超能力社会
やざき わかば
超能力社会
俺は様々な神通力、言わば超能力が使える、超能力者だ。
5歳のころに超能力に目覚め、その能力は時間と共に開花していった。
当初は念力、つまりサイコキネシスで軽い物を動かせるのみだったが、今は他に透視、念写も使えるようになり、念力のパワーも上がってきた。
せっかくの能力なので、公的な研究機関や、好事家らに披露しては、長年実験などに協力している。念力はまず、どの程度の重さまでを運べるのか、その有効範囲はどのくらいなのかを確認する。透視や念写も同じようなもので、有効範囲、全ての物質も透過するのか、綺麗に現像出来るのか、など。
身体的な調査も行われる。採血し、血圧、体重、身長を測り、脳波を診て、細胞を採取する。毎回の流れだ。しかし、今回は新たな発見があった。超能力の顕現には、遺伝子が関係しているとわかったのだ。
仮に「超能力遺伝子」と名付けられたそれは、まさに突然変異と言ってよく、何千万人に一人、何億人に一人の割合でしか発生しないという。まさに超能力は「持って生まれたもの」なのだそうだ。
難しいことは俺にはわからないが、この研究を進めれば、いつか人類皆超能力者、という世界が実現するかもしれない。実験材料である俺を含めた研究員たちは、そんな未来を夢見て沸きに沸いた。
それから数百年後。
人類は皆超能力者となっていた。学校や幼稚園では、まず超能力の使い方が教えられた。これを使えないと日常生活に支障を来す。念力で人を傷付けないように。他人のプライベートな部分を透視しない。念写で写生大会。念力で行われるスポーツ。
大人たちは超能力を使って仕事をする。腕や脚はほぼ使わない。プロスポーツや五輪も念力や透視の応戦だ。数百年前の、身体を使って仕事やスポーツをする原始的な時代ではないのだ。
そういう時代なので、人間は産まれたときから手足や身体が細く、頭が大きかった。そのように進化してきたのだ。別に珍しいことではない。
しかし最近、あえて身体を使ってスポーツをしたり、トレーニングをしたりする者が少しずつながら出てきた。彼らは「無能力」に憧れていた。胡散臭い本を読み漁り、超能力を消し無能力者になることを望んだ。いくら身体を使っても、「超能力遺伝子」があるからなのか、フィジカルが上がらないのだ。
そんな中、あるニュースが世界を震撼させた。手足や身体が太く、頭の小さい赤ん坊が産まれたのだ。早速研究機関にまわされた結果、赤ん坊に「超能力遺伝子」が存在しないことがわかった。産まれながらの「無能力者」の顕現だ。
それから数百年後。
人類は超能力に憧れていた。
結局のところ、人間は無いものねだりの権化らしい。
超能力社会 やざき わかば @wakaba_fight
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