12 灰色の瞳
ヴァン・ヘルシングたちは慌ててクララの後を追って会場へ戻ると、会場には異様な空気が流れていた。
会場の中央に人集りが出来ており、しかも、群がっているのは全員若い女性だ。20人、否30人くらいが集っていた。そしてその周りでは、男たちが困惑や苛立った表情を浮かべている。
それもそのはずだ。自分の付き添いという立場でこの社交場に来られたというのに、直々に招待状をもらった自分そっちのけで、とある男に群がっているのだから――。
ヴァン・ヘルシングとアドリアンはそんなことつゆ知らず、女性たちの集いの輪に入ろうとするクララを、寸前で捕まえた。
「クララ!」
「クララさん!」
二人に両脇を押さえられ、クララは我に返ったように瞬きをした。
「あれ、わたしは……」
「クララ、急にどうしちゃったの!?」
アドリアンが不安な表情でクララに聞くと、クララは首をかしげ、小さく唸った。
「なんか、その……呼ばれたような気がして……」
「「“呼ばれた”?」」
アドリアンとヴァン・ヘルシングの声が揃った。クララは話を続ける。
「引き寄せられると言いますか――あっ……」
クララは突然口元を押さえると、恐怖に怯えたように顔を蒼白くさせ、まっすぐ指を差した。
「あ、あの男っ……」
クララの言葉にヴァン・ヘルシングは、彼女が指差す、若い女性たちが群がる中央に視線を向けた。そこには一人の男が立っていたのだ。
男は白――否、銀の髪色だった。老人だろうか? と思ったが、よくよく見てみると、若者だ。クララが言っていた吸血鬼の特長とよく似ている。
身なりの良い姿の若者は、自分に群がる女性たちに愛想を振りまきながら会場内を行ったり来たり。その度に女性たちも大移動をする。
女性たちは若者に少しでも話し掛けてもらおうと、わざとらしく自身を誇示する。それでも若者は決まって、知的でお淑やかで、外見の美人な女性にしか笑顔を向けず、その他の女性には声すら掛けなかった。ぞんざいに扱われた女性たちは負け惜しみに小言を言って去っていったが、若者には何のそのだった。
するとアドリアンがヴァン・ヘルシングに耳打ちしてきた。
「……あの男に集ってる女性たち、市議会議員や資産家のご令嬢たちですよ」
「ご令嬢?」
ヴァン・ヘルシングは視線だけをアドリアンに向けた。アドリアンは女性たちから目を離さずに返す。
「はい。最近、市立病院の内科に、貧血で受診しに来ている方々です」
「あそこにいる女性たち全員が患者なのかい?」
ヴァン・ヘルシングは驚いた様子でアドリアンを見た。アドリアンは女性たちを見つめ、少しして、そうです、と答えた。
アドリアンの返事にヴァン・ヘルシングは眉を潜め、怪訝な表情で女性たちを見つめた。その時、一瞬若者と目が合ってしまった。
あの灰色の瞳に射抜かれた刹那、ヴァン・ヘルシングは脱力したように、掴んでいたクララの腕を離したかと思えば、先ほどのクララのようにふらふらと、女性たちが群がる輪に向って行ってしまったのだ!
「先生っ……?」
アドリアンはヴァン・ヘルシングを引き留めようとしたが、恐怖に震えているクララのこともあり、彼を追いかけることが出来なかった。
「先せっ――」
「全く、エイブラハムは……。まあ仕方あるまい」
アドリアンの横から伯爵の声が聞こえ、振り向くと、カタリーナの姿ではなくいつもの姿の伯爵が立っていた。
伯爵はそのままヴァン・ヘルシングを追って彼の首根っこを掴み、引っ張り戻してきた。
ヴァン・ヘルシングはいきなりのことに伯爵に腹を立てた。
「襟を引っ張るな! 苦しいだ――」
「ほう? 君は先ほどのミス・クララのように行ってしまうところだったのだよ?」
伯爵はヴァン・ヘルシングを不服そうに見下ろし、鋭い口調で言った。ヴァン・ヘルシングは驚愕に目を見開くと、申し訳無さそうに伯爵に詫た。
「すまん……。何が何だか……。“これ”が早く治れば、こんなことには……」
そう言いながらヴァン・ヘルシングは、自身の左の首筋を手で押さえた。
落ち込んだ様子のヴァン・ヘルシングに伯爵は静かに一笑すると、彼の首に添えられている手を掴んでどけさせた。ヴァン・ヘルシングは情けなさそうな顔で伯爵を見上げた。
「ヴラド……」
伯爵は身を屈めて、顔をヴァン・ヘルシングの首筋に近づけると、噛まれた痕の上に冷たい唇を落とした。ヴァン・ヘルシングは小さな悲鳴を上げたが伯爵に手を掴まれており、離れることが出来なかった。
「今はスカーフがないのでね……。これで当分は平気だろう」
伯爵はヴァン・ヘルシングの耳元で言うと、ようやく彼を離した。
ヴァン・ヘルシングは口付けをされた首筋を手でギュッと押さえ、真っ赤な顔で伯爵を睨んだ。
「また、そうやってっ……!」
そんな彼に伯爵は、ただニンマリと愉快そうに口角を上げていた。
ヴァン・ヘルシングと伯爵の様子を、少し離れたところでアドリアンとクララが顔を真っ赤にして見ていたのは言うまでもない。
……良いぞ! もっとやれ!
と、恐怖はどこへ行ったのやら、クララは内心そう思うのであった……。
4人は先ほどの長椅子の場所に戻り、例の銀髪の男――今は“ルスヴン卿”とでも呼ぶことにする――にどう近づくか、話し合った。
「先ずルスヴン卿は、どうやってノース邸に入ったんでしょう……? 招待状とかないはずなのに……」
アドリアンがふむ、と考えているとヴァン・ヘルシングがあっさりと答えた。
「吸血した女性に催眠術を掛け、招いてもらったに違いない」
「なるほど……」
「それよりも、だ――」
アドリアンが感心してる中、突然ヴァン・ヘルシングがスッと立ち上がった。
「先生……?」
アドリアンたちがヴァン・ヘルシングを目で追う。
ヴァン・ヘルシングは近場の、複数ある会場入り口の元まで行くと、アーチ状の入り口の影から会場内をのぞき込んだ。
伯爵やアドリアン、クララも横から会場内をのぞき込んだ。
会場には先ほどよりも陰湿な雰囲気が漂い、主役であるはずのノース院長のご子息の姿は見えず、ただただ女性たちがルスヴン卿を囲んでいた。
ヴァン・ヘルシングは、このままでは不味い、と感じ始めていた。だが――。
「あのルスヴン卿――青年は……本当に吸血鬼なのか……」
先ほどのクララの様子からすると間違いなく、あの若者は吸血鬼だと思われる。ヴァン・ヘルシング自身も無意識に行ってしまいそうになったのだ。しかし、ただのレディキラーなだけの可能性も捨てがたい。出来ればそうであってほしいが……。
もし吸血鬼だとしたなら、即刻退治しなければクララや他に襲われた人たちが以前のルーシー・ウェステンラのように死後、吸血鬼となってしまう。
「あの若造は間違いなく吸血鬼だ。“I prove【俺が証明してやろう】”.」
そう言うと伯爵はヴァン・ヘルシングの横をすり抜け、会場内に入ろうとした。その寸前でヴァン・ヘルシングが、I see! I see! と叫んで伯爵を止めた。
ヴァン・ヘルシングは大きなため息をつき、ヴラドが言うならそうなのか、と納得した。
「あのまま放置すれば、あそこがあの吸血鬼の“ビュッフェ会場”になってしまう……。ノース院長も面目丸潰れだ」
「“ビュッフェ”……。いい響きだ」
伯爵の羨ましそうな言い草に、ヴァン・ヘルシングは隣に立つ伯爵を睨んだ。
「お前はルスヴン卿と一緒になって“どんちゃん”したいのか?」
「何を言ってるのだね? あんな“小僧”と一緒にされたくはないね」
伯爵は気に食わない様子で返すと、ヴァン・ヘルシングの顔を両手でむにゅっと挟み、正面に向けさせた。
「エイブラハム、よく見てみろ。“謎の集団貧血”でバース君が病院に赴くようになったのは数週間前。だがあの吸血鬼は、1月頃にはアムステルダムにいたのだ。それなのに何故“謎の集団貧血”は今から数週間前になって発生したのか……。それにあの娘たちは“箱入り”の令嬢たち。近づくのにも少々難しいとくる。吸血鬼は家人に招かれてもらわねば一切その家には侵入は出来ないからね? だが、例外はある」
「るうがう(例外)?」
ヴァン・ヘルシングは伯爵に頬を挟まれているのを忘れて、驚愕に思わず口走ってしまった。
伯爵はヴァン・ヘルシングの顔を離すと、話を続けた。
「生前、招かれたことのある家には問答無用で侵入出来てしまうのだ。まだ“謎の集団貧血”が発生して一ヶ月も経っていないというのに、あんな大勢の“箱入り娘”たちを襲うことが出来ると思うかね? このアムステルダムに、ヤツ以外の、もちろん俺ではないぞ? ヤツ以外の吸血鬼が“出現”してしまったのだ」
「出現? そんな、まさか……」
生前、色んなご令嬢たちと親交があったと思われる、同じくご令嬢で、最近殺された女性を、一人だけ、ヴァン・ヘルシングは知っていた。
――そして、彼が最も嫌悪する真実を証明する――。
ヴァン・ヘルシングは次第に顔を青くさせ、不安な面持ちで伯爵を見上げた。伯爵も伯爵で、ヴァン・ヘルシングのことを見下ろしており、二人の視線が合った。
「「アメリア・アッセル……」」
ヴァン・ヘルシングと伯爵の声が揃った。
思いもよらない名前の登場にアドリアンとクララは目を見張った。
※原典“第十八章、ミナ・ハーカーの日記”より、ヴァン・ヘルシング教授の言葉。
“That fact thunder on my ear. ‘See! see! I prove; I prove,’”
『その事実が私の耳元で雷鳴のように怒鳴ってくるのだ。“ほら! ほら! 私が証明する、私が証明する”、と』
(因みにこの訳、角川文庫並びに創元推理文庫では訳されていませんでした。水声社にはありました)
原典“第十五章、セワード医師の日記”より。
“A man does not like to prove such a truth; Byron excepted from category, jealousy.”
‘And prove the very truth he most abhorred.’
『人間はそういった真実を証明したくはないものだ。バイロン卿の嫉妬心は別物だが……』
――そして、彼が最も嫌悪する真実を証明する――。
因みにルスヴン卿は、ジョージ・ゴードン・バイロン卿をモデルにしたと言われており、
‘And prove the very truth he most abhorred.’
の文章はバイロン卿作『ドン・ジュアン』より引用とのこと(水声社『ドラキュラ』注釈より)
あと、吸血鬼が家に侵入する際について、本文の“生前招かれた家には侵入出来る”という内容は、本作での二次創作設定です。悪しからず。
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