第37話 不穏
「セレナ? いるー?」
セレナの部屋の周りは、薬や消毒液の匂いが沢山するそんな場所にある。
それは部屋のすぐ近くに医術室があるからなのだが……メルトラやボレアスに割り当てられた部屋に比べるとどこか薄暗くて部屋の扉も少しこじんまりしている印象だ。
まぁ……昔から部屋とか匂いとか全然気にしなかったから、また適当に選んだのかな?
そう僕は一人納得をすると、もう一度部屋の扉を叩く。
と。
「……その声、もしかしてフリーク?」
扉越しにセレナの声が響く。
寝起きだろうか。少し声がくぐもった様子だ。
「うん、ちょっと話がしたいんだけれども、入っても……」
「だめよ」
「え? あ、そう。 ごめん……いきなり部屋に上がるのは」
「そ、そうじゃないわ……えっと、い、今は着替え中なのよ。こんないいところで生活をしてたせいかしらね。今まで着てた服が入らなくなってきちゃって。 どうしたものかと素っ裸で部屋をうろうろしてたところなの……その、裸はともかく……友達とはいえ散らかった部屋を見られるのは憚られるのよ」
「そ、そうなの?」
でも、セレナは前よりも痩せたはずなんだけど……。
「そうなのよ」
「そ、そしたらここで話をするのはいいかな? き、着替えはその、してていいから」
「……まぁ、それなら」
「よかった、さっきサイモンから聞いたんだけど大きなお祭りがあるんだってね」
「サイモン……あぁ、彼ね。 魔王の脅威が本格的になくなる目処がついたし、あのルードって男があっちこっちで事業を成功させてるから、街全体にも懐に余裕があるらしいからね。あの男、今度は胡椒まで取りに行くんですって?この街を覇権大国にでもするつもりかしら」
旧友であるルードも頑張っているようで僕はすこしだけ誇らしく思うが本題から逸れるのでぐっと我慢する。
「そ、そうなんだ。ちなみにセレナは、お祭りの日も王様の護衛につくの?」
「その予定よ……だけど、今回はパレードと演説を終えたら王様はひっこむ予定らしいから、夕方にはボレアスとメルトラに護衛を引き継ぐつもりよ」
「じゃ、じゃあ夕方以降なら時間は取れる?」
「えぇまぁ、そう言うことになるかしら?」
「そうなんだ‼︎ それは良かった……そしたらさ、もし良かったら……その」
「? 良かったら?」
「仕事終わりに一緒に食事でもどう? オークションの時に約束したっきり、そのままになっちゃってたし」
僕の提案にセレナは一瞬沈黙し。
「そう、ね……うん、わかったわ。 覚悟しておく」
そう言った。
「覚悟って大袈裟な……」
「いいことフリーク、男の子からお誘いにオーケーを出すって言うのは、女の子にとってはガルガンチュアの迷宮に一人で入るぐらいの覚悟がいるものなのよ?」
「そ、そんなに?」
女の子って大変だ。
「ええ、そしてOKを出したからには何が何でも行ってやるから。貴方も覚悟しておきなさいね」
「わ、わかったよ……それじゃあ、場所とか決まったら教えるから、また……」
OKをもらえたことに僕は色々と考えを膨らませつつ、早速準備に取り掛かろうとすると。
「あ、ま、待ってフリーク」
不意に扉越しにセレナに呼び止められた。
「どうかした? セレナ?」
「その……まだちゃんと謝れてなかったから……扉越しで申し訳ないのだけれども……その、扉越しじゃないと素直に謝れそうにないからここで言うわ」
「謝るって……何を?」
「その、オークションの時。 引っ叩いちゃったでしょ……その、ごめんなさい。 あの時は気が動転しちゃってて……痛かったでしょ?」
しおらしい声でそう謝罪をしてくるセレナ。
合わす顔がないと距離をおいていたというボレアスの情報は本当だったようで、僕は苦笑を漏らして首をふる。
「まだ気にしてたの? 気にしないでよ……あんな紛らわしいところにワインをこぼしちゃった僕も悪いし……」
「……でも……うぅ」
僕は笑って誤魔化してみるが、それは逆効果だったようで扉越しから泣くのを我慢する子供のような声が漏れる。
子供の頃、本当にごくたまに僕が遊びで勝つといつもセレナはこんな声を出して泣きそうになってたっけ。
「わかった、それじゃ一つお願いを聞いてもらおうかな」
そんな懐かしい思い出が浮かんだからだろうか?
あるいは、あまりにも鮮明な映像だったからかもしれない。
「お願い?……な、何かしら?」
「……もう僕を置いていかないで」
そんな危うい冗談ねがいを、僕はうっかりとこぼしてしまった。
「…………っ‼︎」
困らせるつもりはなかった。
例え嘘でも気休めでも……うんと頷いてくれるだけで良かったんだ。
だけど。
セレナは何も言わなかった。
代わりに扉の奥で、息を呑むような音が聞こえた。
何かを悩むような、答えが出せないような、そんなためらいが扉越しからも伝わってくる。
それを僕は、彼女なりの答えなんだと受け取った。
「やっぱりできないかな?」
「そ……それは……」
セレナの声が震えていた。
本当に困らせるつもりはなかったんだ。
それはただの……辛かった思い出が作り出した些細な願いでしかなくて。
ただ、そのセレナの反応にすごく泣きそうになってしまった自分に驚いて。
「な、なんかごめん。困らせようとしたわけじゃないんだけれど……えとうん、とりあえずお祭りの日、楽しみにしてるから。それじゃあ」
「ちがっ……まって‼︎……フリーク違うの‼︎」
セレナの戸惑うような声を無視して、僕は逃げるようににその場から立ち去った。
◇
フリークが立ち去り、廊下は再び静けさを取り戻す。
むせかえるような薬品の匂いがする部屋で、セレナは一人嗚咽を漏らす。
「……言えない……言えるわけないわよ……こんな……うっ……げほっ……げほっ」
頬を伝う雫が死装束のような真っ白な服に溢れおち、赤く滲んだ。
◇
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