3)知らせ

 確かにこの猫屋敷では、木登りは必須だ。猫は考えなしに梢の先を目指して登ってしまう。梢の先で動けなくなっている猫を救出するのも庭師の仕事だ。数年前までは、猫と一緒に木や塀の上に登ってしまう公爵様のお孫さまたちも庭師が救出していたらしい。


「すっかり大きくなってしまわれて」

仲間たちはどこか寂しそうにしていた。

「『たちけて、たちけて』と一生懸命おっしゃって、本当に可愛らしかったのに」

「可愛かったなぁ。舌足らずで『ありゃと』とおっしゃってくださって。鼻水垂らして泣いていたのが、にっこり笑って、お叱りすべきだったんだろうけど、ついついなぁ」


 可愛らしかったはずのお孫さまたちは、何と申し上げるべきか、激しい遊びがお好きだ。俺が猫のための遊具だと思っていたものは、お孫さまたちの有り余る元気を毎日受け止めている。お怪我なさってはいけないので、遊具の大半は釘を使えない。縄で強く縛って固定をしている。毎日遊具を修理しているお陰で俺も日々逞しくなった。


「これ、何ですか」

ある日のことだ。丸太を見た俺は首を傾げた。

「爪研ぎ跡に見えますけど」

俺はそれ以上の言葉を紡ぐことためらった。形は猫の爪研ぎ跡に見える。だが、高さは俺の背丈を超えている。どう考えても足の大きさは俺の拳といい勝負だ。深く刻まれた爪痕は、風雨に晒され少し古びていた。

「あぁ、それか」

仲間が人の悪い笑みを浮かべた。

「ま、楽しみにしてろ。もうすぐ分かるさ」

別の方向から、含み笑いが聞こえてくる。

「おい」

俺の不満はさらに笑いを誘っただけだった。

「ま、そのうちわかるからさ」

「そうそう」


 ここは、国王陛下に次ぐ尊い御身分の公爵様と奥方様の公爵夫人が、使用人のような格好をして猫と遊ぶ猫屋敷だ。御夫妻も、ご自身が猫公爵様、猫公爵夫人様と呼ばれていることをご存知だろうに、気にしておられない様子だ。


 俺は、お偉い方々は、もっと偉そうにしていると思っていた。若様は、賢い御方だそうだが、時々へんてこな魔法をぶっ放して若奥様に叱られているし、お孫さまたちは、子供の頃の俺も負けそうなくらい腕白だ。

「すぐにわかるよ。楽しみにしてな」

お偉い方にお仕えするのは、もっと大変だと思っていた。俺は猫屋敷での仕事を楽しんでいる。


「そろそろだな」

庭に居た公爵様のお手に、ひらひらと飛んできた魔法の蝶々が止まった。

「もうすぐテオドール達が帰ってくる」

公爵様の言葉を合図に、魔法の蝶々が空中に溶けて消える。


 公爵様は、魔法使いではないとおっしゃるけれど、俺から見たら十分に魔法使いだ。

「楽しみだね」

公爵様は膝の上の猫を撫で、猫が甘えた声で鳴いた。俺は羨ましくなんか無いぞ。だって、俺に懐いてくれる猫もいるからな。俺と遊んでくれる猫たちも、やっぱり公爵夫人に甘えている。その姿には目をつぶることにした。羨ましくなんかない。


 公爵様のお嬢様シュザンヌ様の旦那様は、魔王を斃した元勇者テオドール様だ。魔王のせいで虚無に呑み込まれ、命を育むことのなかった大地に、命を蘇らせることが出来る唯一の御方だ。


 テオドール様はその力を惜しむことなく人々のために使ってくださっている。御家族とご一緒に各地を旅しておられるから、一年の半分以上はお屋敷にいらっしゃらない。元勇者テオドール様と御一緒に旅をしておられるシュザンヌ様も凄いと思う。裕福な公爵家で、蝶よ花よと育てられたお嬢様が長旅だ。俺が垣間見るだけの裕福な生活をしておられたお嬢様が、一日中馬車に揺られるような生活だなんて、俺には想像も出来ない。


 俺も前から屋敷で暮らしている人達と一緒に、シュザンヌ様とテオドール様の御一家が戻られる日を楽しみに待つことにした。

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