第4話 こころが疲れたら

「サイモンは僕のことバカにしないんだね」


「そうさな、さっきも言った通りワシも人を笑えるほどまともな生活は送っとらんし……何よりあんたがバカかどうかなぞまだ分かりゃせんからな」


 煙を燻らせながらサイモンはそういうと、ゆっくりと煙を鼻から出す。


「どういうこと?」


「本当のバカと言うのは、一を聞いて十を知った気になる様な者のことを言う。ワシはなお若いの、あんたのことはなぁんも知らん。聞いた話もあんたが体験したことを聞いただけじゃ。全てが本当かもしれんし、そうではないかもしれんじゃろう?」


「嘘をついてるかもってこと? 僕が」


「さぁの、じゃがお前さんのいうことが全て正しいなんて、出会ったばかりのワシがどうして判断できる?お前を捨てたっちゅう仲間が何を考えてたのかもお前さんの話だけじゃ検討もできんからな」


「……そっか。それもそうだよね」


 サイモンの言葉に僕は納得をし、服が乾いたのでサイモンの方に向き直る。

 髭を蓄えてボロボロの椅子に座る老人は、僕よりも背が小さいのにとても大きくみえた。


「お若いの、あんたは素直じゃな。短慮は愚かじゃが素直さは美徳じゃ。きっとその性格は人生を良い方向に運んでくれるじゃろうて」


 微笑みながらそう言ってくれるサイモンに、僕は一瞬嬉しくなるが。

 同時に心の中にセレナたちに捨てられた時の言葉が思い起こされる。


「どうだろう……どれだけ人生が良い方向に向かっても、その度に僕はこの頭の悪さで全てが台無しになっちゃうんだよ……きっとこれからずっと。この頭の病気は治らないんだって医術師の人に言われたし。僕は幸せにはなれないんだよ」


「ふむ、お若いの。一つ勘違いをしておるの」


「勘違い?」


「うむ。人生が幸せか不幸か……そんなもの頭の良し悪しじゃ決まらん。むしろ頭が良い奴の方があれこれ難しい問題や世界の現実なんかを目の当たりにして、不幸になる奴の方が多いんじゃぞ?」


「そ、そうなの?」


「あぁ、じゃからといってお前さんが幸せになれるというわけじゃないがな。自分が幸せになるのか、不幸になるのか知るものなんぞこの世に一人としておらんのじゃよ。人生とはサイコロの様なもの、終わってみるまでどうなるかなんぞ誰にも分からん」


「うぅん……難しいね」


「あぁ、もしかしたら神様なら分かるかもしれんがな。神は賽を振らないと言うし……じゃが反対に、ワシらの人生はサイコロの連続というわけじゃ」


「???」


 サイモンが何を言おうとしているのかがわからず僕は首を傾げると、サイモンは僕の頭を優しく撫でてくれる。


 いつか両親がそうしてくれたように、その手はとても暖かく優しかった。


「まぁ何が言いたいのかというと、人生は最後まで何が起こるか分からんということじゃ。このままお前さんの人生は悪いことばかりかもしれんし、大逆転があるかもしれん……振り続けることを辞めなければ、チャンスは訪れ続けるはずじゃ」


「それは、働き続けるってこと?」


「いいや、もっと単純な話じゃ……生き続ける。それだけでよい」


 生き続ける。


 少し前ならば何も苦に感じないことだった言葉が、重石のようにずしんとのしかかってきたような感覚に襲われる。


「なんだか、今の僕にはそれすらも難しく思えるよ。仕事もできないし、それどころか夜ぐっすり眠ることもできそうにないし」


 そう、今ではただ生きていると言うだけでとても大変なことのように感じてしまう。


 まるで自分がとてつもなくどうしようもない人間になってしまったかのようで、情けなさで押しつぶされてしまいそうだ。


 だが。


「そうさな……今はただ生きる、と言うだけでも辛かろう。であれば先ずは趣味を見つけなさい」


「趣味?」


「お若いの、好きなことはあるか?」


「好きなことって?」


「なんでもよい……歌だったり、料理だったり、やってて夢中になれることならなんでもな」


「それなら……小さな頃、絵を描くのが好きだったよ。文字や数字と違って、風景や人の顔はぐにゃぐにゃって動かないし、忘れないでずっと頭に残ってくれるから。それが楽しくて小さな頃は色んなものを描いたよ……」


「そんなに好きだったのに、何故今は描いていないんじゃ?」




「お父さんにやめろって言われたから、自分ではよく分からないけど、僕の描く絵はとっても不気味で人を不安にさせるんだって……まるで、悪魔が乗り移ってるみたいだって」


「大袈裟な話じゃな」


「字が読めない病気だったから、それもあったのかも。 結局、村の人が気味悪がってるから辞めろって……お父さんに辞めさせられたんだよね。みんなに迷惑がかかるって……だから、それ以降はずっと絵を描いていないんだけど」


「ふむ……そうか、ならこれからは、描くものが思いつかなくなるまでずっと絵を描いてみるといい」


 思いついた趣味を上げると、サイモンはそんな意外なことを言ってきた。


「ずっと? 仕事もしないで?」


「仕事なんぞせんでいいわい。そもそも仕事をさせてもらえないんじゃろ?」


「そうだけど……みんなに迷惑がかかるかも」


「みんなって誰じゃ? お前さんは今一人なんじゃろ? 誰に気を使う必要があるんじゃ」


「あ、そっか」


 サイモンにそう言われて、僕は改めてそんな当たり前のことを思い出す。


「他人の事なんてもう気にする必要はないんじゃよ。 お前さんに必要なのは先ずは嫌なことを忘れられる時間じゃ……まずは飽きるまでやりたいことをやりなさい。仕事もお金も後回し。今はやりたいことだけやればいいさ。騙されたと思ってやってみなさいな」


 お説教をするように、だけどどこか優しいサイモンの言葉に僕は肩が軽くなったように感じる。


「…………うん、わかった。 好きにやってみるよ」


「よろしい……あぁそうだ、絵を描くならそうじゃな、これをやろう」


 そう言うと、サイモンは乱雑にものが積まれたテーブルから、少し高級そうな木の箱を取り出すと僕に手渡してくる。


「これは?」


「絵を描く用の筆じゃよ……どっかの誰かからの貰い物じゃが、ワシには絵心というものがなくてな、捨てるにも捨てられんで困ってたんじゃ」


「貰って良いの?」


「あぁ、ここで眠っとるよりはこの筆も幸せじゃろう……もう描くものが無くなって、それでも悪夢を見る様ならその時はまたここに来るといい」


 サイモンの言葉に僕は少しだけ頑張って考える。

 どうせ冒険者としての仕事は望めないしやることもない……それなら。


「ありがとうサイモン」


 何もしないで塞ぎ込んでいるより、サイモンの言った通りにしてどうなるかを確かめて見た方がいいだろう。


 そう結論を出して僕は貰った筆を抱きしめる。


「ふっふっふ……お前さんはやはりバカではないの……話を鵜呑みにするだけじゃなくちゃんと自分で試そうとする。検討を祈っとるぞ、お若いの」


「うん‼︎」


 難しい言葉も、気の利いた言葉も言えなかったけれど。

 できる限りの感謝の気持ちをサイモンに送って、急いでサイモンの家を出る。


 気がつけば雨はすっかり上がっていて、空には虹もかかっている。


「……何を描こうかな」


 冒険をしてきた様々な場所の光景を思い浮かべながら、僕は駆け足でギルドハウスまで戻るのであった。


 ◇

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