16 アッセル邸へ

 ヴァン・ヘルシングと伯爵はアムステルダム市立病院の前で馬車を拾うと、急いでアッセル邸へと向かった。

 時刻は午後3時。日没まで後3時間ほどだ。

 道中馬車の中、ヴァン・ヘルシングは深いため息をついた。

……アッセル氏にどう説明しようか……。

 深刻そうに悩むヴァン・ヘルシングの隣では、伯爵は楽観視しているのか、ヴァン・ヘルシングを微笑ましそうに、まるで必要以上に思い悩む子供の親のように見つめていた。


 アッセル邸に着くと、ヴァン・ヘルシングはクララが描いてくれた――何者かに破られてしまっているが――ダーヴェルの肖像画を握り締め、大きな玄関の扉を叩いた。少しして、扉が小さくゆっくりと開くと、青白い顔の中年のメイドがそっと顔を出して来た。

「……どなた……ですか……?」

 メイドは疲労しきっているのか、気だるそうな力のない声で尋ねてきた。

「私はアムステルダム市立大学の教授、ヴァン・ヘルシングと申します。こちらは助手の――」

「ヴラディスラウス・ドラクリヤという」

 ヴァン・ヘルシングと伯爵は帽子を取った。

「市議会議員のアッセル氏にお目通り願いたいのですが……」

「……要件は……?」

 メイドは不審そうに眉を潜めた。

 ヴァン・ヘルシングは深呼吸すると、小さな、しかししっかりとした口調で言った。

「娘さん、アメリアさんの――」

 ヴァン・ヘルシングが言い掛けたところでメイドは恐怖に怯えたように顔をしかめ、扉を勢いよく閉めようとした。寸前のところで伯爵が扉をガッチリと押さえた。

 メイドは慌てふためいて、二人に、申し訳ございません! と連呼し、何度も頭を下げてきた。

 ヴァン・ヘルシングはメイドの様子に驚きを隠せず、メイドの肩に優しく手を置いた。その肩はブルブルと震えていた。

「落ち着いて下さい。我々は別に怒ってなどおりませんし、苦情を言いに来た訳でもありません」

 ヴァン・ヘルシングの言葉にメイドは顔を上げると、真っ赤に腫れた潤んだ目で二人を見つめた。

「こちらで何があったのか、是非ともアッセル氏にお伺いしたいのです。アムステルダム市立大学のヴァン・ヘルシングが来た、と伝えて頂ければ、もしかしたら、否、力になってみせます」

 ヴァン・ヘルシングの熱のこもった言葉にメイドは藁にもすがる思いで決心したのか、扉を大きく開け放った。

 アッセル邸に入ると――伯爵は以下省略――、客間で待たされた。

 少しして、扉の向こうでドタバタと激しい音がしたと思いきや、勢いよく扉が開かれた。ヴァン・ヘルシングと伯爵が立ち上がる。

 やって来たのは、この邸宅の主であるアッセル氏だった。

 アッセルは青白い顔で、頬はこけ、痩せ細っていた。

 アッセルは裕福な家柄故、身なりもよく少しふくよかな体つきだったので、ヴァン・ヘルシングは最初、誰だ? と思ったが、その声を聞いて度肝を抜かれたのであった。

「ヴァン・ヘルシング教授っ!」

 アッセルはヴァン・ヘルシングの目の前に駆け寄ると、彼の両手を掴み、おいおいと泣き始めたのだ。

「ア、アッセルさん、座りましょう」

 ヴァン・ヘルシングはアッセルを近くのソファーに座らせると、自身もその隣に座った。伯爵は二人が掛けるソファーの背後に立った。

「一体何があったのか、教えてくれますね……?」

 ヴァン・ヘルシングが静かに問うと、アッセルは泣きながら何度もうなずいた。


 半時間ほどして、落ち着きを取り戻したアッセルは静かに、事を振り返るように話し始めた。


 ノース邸でのパーティーが行われる2週間前のことだ。

 アッセルの勤め先である中央区役所に、娘のアメリアの友人であった資産家の父親が怒りを露わにしてやって来たのだ。何故怒っていたのかというと、アメリアが夜な夜な自分の娘を襲いに来てる、ということだった。

 アッセルは受付の女性からの話に聞く耳を持たず、その日は警察を呼んで資産家の父親には帰ってもらったのだが……その日以降、アッセル邸でも不可解なことが起こり始めていた。

 住み込みで雇っていた若いメイド2人が、昨夜の深夜、アメリアお嬢様を屋敷内で見た、という内容だ。そしてその内の一人は首筋を噛まれたと言うのだ。首筋の傷もしっかりとあった。その時のこともアッセルは馬鹿馬鹿しく思い、受け流してしまった。

 その翌日、首を噛まれたというメイドは輸血が必要なほどの貧血を起こし、アムステルダム市立病院へと運ばれてしまった。その日からアメリアと交友があった娘の父親や家族がアッセル邸に怒鳴り込みに来る日々が続いた。どれもこれも内容は、“娘がお宅の娘に襲われた!”というものだった。

 アッセルはようやく、ただごとではない、と思い知らされたのか、夜、他の使用人や家族の反対を押し切って自ら寝ずの番をすると――。


 そこまで話したアッセルはブルブルと震え上がり、涙声で呟いた。

「あ、あれは、アメリア何かではっ……!」

 アッセルはヴァン・ヘルシングを見つめると、ガバリと縋りついた。

「頼むっ、ヴァン・ヘルシング! 君は“そういうの”に詳しいのだろうっ!? 噂で聞いてるぞ! 吸血鬼を研究してるとねっ! もしアメリアが吸血鬼なんかになってしまっていたとしたら、安らかに眠らせてあげてくれっ!!」

「もちろんですとも」

 ヴァン・ヘルシングはアッセルの背を擦り、優しく身体を離した。

「あと一点聞きたいことが――」

 ヴァン・ヘルシングは脇からクララが描いてくれた、ビリビリに破られたダーヴェルの肖像画を取り出し、テーブルにパズルのように並べていった。出来上がった肖像画を目の当たりにしたアッセルは驚愕の表情を浮かべた。

「この男はっ……!」

「ご存知ですかっ!?」

 ヴァン・ヘルシングは身を乗り出し、アッセルを見つめた。

「知ってるも何も、この男はアメリアの婚約者だ……。まさかこの男がっ……!?」

 アッセルがヴァン・ヘルシングを見上げると、ヴァン・ヘルシングは力強くうなずいた。とたんアッセルはヴァン・ヘルシングの両手を力強く取った。

「哀れな娘の仇を取ってくれ! お願いだ! いくらでも援助する!」

 アッセルに頭を下げられたヴァン・ヘルシングは、アッセルの肩を優しく叩き、頭を上げさせた。

「顔を上げてください。必ず娘さんに安息をもたらしてみせます。私もかつては一人息子の父親でした。その気持ち、よく分かりますよ」

 ヴァン・ヘルシングはにこりと笑みを浮かべた。アッセルは呆然としたようにヴァン・ヘルシングを見上げていた。

 ヴァン・ヘルシングは窓の外を一瞥し、立ち上がった。

「善は急げ、です。アメリアさんの墓所に案内していただけますか」


 アッセルが呼び寄せた馬車にヴァン・ヘルシングと伯爵、アッセルが乗り込み、アムステルダム市の南にある墓地、ゾルクフリートを目指す。

 ゾルクフリート【Zorgvlied】はアムステル川沿いを南下したところにあり、暖かい時期には緑が生い茂る森に囲まれた墓地で、閑静な、広々とした英国風の庭園の造りとなっている。

 半時間もしない内に墓地の入り口に着くと、三人は馬車を降りた。

 空はどんよりと灰色をしており、3月のゾルクフリートは黄色い葉が生い茂る木々に囲まれ、積雪はなくなったものの、アムステルダムは未だに肌寒い日が続いている。

 ヴァン・ヘルシングは上着の胸ポケットから懐中時計を取り出した。

……日没まで1時間もない……。間に合うか……?

 アッセルは墓地への門を開くと、こちらです、と先導した。

 ヴァン・ヘルシングはゾルクフリートの敷地に入ると、振り返った。

……招き入れたほうが良いか?

 だが、伯爵の姿はなく、ふと隣を見ると伯爵がいた。

「建物でなければ平気だ」

 伯爵が一笑した。

「そうか」

 ヴァン・ヘルシングも一笑すると、二人はアッセルの後に続いた。

 整備された道には枯れ葉が幾重にも落ちており、歩く度にカサリ、カサリと音がする。道の両側には名前と生没年が彫られた墓石や石棺が並び、その奥に木々が生え、その隙間からまた別の墓が見えた。

 道中には大きな天使像があり、その足元には大きな十字架が置かれていた。

 さらに進むと、とある立派な墓所の前でアッセルが立ち止まった。

 アッセル家の墓は石膏造りの小さな建物のようだった。庶民の墓とは大違いだ。

「これが我がアッセル家の墓です」

 アッセルが言ったとたん、ヴァン・ヘルシングは、失礼、と詫びると、鞄の中からニンニクの株を鷲掴みにして取り出し、アッセル家の墓所の扉をニンニクの葉で“飾り”始めた。アッセルは動揺を隠せず、奇怪なものを見てしまったかのようにただ唖然とヴァン・ヘルシングの行動を眺めていた。

「日没まで時間がありませんので、先ずは応急処置として、ニンニクで墓所の扉を塞ぎます。ご了承ください」

 ヴァン・ヘルシングは言いながら、テキパキとニンニクの葉を細かく千切っては墓所の扉の隙間にこれでもかというくらいに詰めに詰めた。辺りにはニンニクの臭いが漂い始めていた。無論伯爵はそろそろと後ずさる。

 空はいつの間にか薄暗く、紫色に染まっており、日没が来たことを無言で告げていた。それと同時にアッセル家の墓所の扉がガタガタと揺れた。ヴァン・ヘルシングはとっさに後ずさる。

 すると――。

『……お父さま……? そこにいるの……?』

 墓所の中から女の声が聞こえたのだ。

 ヴァン・ヘルシングはすぐさまアッセルに振り返った。アッセルは青ざめた表情でガクガクと顎を震わせ、涙目になっていた。

「ア、アメリアッ……」

 アッセルが震えた声で、絞り出すように呟いた。

……なんて残酷な再会なんだ……。

 ヴァン・ヘルシングはそう思いながらアッセルの隣に歩み寄ろうとした時だった。

『……お父さま、ここから出たいわ? ニンニクをどけてちょうだい?』

 アメリアの言葉にヴァン・ヘルシングはヒュッと息をのんだ。

 アッセルはよろよろと覚束ない足取りで墓所の方へと歩んでいく。

「アメリア、今開けてやるぞ……」

 ヴァン・ヘルシングがアッセルの前に立ちはだかった。

「いけません! 死者は蘇らないのですよっ、アッセルさん!」

「娘が呼んでるんだ! 退け!」

 アッセルはヴァン・ヘルシングに掴み掛かろうとした。その寸前で伯爵がアッセルの腕を掴み取った。

「邪魔をしないでくれ!」

 アッセルが伯爵に怒鳴り散らした。伯爵は表情を一切変えることなくアッセルを眼光鋭く見下ろし、アッセルを掴む手に力が入る。アッセルが小さな悲鳴を上げ、伯爵を怯えた表情で見上げた。

「ヴラド」

 ヴァン・ヘルシングは伯爵を見上げ、無言で首を横に振った。

 ヴァン・ヘルシングに見つめられた伯爵はパッとアッセルの手を離した。伯爵の手から解放されたアッセルは伯爵に畏怖を覚え、その場にヘタリと座り込んでしまった。

 伯爵が、怯えるアッセルを爛々とした目でのぞき込んだ。ヴァン・ヘルシングは固唾をのんで見守る。

 そして、伯爵が静かに口を開いた――。

「余にも……カタリーナとハンナという娘がいた。その気持ちは分かるぞ……」

 伯爵の言葉にアッセルは目を見開いた。その両目に溜まっていた涙がボロボロと落ちていき、アッセルは地面に伏せて肩を震わせた。

「お願いです……アメリアを救ってくださいっ……」 

 アッセルの言葉を聞き届けた伯爵は、背筋を伸ばすとヴァン・ヘルシングの隣についた。ヴァン・ヘルシングは鞄から懐中電灯を取り出し、アッセル家の墓所を照らしていた。

 未だにアッセル家の墓所の扉はガタガタと揺すられ、ガリガリと引っ掻くような音がする。

「アッセルさん……」

 ヴァン・ヘルシングはアッセルに歩み寄ると、これからアメリア・アッセルに行う“処置”について説明をした。アッセルはもうためらうことなく、ヴァン・ヘルシングの説明に深くうなずいていた。

「今日はもう出直しましょう。明日、日の出とともに、またここに赴いて“処置”を行います」

「分かった……」

 ヴァン・ヘルシングの言葉にアッセルはうなずき、3人はアッセル家の墓所を後にした。

 去り際、墓所からは、開けろ! と叫ぶ、女の恐ろしい怒鳴り声だけが響いていた。

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