そこにいた幽閉者

あばら🦴

第1話 生活者ヘンナノ

 科学技術が目覚ましい発展を遂げるニホン。街を駆け回る宙を浮くオートバイや、一家に一台の全自動AIナビゲーションシステムなどが開発されていて、今や誰もがカートリッジを差し込むだけで膨大な情報をコンマ二秒で記憶できる首元の挿入口を得たり、機械仕掛けの高性能な脚や腕を得たりなど肉体改造も盛んに行われている。人類は独自の進化の方向性をたどっていた。

 だが、それはニホンのスラム街である〇‪✕‬県にはほとんど関係の無い話だった。この県に日本の福祉は行き届いていないし警察すら機能しない。しかし一丁前に肉体を改造する連中は多かった。

 その〇‪✕‬県の住人から『ヘンナノ』と呼ばれる男は、古風な飯屋に朝から入り浸って備え付けのテレビでニュースを見る。この時間なので、店主のミルミルという女とヘンナノの二人だけが木製のカウンターを隔てて二人きりになっていた。


『───今日、時間を超越する技術を開発するプロジェクトの発足が正式決定しました。しかし巨額の研究資金に対して反対意見も多く、横領の疑惑も出ています。関係者の取材により───』

というアナウンサーの声と共にテレビにデカデカとプロジェクトリーダーである男の映像が流れる。


「へぇ〜。すごいなぁ〜」とヘンナノは呟く。

「時間なんてまた、ヤバいものに手を付けようとしてるわね。人間は……」


『次のニュースです。与党はウメノ防衛大臣の汚職事件疑惑を巡って、国会で野党から激しい追求を受けました。ウメノ防衛大臣は公金を使い、使用用途が不明のお食事券を四千万円分購入していたようです。関係者の取材に───』


「仕事には行かなくていいの?」とミルミルは不意に聞く。

「いいよいいよ。時間に追われてるわけじゃないし。……あー、つっても風呂入りたいな」


 とヘンナノが席を立った。彼の目の前には空になったどんぶりがある。


「お代は?」

「……持ち合わせがないや。後で払おっかな」

「はいはい。絶対だからね?」


 ──────


 瓦礫を踏み越え、崩落した建物の横を縫い、自分の住処に帰ってきたヘンナノ。住処といっても勝手に根城にしているだけだ。

 深夜に雨に打たれて(今日はどこで寝ようか)とさまよっていた時にたまたま見つけた平屋。見つけた当時は長いこと放置されていて荒れ放題だったが、ヘンナノは掃除をして暮らしやすくし、およそ十年は勝手に寝泊まりしている。

 むしろ長いこと放置されていたおかげで建物自体に欠損は少ない。スラム街になる前の一般的な家の形状を保ち、壁や床などは頑丈なコンクリート製で、家の中にはちゃんとAIナビゲーションがあった。


「ただいま〜」

『オカエリナサイマセ』


 と旧式の機械音声と共に、壁に備えられた姿見以上の大きさであるドデカいモニターに発された文章が写った。教養に乏しいヘンナノであるが、これは〇‪✕‬県がスラム街になる前のバージョンのナビゲーションシステムであると認識していた。


「お風呂入りたい」

『銭湯ニ行クコトヲオ勧メシマス』

「お金ない」

『貯金ガアリマス』

「使いたくないなぁ」


 荒れたソファーに腰掛けたヘンナノは上着を脱ぐ。彼は右腕だけが機械に取り替わっていて左腕は生身だった。その生身の手でカチャカチャと右腕の機械部分をいじる。


「左手も改造した〜いっ!」

『デアレバ、濡レタタオルデ身体ヲ拭クノガ望マシイデス』

「ちぇー。仕方ないな。節約節約! 左腕のロマンのためにぃ〜!」


 まるで歌のような独り言を呟きながら服を脱ぎ散らかし、濡らしたタオルで身体をゴシゴシと洗った。


 ──────


 夕方。ヘンナノはとある業者のおじさんと話をしていた。


「はいよ。六千円」とおじさんが金をヘンナノに渡す。

「おう、相場通りだね」

「ヘンナノに誤魔化しは通用しねーからな。すげー観察眼だよ。相場より安くとかできねーんだよな。はははっ!」

「まあね。そこんとこ、ちょっと自信があるんだ」


 と話し終えた後、ヘンナノは帰路についた。しかしその時、後ろから───


「ヘンちゃん、お代は?」

「うわぁあっ!?」


 いきなり背後に忍び寄っていたミルミルに振り向いて腰を抜かすヘンナノ。ミルミルは至って笑顔に朝のツケを要求している。彼女の表情の奥に有無を言わさぬ意志を感じ取ったヘンナノは黙ってお代分を払った。


「まいど」

「『絶対だからね?』っていうか、ミルミルが絶対にしてくるじゃん」

「そこはしっかりしておきたいの。ちゃんと約束を守るのが良好な関係の第一歩だよ。ヘンちゃんとはまだまだ仲良くしてたいからね」

「うん。オレもずっとミルミルのご飯食べてたいなぁ。今日も食べに行くよ」

「じゃあお店まで案内いたしますよ、お客様」

「いや、着替えてからでいい?」

「そう? 分かった。作っておくから注文は聞いておこうか?」

「親子丼で」

「おっけ。待ってるよ」


 ──────


 ミルミルは自分の店で宣言通り待っている。だが到着が遅い。家に戻り、着替え、そしてここに来るだけの時間の長さだと思えない。親子丼も少し冷めてきた。

 何かに巻き込まれたのか?と気になるミルミルだが、夕方なのもあり客がそれなりに居て彼らの対応に勤しんでいた。注文の品を作り、食器を片付けて、客をさばいていく。

 だがヘンナノは一向に来ない。(何かに巻き込まれたの?)とミルミルが心配した時だった。

 ドンドンドン、と店の裏口の方のドアが激しく叩かれた。音だけで伝わる必死さに押され、ミルミルはカウンターの奥へと向かった。

 ガチャリと裏口を開けるとそこにはヘンナノがいて、見知らぬ気を失った女性を背負っていた。


「はいはーい……ってヘンちゃん!」

「遅くなったね」

「どうしたのよ! というか、背中の人誰なの?」

「知らない。拾った」

「なんなのよそれ。でなんで私のとこに来たの?」

「いやだって、オレが頼れるのミルミルしかいないから」

「もおっ! とりあえず私は忙しいんだから二階の私の部屋のベッドで彼女を寝かせて。客が落ち着いたら行くから」

「ごめん。マジ助かる」

「あとヘンちゃんのための親子丼、その子に食べさせた方がいいよ。栄養はしっかり摂らせなきゃ」

「えっ!?」

「ヘンちゃんの分は後で作るからね。看病頼んだよ」


 すると客席の方から何やら薄く声が聞こえ、ミルミルは声の方に「はーい! ただいまー!」と声を張るとドタバタと業務に戻った。


 ──────


 ヘンナノはミルミルの店に来る途中で、見つからないように瓦礫の陰にうずくまる女性を横目に捉えた。年齢は自分と同じ二十歳くらいだろうし、彼女の身につけてる服や装飾品からは自分と階級の違う人でもあるとヘンナノは思った。

 なんだか寒そうなのでヘンナノは近づいて声をかけた。


「どーしたの?」

「寄るなぁーっ!」と女はヘンナノの方へ向き、瓦礫を踏んで立ち上がる。

「うおぉぉ……!」


 その気迫に思わず後ずさりするヘンナノ。彼女はとても怯えている様子だった。ゼエゼエと肩で息をしている。

 ガタガタと震える機械の腕で彼女がナイフを取り出して前方に向ける。敵意の眼差しがヘンナノを襲った。ヘンナノは慌てて彼女を落ち着かせようと試みる。


「わ、わりぃ、邪魔しちゃったな。帰るよ、ごめんごめん」

「……」


 と、その時彼女はフラッと前に倒れ込んだ。一瞬気を失ったのだ。すかさず駆け寄ったヘンナノが身体を支えると、かすれた声で彼女は言った。


「何するつもりだ……! おまえ……!」


 だがその時また気を失ったようだ。今度は一瞬ではなく長期的である。


「置いてけないよなぁ〜。……どうすりゃいいか分かんない。ミルミルのとこ行くか」


 ということでヘンナノは気を失った女をおぶってミルミルの店に来たのである。

 スヤスヤとミルミルのベッドの上で寝ていた女はフワッと目を覚ました。そして見知らぬ天井があること、知らないベッドの上にいること、倒れる直前の記憶を取り戻すと瞬時にガバッと身体を起こした。


「あ、起きた」

「ぐっ! おまえ! どこに連れてきた!」


 女は立ち上がって服をまさぐりナイフを取り出そうとする。しかし見つからなかった。


「あれっ!? ない!?」

「ナイフ? 取ったよ。危ないから」

「……ぅう! うおぉ! うおおおおおおお!」


 と女は気合いで突進してきた。ヘンナノは「うわあああ!」と驚いてしまう。女は息がヘロヘロなはずなのにとてつもない勢いとパワーを発揮した。四肢が上質な機械なのもあったが、女の鬼気迫る必死さが火事場の馬鹿力を生み出していた。

 対してヘンナノは戦うつもりもなくここにいる。彼女が不意打ちで迫ってきた時に反応できず腹にタックルを決められ、そのままドシンと床に叩きつけられた。

 女がヘンナノの腹に馬乗りになって顔めがけてボコボコと殴る。ヘンナノは左腕で顔を守っていたが、左腕は機械じゃない生身の腕だったので赤い傷が刻まれていった。

 そんな時、ミルミルの部屋のドアが開いた。


「なになになに!? どうしたの?」

「ミルミル! 助けて! オレ死んじゃう!」

「……おまえも敵か!」と女はミルミルを睨んだ。

「お、落ち着きなさい? あなたさっきまで気を失ってたのよ? ここは危ないとこじゃないから、ねっ?」

「……」


 また女は倒れてしまい、ヘンナノは解放される。立ち上がって女をまたベッドに寝かせるとミルミルに聞いた。


「どうしたらいいと思う?」

「多分外から来た人ね。この街が怖いんだと思う。でもこのまま暴れられても面倒だし、脚だけは縛っちゃうか」

「もっと怖がる気がする」

「ヘンちゃんも左腕の手当てしないとね」


 ミルミルは店を急遽閉店にして、女が起きるまでの間に脚をベッドに固定するように紐で縛り上げた。

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