ。君はよく知ってるだろ? 『日常系』って言うんだって? 現実の世界とあんまり変わらないから用意するのは簡単だったよ)
「大好きなアニメの世界って『ひまわりでいす』の事だったのか…………」
『ひまわりでいず』――それは女子高校生4人組の日常を、ちょっとしたギャグを交えながら展開していく作品だ。原作はいわゆる萌え四コママンガ。そこを間違えてはいけない。
しっかりと季節のイベントをこなしながら、帰宅部として放課後の教室でダラダラと会話をする。それが物語の核であり、全てだった。めでたくアニメ化されたが、ブルーレイの売上が全く振るわず、それにつられるように原作も終わりを迎えた。なんとも寂しい結末を迎えた作品でもある。
(私もアニメは見るけど聞いたことない作品だな。まあ、とりあえず今日は入学式だ。これから始まる
三年間の大事な一歩目だな。しくじって、一人ぼっちになるなよ? 気合をいれないと。ガンバレガンバレ。はっはっはっはっ)
なんとも能天気な笑い声だ。僕的には全く笑い事ではないのだが。せっかく貰った機会をトイレで昼飯を食べる日々に費やしてしまったら笑い話にもならない。それなら今死んだほうがマシだ。
しかし、死神もアニメを見るんだな。
(もし元の世界に戻る事があるならブルーレイ貸してやるぞ。傑作だ)
(ぬぬ、それは気になるな)
樹木が悔しそうな声をあげる。表情が見えるような声の調子もあって、思わず笑ってしまいそうになる。不思議な空間で見た姿はかなり幼かった。色々と気が動転していたせいか、ハッキリと覚えていないが小学生か中学生くらいだったかもしれない。体格もそうだったが、やはりまだ子供なのだろう。
(だが、残念ながら、元の世界に戻る事はない。本当に最後の3年間なんだ。だから………思い残しが無いようにな…………)
『最後の三年間』 今更ながら心に重くのしかかってくる。自分は何をしたいんだろうか。何を残せるんだろうか。この『ひだまりでいず』の世界で。
(そういえば、何か特殊能力的な物はもらえないのか? 例えば時間を巻き戻せるとか、超能力があるとか)
(あるわけないだろ。ここは現実世界とほとんど変わらんと言ったじゃないか)
せっかく転生したの何もくれないのか……。その事実に愕然とする。転生作品主人公的にはかなりの負け組と言って間違いないはずだ。
と、その時だった。大事な事を思い出した。今日は『入学式』と言っていたはずだ。そしてここは『ひまわりでいず』の世界。ならば僕にしか出来ない事がある。
(樹木、聞いてくれ)
思わず大きい声が出てしまう。頭の中の会話のお陰で周りには気づかれていない。
(うるさいな。大声を出すなよ……。突然どうした?)
(アニメ第5話…………『はじめましてのその前に』――本編の0話的な話だ。アニメ、原作のマンガ共に第1話は入学式のエピソードから始まるのだが、もうその時点では主要人物の二人は友達になっていた。友だちになった経緯は、一話の段階でも会話の中に出てきたが、しっかりとは語られなかった。原作では連載が軌道に乗った頃、そう、第一巻の十二話で初めて語られたんだ。今思い出すなんてなんて迂闊なんだ)
(それで?それが重要な事か?)
何を当たり前の事を言い出すんだ。重要に決まっているじゃないか。
(作中屈指の神シーンなんだよ! ――――――今から正門へ向かう! 二人は遅刻してくるんだ!)
いてもたってもいられない。すぐに向かわなくては! トイレを飛び出すと、正門に向かって思いっ切り走った。こんなに全速力で走ったのは何年ぶりだろうか。いや、電車に乗り遅れそうになってよく走ったな。本当は走ってはいけない。ここで謝罪します。
転生してきたこの世界で何が出来るかなんて分からない。ただ――――もしこの世界が本当に『ひまわりでいず』の世界ならば――――作り物ではない、三次元の人間として存在している彼女達と関わっていきたいと思った。
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