『放火犯?』
岩田へいきち
『放火犯?』
――ああっ、もうダメだ。火の海になってる。
火は遂に崖の上の雑木林へも移り、更にその上の山頂部へ向かって進もうとしていた。
光(ひかる)は、成績優秀でスポーツ万能、女子からの人気もまあまあで、小学校では優等生で通ってる4年生だった。
しかし、このところの光は、ちょっと悪い遊びにハマっていた。親戚の兄ちゃんたちと光の家の先にある観音様の御堂に行っては、みんなでロウソクや線香に火を付けて遊ぶ。もちろん、お参りもするのだが光たちには、マッチやロウソクを自由に使える事が楽しい。ロウソクに火をつけては指で摘んで消す。それを1人ずつ順番に繰り返すのだ。それは思ったほど熱くなく、まるで火を支配したような気分になる。線香でも試すが、これは熱い。小学生の皮膚では無理だ。
ある日、1番年上の兄ちゃんがこんな技を披露した。
紙くずのようにクシャクシャに丸めた紙に火をつける。やがて、火は、全体を包んで火の玉のように燃え始める。そこで、それを両手で掴んで、グルグル揉んで火を消してしまうのだ。
光も自分でもやってみて、さほど熱くないと気付く。紙は端々を黒く焦がして中は燃えず残っているのだ。さほど熱くない、誰でも出来ると分かると、みんなが順番にやってみる。みんな出来るようになると当然、今度は、誰が、どこまでギリギリ燃やして消す事が出来るかを競うように火をつける。光も2、3回は挑戦してみた。ギリギリ度ナンバーワンは、最初にこの技を披露した兄ちゃんが取った。
しかし、光はこれを機に『火は熱くない、ギリギリまで支配出来る』と思ってしまった。
ある日、学校からの帰り道の途中にある修治くんの家にあるタバコの葉の乾燥小屋から火の手が上がった。火事である。消防車も駆けつけ、火を消している。修治くんは2つ上の従兄弟の兄ちゃんの同級生で光も知っている子だった。下校中、光たちは、それを遠くから眺めた。光は、火事ってあんなに火が高く上がるのかとびっくりした。
翌日、乾燥小屋の火事は、修治くんたちの火遊びによるものだと噂が流れていた。
修治くんは、お父さんから相当怒られただろうなとか、火事を起こすような悪い遊びをする子だと先生や学校の子たちから不良扱いされるようになるんだろうなと子どもながらにも我が事のように光は心配していた。
なのに、家に帰ったら、学校が違う親戚の兄ちゃんたちと観音様の御堂でこんな遊びをしていたのである。
光は、2月のある日、学校から一人歩いて帰っていた。学校から光の家はまでおよそ4キロ、最初は、5、6人一緒に帰り出すのだが、1人減り、2人減り、1番遠くの光は、国道へ出た所から1人になる。ここから一山超えたところに光の家はあるのだが、頂上辺りから近道のためにもう一度山道に入る。山道と言っても車の通る広さで、その先は、し尿処理場へと繋がり、車も通っていた。丁度、光の家の裏山を越えるとし尿処理場が見えるという位置関係にある。
光は、その山道から更に小さな脇道に入り、ほとんど獣道みたいなところを駆け降りる。このコースを通った方が、国道をまともに進むより距離も時間も短くて済むのだ。山を降りたところが従兄弟の兄ちゃんの家、それから100メートル先が光の家だ。
光は国道から山道へ入った道端で真新しいマッチ箱を拾った。喫茶店とかでもらえる物よりやや厚手のお得用の、正に火をつけるためのマッチだ。マッチ棒の先を擦る側面の茶色い部分には、まだ一本の擦った跡もない。光には、そのマッチ箱が、キラキラと星を放ったように輝いて見えた。どうしてこんなところに誰も使ってない新品のマッチが落ちているのか不思議ではあったが、以前、箱入りの戦闘機のプラモデルも落ちていたことがある道だ。あまり気にせずポケットに入れた。それよりもそのマッチが『早く俺を使って試してくれ』と言っているようだった。光は、燃やすのに適当な物はないか、周りを見ながらこの道を登り切り、右の脇道に入って山を降りた。特に燃やす物は無く、自分の家の目の前まで来た。最後に崖下を通って光の家なのだが、その崖下の脇に30センチぐらいに切り揃えられた枯れ草が枕の厚みぐらいに積んであった。光は、これだと思い、マッチを擦って火をつけた。外側だけ、黄色くて中は透明な火がじゅわじゅわと広がった。
今日は、競う相手は誰もいないのに、あろうことか光は、ギリギリ度を勝負した。
――まだだ、まだだ、まだ消せる。ギリギリまで攻めて、いとも簡単に消して見せるのだ。
誰もいないのに誰に見せるのか? いよいよ限界かと光は足で消し始めた。枯れ草の束が散らばり、火がついたまま広がった。光の小さい足では消せてない。
――えっ、なんで? 攻めすぎた? 大丈夫か?
ひとつひとつ消そうとするが、飛び散った枯れ草はそこでまた火の仲間を作る。まるで倍々ゲームだ。
――ああ、足じゃ、もう無理だ。水だ、水が必要だ。
光は、風呂桶に入っている水を目指して、裏口から家の中へ駆け込んだ。
しかし、火はもう周りに生い茂る枯れ草にも移り始めていた。風呂桶には半分くらいの水が残っていたが、使ったブリキのバケツは、小さい身体の光には、大き過ぎ、重くてたくさん汲むことは出来なかった。それでも持てるだけの水を汲んで火事場へ走った。
――大丈夫か? 頼む、間に合ってくれ。あっ、広がってる。
火は4メートル四方ぐらいに広がっていた。光のバケツの水は一部の火を消したが、残りは更に外に向かって広がろうとしている。
――ああ、ダメだ、全然足りない。
光は空のバケツを提げて再び風呂場へ走った。
――これが山まで広がったらぼくは重罪だ。乾燥小屋の火事どころではない。きっと山いっぱいに火が広がるに違いない。どうする。これまで守ってきたぼくの優等生は、終わりか? 修治くんより数倍悪者扱いされるかも。
僅かな水を入れたバケツを提げて戻った光は、山の方へ広がる火を見て、動きが止まり、立ち尽くしてしまった。
◇◇◇ ◆ ◇◇◇
やがて、誰が呼んだのか消防車がやって来て放水が開始された。火は、更に上へ上へと向かっていた。近所の消防団員も多く駆けつけ、海水をリュックに汲んでは背負って山を登っていた。
光は、バケツを提げたまま、動けず、それを眺めていた。
火は、幸い光の家にも従兄弟の家にも移ることなく、山の頂上まで届く前に消され、し尿処理場側の山には影響がなかった。消防団員は、ほとんど消えた後も何度も水を背負って山を登り、再燃するのを防いだ。そして見守りも交代で夜遅くまでやってくれた。
翌朝、警察と消防が小学校に訪ねて来て、光は、担任の先生と校長先生と一緒に事情を訊かれた。
光は、マッチを拾ったところから正直に警察に話をした。すると、
「なんだ、お前、それじゃまるで放火犯じゃないか」
と担任の先生が声を上げた。
――いや、ぼくはギリギリに挑戦したくて。
声にはならなかった。
担任の先生は、更にたたみかけるように、
「お前は、いつも良い子の振りをしていただけだったのか」
と言った。
光は、『放火犯』という言葉よりもこの『良い子の振り』という言葉に愕然とし、力を無くした。それは図星だったし、光が常日頃から悩んでいて、よく分からないでいたことだったからである。どこかで、糸がブツっと切れる音がしたようだった。
光は、放火犯にされることはなく、厳重注意で済まされたが、それからの光は変わってしまった。もう優等生である必要が無くなったのである。心なしか、母親にも色々反抗するようになって自分のことも俺と言うようになった。成績はガタ落ち、中学へは行ったが、高校へは行かず、大阪の鋳物工場のドブ漬けめっき工程で働いていた。エアコンなんてもちろんない。夏の時期には、自分まで亜鉛の釜に茹でられて溶けているのではないかと思うほど暑い(熱い)。社員寮に帰ればいくらか楽かと思うが、部屋にエアコンもないし、先輩たちからも目つきが悪いとよく焼きを入れられる。
ご飯もあまり喉を通らない。夏は地獄だ。
これは、俺が放火をした罰か、それとも良い子の振りをした罰なのか、いやいや、ここでずっと働いている人たちもいる。この人たちは放火犯でもなければ良い子の振りをして来た人たちでもない。こんな事を罰だと言ったら職場の人に怒られる。ここで働かせてもらっているだけでもありがたく思わなければ。俺は、もっと別の大きな罰を受けるべきだ。と光が思った瞬間、亜鉛槽から上がったばかりの鋳物金具が入った鉄の籠が目の前に落ちてきた。
――ああ、観音様、許してください。俺が悪かったです。命だけはお助けを。俺は放火をしました。良い子の振りをしていました。
籠は、光の安全靴の上に落ちて、亜鉛の雫が辺りや光の作業服に飛び散り、光は目を閉じた。
――足が動かない、死んだか? 短い人生だったな。お母さん、お父さんごめんなさい。俺は良い子じゃありませんでした。先立つ不幸をお許しください…… やっぱり動かない。
光はバケツをぶら提げたまま裏口を飛び出した所に立っていた。
――えっ、ここは? うちじゃないか。まだ崖下が燃えている。
燃えているが、ほぼ下火、僅かに燃えてるところが残っているだけで崖の上の木々までは到底届きそうにない。しかし、光は全力で走った。崖に駆け登り、まだ残っている火にバケツの水をかけて消した。
その後何回も風呂場に戻っては水を汲んで燃えた跡に再燃しないようにそれをかけて回った。
夕方、従兄弟のお母さんがバイクでこの崖下の道を通ったが、黒く焦げた背の低い木々や焼け野原となった草むらのことは気づかなかったのか何も言わなかった。
光は、翌日、何もなかったかのように学校へ行って授業を受けた。自分の呼び方もぼくに戻って優等生を続けたが観音様へのお参りは欠かさず大人になった今も続けている。
終わり
『放火犯?』 岩田へいきち @iwatahei
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