第3話 過去の未来(1)日常

 お前は、災厄をもたらす。そう言い聞かされながら育てられてきた。

 なぜなら私は、『災厄の乙女』だから。―――


 クロエの朝は、アンナに起こされて始まる。顔を洗い、身支度を整え、最後に右目に眼帯を装着する。それが彼女の習慣である。


 彼女の右目は、病などではない。しかし、碧い片目が太陽の光に弱いため、光への耐性の差で目を痛めることが無いように、日頃は右目を隠していた。

 もっとも、結局は忌み嫌われる金色の瞳を隠すためというのが、一番の理由なのだが。


「おはよう、クロエ。」


 毎朝彼女の部屋を訪ねて来るのは、アルノルトである。


 皇室の習わしとして、皇子・皇女達は集まって食事を摂るものと決められていた。

 しかし、城内の使用人にまで疎まれているクロエは、一人で廊下を歩くことさえ良い顔をされない。

 その状況をよく思わなかったアルノルトは、毎朝クロエを部屋へ迎えに行き、一緒に食堂へ行っていた。皇太子のそばに居れば、誰も文句は言えないからだ。


「おはようございます、兄様。」

「さぁ、行こうか。」


 にこりと微笑むアルノルトに、クロエは笑顔で返し、隣を歩いていった。


 二人はいつもの通りに食堂へ行く。着いた時には、他の姉弟は既に集まっていた。


「おはようございます、お兄様。」

「おはよう。ヴェロニカ、アリア、ルイ。」


 第一皇女ヴェロニカ、第三皇女アリア、第二皇子ルイ。ヴェロニカの声を合図に他二人も挨拶し、アルノルトの傍に居たクロエも挨拶を返した。


「少し遅かったですわね、お兄様。またクロエに待たされたんですか?」

「いいや?今日は僕が遅れたんだ。待たせてごめんね。」


 ヴェロニカ達三人はクロエやアルノルトとは異なり、以前は皇妃の座に居た現皇后の子である。アルノルトより二歳下のヴェロニカは、義妹にあたるクロエを良く思っていない。

 実際は遅れておらず、食堂に着いたのもいつも通りの時間だったが、下手に指摘すればヴェロニカが機嫌を悪くする為、アルノルトは笑顔で謝った。

 すんなり謝られたヴェロニカは、それ以上何も言えない。


「おはようございます、クロエお姉様。」

「お、おはよう…。」


 アリアはクロエとは同い年だが、別の母から生まれた彼女はクロエよりひと月ほど遅く生まれたため、妹とされている。

 アリアはクロエとは真逆に周りから可愛がられて育った。そうやって育まれた天真爛漫な性格が故なのか、クロエを姉として慕っている珍しいタイプだった。

 そして末っ子のルイは大人しく、アリアの後ろにいつもくっついており、今日も彼女のドレスの裾を黙って握っている。


「さぁ、皆座って。朝食にしよう。」


 アルノルトの一声により、クロエの一日が動き出すのだった。


***


 食事を終えると、皆各々の部屋へ帰っていく。アルノルトは公務の前に、クロエを部屋まで送った。


「じゃあまた夜ね、クロエ。」

「はい。いってらっしゃいませ、アルノルト兄様。」


 アルノルトはにこりと笑い、クロエに手を振る。

 クロエが兄を見送って部屋に入ろうとした、その時。


「おはよう、クロエ。」


 後ろから聞こえた女性の声に、クロエはその身を震わせた。


 そこに居たのは、真紅の髪にティアラを乗せた貴婦人。彼女はクロエをその青い目で見下ろしている。

 皇后イザベラ。元皇妃で、ヴェロニカ、アリア、ルイの母である。


「おや、この私に挨拶も無いの?忌々しい子ね。」


 恐怖で固まった体がすぐには反応せず、指摘を受けて慌てて頭を下げた。


「…こっ、皇后陛下にご挨拶申し上げます。」

「遅いわ。貴女あなた、私に歯向かうつもり?」

「いえ、そんな事は…!」

「言い訳は聞きたくない。罰として、貴女あなたは自分の部屋から一歩も出てはなりません。」


 嗚呼あゝまたか、と彼女は思う。毎度何かにつけて文句をつけられ、部屋から出られなくなる。最後に外に出たのはいつだったか、すぐには思い出せないほどである。とは言え、皇后の言う事に逆らえるはずもなく。


「承知致しました。」


 クロエは頭を下げ、大人しく自分の部屋に入った。


「見張りをつけておきますからね。」

「はい、皇后陛下。」


 理不尽に怒りをぶつけられるのはいつものこと。さきの皇后アメリとは折り合いが悪かったらしく、亡くなって十年以上経った今もその憎悪は消えないまま娘のクロエに向いている。本来ならアルノルトにも矛先が向くものだが、流石に国の世継ぎである彼に当たることはできず、その分クロエに対して嫌がらせが集中している。


 しかし、監禁だけで済む分今日はマシな方で、酷い時は水をかけられたり、軽く鞭で打たれる事もある。

 とても皇女に対する仕打ちではないのだが、『災厄の乙女』への仕打ちとして異を唱える者は居なかった。


 仕方なくずっと部屋に居るクロエは、リナと話したり、本を読んだりして時間を潰した。

 クロエの部屋にある本はそう多くなく、イザベラの所為せいで基本教育を受ける事はおろか新しい本を入れる事も叶わず、何度も読んだ本を読み直すしかなかった。




 時間が経ち、外はすっかり暗くなって夕食の時間も終わった頃。コンコンッ、と部屋の扉をノックする音が聞こえた。


「クロエ、入るよ?」


 入って来たのは、仕事を終えたアルノルトだった。彼はクロエを見るなり、見つけたとでも言うように目を見開く。


「食堂に来なかったからどうしたのかと思ったけど…また皇后様が?」


 クロエは何も言わずに、小さく頷く。それを見たアルノルトは、深くため息を吐いた。


「ごめんね、僕が居ながら。」

「兄様の所為せいではありません。私が悪いのです。」

「違うよ、クロエ。そんな事は絶対に無い。」


 アルノルトはそう言うが、クロエは眼帯に手を当て、そのままうつむく。今日のような日々を重ねるうちに、クロエは自分が生まれた事が罪なのではないかとすら思うようになっていた。


 勝手に来る毎日を、何事も起こらないよう、機械的に生きる。彼女の思う人生とはそんなもので、その先に明るい未来などあるはずもない。

 しかし彼女には、全てを諦めようとする自分を引き止めてくれる人が居る。それは彼女の支えであると同時に、一種のかせでもあった。


「…どうして私は生きているの?」


 クロエがポツリと呟いた声は、確かにアルノルトにも聞こえた。

 その目に何も映さぬ彼女を目の当たりにしたアルノルトは、妹を優しく抱きしめる。この時、彼女の子供らしからぬ寂しい表情に兄が悔しさで下唇を噛んでいたことも、彼と過ごす時間があと僅かであることも、クロエが知る事は無かった。


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災厄の乙女 林 稟音 @H-Rinne218mf

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