TOWER~堕ちる者ども

多賀 夢(元・みきてぃ)

TOWER~堕ちる者ども

 それは個人面談というていを繕った、吊し上げでした。


「吉祥。いい加減に、本当の事を言ってくれよ」


 佐料先生は、そのよく通る声を何度も張り上げていました。実に必死の形相で、何度も机を叩きながら激しい説得を続けました。

 幾人かの女子生徒が、頭だけ出して教室を覗き見しておりました。彼女等の好奇の視線は、見目麗しい佐料先生と、その正面に座る吉祥さん――長い黒髪を丁寧に三つ編みにした、度の強い眼鏡をかけた色白の女子生徒――の動向に、全て注がれていました。

 吉祥さんは身じろぎもしませんでした。椅子に深く腰掛け背筋を伸ばし、膝の上で手の指先を綺麗に揃え、まるで高級な人形のようでした。


「黙り込んでいるのは、後ろ暗いことがあるからだな?後ろ暗いどころじゃないよな、一人のクラスメイトを死に追い込んだんだからな」


 佐料先生が机の天面を激しく一撃すると、見物人共は揃ってびくりと肩を震わせました。吉祥さんは何も変わらず、静かに、まるで池の淵から底を遠く見透かすように、佐料先生の瞳を見つめていました。


「ガンを飛ばすな吉祥!お前が図書室で一ノ瀬をそそのかしていたっていう、証言はもう上がっているんだ!いいか、お前がやったのは自殺教唆だ!タロットとかいうカードを使った、いわば殺人だ、人殺しなんだよ!」


 机を蹴る音が派手に響きました。吉祥さんはそれでも揺らがず、ひたすらに佐料先生から目を逸らさずにいます。

 この尋問は、もう一時間以上は続いていたと思います。それでも変わらない状況に、佐料先生は大きなため息と共に怒りを爆発させました。


「もういい。何も言わないなら、もう学校にその面を見せるな!」


 初めて吉祥さんが動きました。ゆったりとした仕草で立ち上がると、優雅に一礼して慌てる事もなく教室を去っていきます。見物人は慌てて顔を引っ込めましたが、今のやり取りを好奇心いっぱいに囁き合っておりました。





 吉祥さんは、もともと友達のいない人でした。

 いつも図書室の最奥部に引きこもって、分厚い難しそうな本を読みふけっていました。たまに女子生徒が彼女の元に訪れて、相談事をしていました。

 その時彼女が用いるのが、タロットカードでした。彼女の占いは当たると評判で、同学年だけでなく、上級生なども恋の悩みなどを持ち込んでおりました。


 佐料先生は、占いに否定的でした。

 非科学的。詐欺師。嘘八百。

 何度も何度も吉祥さんを窘めていましたが、吉祥さんは何も変わりませんでした。

 そこに甘えて、誰もかれもが彼女の元を訪れました。図書室というのに泣きわめく人もいましたから、吉祥さんの噂は知らない人はいませんでした。


 ですから吉祥さんを疑う人は、少なからずおりました。

 彼女が、何らかの目的で一ノ瀬さんを追い詰めたのではないかと。彼女が、占いという手法で一ノ瀬さんを洗脳したのではないかと。

 佐料先生の激しい怒り様も、あの場に居合わせた生徒には当たり前に見えたかもしれません。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



「――だけど、事の真相は違うんですよ。ねえ先生」


 崖っぷちに立つ教師・佐料の目の前に、病院にいるはずの一ノ瀬が立っていた。


「私は、吉祥さんにあなたの浮気について調べてもらっていたんですよね?ああ、違いますよ?私があなたの恋人だなんて、妄想はしていません。私の妹が、あなたに手を出されたんです」


 一ノ瀬は、大量の写真をばらまくように投げた。風でいくらか飛ばされたが、そこには十代半ばに見える少女が半裸状態で映っていた。


「奥さんも子供もいるのに、よく未成年に手を出せますよね。

 それにしても吉祥さんの占いはすごいわ、どこで何を手に入れるのか、いつ何が起こるのか、全て当たるんだもの」


 佐料の足はふらついていた。

 さっき飲んだコーヒーに違和感があったが、まさか一ノ瀬が一服盛ったのか。


「足元、危ないですねえ。それ、私じゃないですから。奥さんが自分の睡眠薬をたくさん混ぜたんですよ、あちらもとっくに気づいていたみたい」


 佐料の心は恐怖に満ちていた。

 普段なら大声で恫喝するが、薬のせいで腹に力が入らない、殴りたくても力が抜ける。立っているのがやっとなのだ。


「私の妹は、私と違って本当に死ぬそうです。体は生きていようとも、脳が死んだらおしまいなのですって。絶対生き返らないんですって」


 嗚咽で動きの止まった一ノ瀬を見て、佐料は逃げられると力を振り絞った。しかしその瞬間、彼の足元がぐらりと崩れた。


「吉祥さんが予言してくれたの! あなたは私の妹と一緒に、終わりを迎えるって! あなたは妹と一緒に死ぬのよ!」


 一ノ瀬を叫びは、佐料の悲鳴にかき消された。

 彼は自殺の名所と呼ばれる崖から、他の自殺者と同じように落下していった。





 翌日。

 一ノ瀬は、全てを報告しようと図書室の吉祥を訪れた。

「何」

 不愛想な吉祥は、相変わらず分厚い本を読んでいた。

「すべて終わったわ。けりをつけた」

 さわやかな顔をした一ノ瀬に、吉祥は一枚のカードをテーブルに滑らせるようにして突き出した。

「終わってない」

 悪魔のカード。二人の男女が鎖に繋がれ、ヤギの角を持つ悪魔に囚われている。

「すべての元凶が残ってる」

「え、誰」

「知ってる人」

 吉祥は、再び本に目を戻した。

「あなたに写真を渡した人は、どうして渡したの? 写真を持つとき手袋はしたの? その人はどうして、昨日を狙って薬を飲ませたの?」

「――回りくどい言い方をしないでよ」

「あなたにはアリバイがないけど、『協力者』にはあるんじゃないの」

「あっ……」

 一ノ瀬の顔が、みるみる青白くなった。

 吉祥は動じることなくページをめくった。

「占った時、私は止めたよ。だからこれは因果応報、堕ちるしかない」

 今度は別のカードが差し出された。占いの時、未来の位置にあったカード『塔』。全カードの中で最悪のカード。雷鳴に打たれ高い塔から堕ちる人が描かれた、突然の破滅を示すカード。

「占い結果は絶対じゃない。変えられる未来。恨みなんて、捨てるべきだったね」

「あなたに私の何が分かるのよ!」

「図書室で叫ばないで。ほらお迎えよ」


 一ノ瀬の背後に、体躯のいい警官が二人近づいていた。

 吉祥は本に没頭した。私は何も見ない、何もしない。

 ――運命を変えようとしない人間は、みんなつまらないのよ。

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