言葉を売った男
水村ヨクト
本編:言葉を売った男
第1話 言葉を売りませんか?
「ごめん、本当に……俺、不甲斐なくて」
賑わうカフェに似つかない暗い声色。
「で、でも
誠心誠意――に聞こえるように、言葉を並べる。
「……噓でしょ。
「い、いや嘘じゃないって! 確かにバイトクビになった一か月も黙ってたのは悪かったって思う! でもッ……」
額に冷や汗。もうどれだけ言葉を並べても取り繕えないことは、漆原怜には分かっていた。だから、このやりとりも、彼にとって無意味に思えて仕方がなかった。
「もういいって。別れよう? 私たち」
覚悟していた言葉。いや、もう許容範囲になっていた言葉。でも。
「あなたの言葉って、重みがないよ」
この言葉は、なぜか胸に重かった。
*
バイトもクビ。その上独り。怜の足取りは当然重い。
「何が言葉に重みがないだ。言葉なんて、所詮口から出たでまかせだろ」
寂れた路地に響く溜息交じりの自らの声に、怜は一層虚しくなった。ズボンの後ろポケットから財布を取り出す。重みはあるが厚さはない。はした金しか持ち合わせがない怜は、暗くなるまで散歩で時間を潰すことに決めた。幸い、陽はもう傾きかけてきた頃で、長旅に出る必要はなさそうだった。
そうと決まればと一歩踏み出したそのとき、怜は後ろからの声に気が付いた。
「あの、そこのお兄さん」
声の方を一瞥する怜。そこには、怜よりいくつか若そうな女の子が立っていた。大学生くらいか、と怜は無意識に予測した。が、それ以上は何もしなかった。明らかに面倒そうな雰囲気を察し、顔を背ける。
「もしもし? ちょっと、聞こえてます?」
怜のあからさまな態度に屈することなく、ずいっと身を怜の眼前に乗り出す彼女。怜も意地になって無視を続ける。傍から見れば、痴話喧嘩の最中なのではと疑われても仕方ないくらいの距離感で、その冷戦は繰り広げられていた。
「ねぇってば! 何か言ってくださいよ。それとも、声の出し方を忘れてしまいましたか?」
その表情、声色、間、全てが怜の神経を逆撫でするには十分で、我慢できず怜は自らの敗北を認めることとなった。
「んなもん忘れるかよ……! 何だ? てか誰だ?」
怜は最大限、鬱陶しいという態度を見せつけながら、小さな彼女の顔を見る。
「あ、やっと反応してくれましたね」
これまで目を逸らし続けていた怜は、想像よりずっと可愛らしい顔が視界に飛び込んできたことに、思わずたじろいだ。それでも威勢は崩すまいと言葉を続ける。
「無視し続けてもよかったよ。ただ、あんたが煩わしすぎて、蚊を潰すのと同じ感覚で反応しちまったってだけだ」
その瞬間、彼女の動きが一瞬止まった。怜はそんなような気がした。
「わずらわ、しい?」
変な女。ただただ、怜は彼女にそんな印象を持っていた。
「用がないならこれ以上話しかけないでくれ。俺、今機嫌悪いんだ」
そう、機嫌が悪い。バイトはクビになり、彼女にこっ酷くフラれ、おまけに深刻なほどの金欠。怜はいつになく機嫌が悪いはずだった。今すぐ走ってこの場から逃げることもできたはずだ。しかし、彼はそうしなかった。
そんな怜の心情など知らない彼女は、少し首を傾げたあと、立ち去られては困ると焦り答える。
「用ならあります! ちゃんとあります。きっと、あなたの気持ち? も悪くなくなると思います! なので聞いてください」
ここで怜は彼女の話し方に違和感を覚えた、気がした。なんというか、言葉を探りながら話しているような――十歳くらいの子供と話しているような感じがして堪らなかった。
「……分かった分かった。なら話だけなら聞いていやる。まあ、どうせ暇だったんだ」
怜の言葉を聞いて、彼女の目は輝いた。不安げな表情は一気に晴れ、嬉々としている。しかし、怜には分からなかった。彼女がこんなにも必死に自分に何かを話したい理由が。
「ありがとうございます! それじゃあ、お話しますね。えっと……」
「……
彼女は未だに怜に名乗りもせず、怜の名前を聞き出すことに難なく成功した。そして、怜のズボンの後ろポケットに入っている、寂しい財布をちらりと見て、続ける。
「漆原さん! あなた、お金に困っていませんか? 私、すぐにお金を手に入れる方法を知っているんですが」
怪しい。怪しすぎる。
怜は瞬時にそう思った。そして、自分の防衛力を心の中で誇った。
「怪しいって思いましたね? たしかに怪しく聞こえますが、危なくはありません」
誰が信じるか。
脳内ツッコミが捗る怜。しかし、まあ聞くだけならまだ危なくないだろうと考えた怜は、彼女が話し続けるのを待ってみる。この選択を怜は後悔することになる。自分の好奇心が、防衛力を上回ってしまうこととなるのだから。
「言葉を売りませんか?」
「言葉?」
唐突に出てきた、文字通り言葉に、怜は困惑した。言葉を売る、だなんて文章を生まれてこの方聞いたことがなかった。何を言ってるのか分からないという風の怜に、白柳は補足する。
「はい、言葉です。『こんにちは』とか『やっほー』とか『アルパカ』とか」
アルパカって……他に例えはなかったのか。
と脳内ツッコミを入れる怜。しかし、もっと分からない。情報を売るだとか、そういった類のものを怜は想像していたが、どうやらそういうわけでもないようだ。
「ていうか、言葉屋さんに行って話を聞いた方が方が分かりやすいと思うので、行きませんか? どうです?」
「言葉屋?」
またもや現れた聞いたことのない造語に頭を痛める怜。
「お金、必要じゃないんですか? ここから近いですし、話だけでも聞きに行きましょうよ。……たしか一回で五百万円も売れた人がいるって噂もあるとかないとか」
具体的な数字の魔力に、怜の心は大きく揺れ動く。
五百万……五百万……ごひゃく、まん。
「……わ、分かった。ヤバいと思ったらすぐ断るからな」
瞬間、彼女は目を輝かせ、くるりと踵を返した。早足で歩き出しながら、言う。
「いいですよ! じゃあ行きましょう!」
彼女に置いて行かれないよう、怜も後に続く。
「おい待てって」
その足取りは、怪しさに対する不安ではなく、五百万への期待に跳ねていた。
*
そこは、寂れたアーケード街の隅の隅。普通に歩いていたらまず見つけられないような、人気のない立地にあった。無機質なフォントで『言葉屋』とだけ書かれた看板が控えめに掲げられた、普通の小さなオフィスのような外観。怜は肩透かしをくらったような気分だった。言葉屋、なんて怪しい店だから、もっと森の中の魔女の家のような外観を予想していたからだ。
「これはこれで怪しさ満載だな」
「? 何か言いました?」
何でもない、と言う怜を横目に、彼女は何の躊躇いもなく建物に這入っていく。怜も殺風景な道端に取り残されぬよう、しっかりと後ろにくっついて続いた。
「こんにちは、
内装も何の意外性もない、ただのオフィスのようだった。ただし、部屋には机と椅子が一つずつしか置かれておらず、その広さに見合わない偏った配置だった。学校の教室で、教壇しか置かれていないような。
「いらっしゃい」
彼女に関と呼ばれた男は、その唯一ある椅子に腰かけていた。その堂々たる様に、怜は彼がこの店の主であることがすぐわかった。そして、その横に礼儀正しく立っている、秘書のような女性も続けて「いらっしゃいませ」と言った。
「お久しぶりですね、
低く響いた声に、怜は身震いした。
お久しぶり? ということは、彼女――白柳は以前もこの店に来たということか。
考えて、そして「そりゃそうか」とため息を吐く怜。この店を紹介してきたのは、白柳である。
「はい、見つかりました。これで大丈夫そうです」
「そうですか。よかったです」
怜は何の話か分からないまま突っ立ていると、不意に関と目が合った。咄嗟に逸らしてしまう。そんな圧だった。
「そちらの方は?」
「あ、そうだった。言葉屋について知りたがっている、漆原さん」
「ほう、言葉をお売りになりたいと?」
いつの間にか自分の話がどんどん進んでいき、何か話さなければと怜は口を開く。
「あ、いや、まだ売るって決めたわけじゃなくて……その、言葉を売るって一体、どういうことなのかなって思いまして」
不意打ちだったが、怜は心からの疑問が出た。そうだ、言葉を売る、とは一体何なのか。それを知らなければ始まらない。
「漆原さん。一般的な大人はどれほどの言葉の種類……いわゆる、語彙を持っていると思いますか?」
言葉に詰まる怜。そんなこと、考えたこともなかった。そんな怜を見かねた秘書の女が口を開く。
「三万。教養のある一般的な大人であれば、最低でも三万語程度の語彙を持っております」
三万……。
途方もない数字に、怜は言葉を反芻した。
「漆原さん、本は読む方で?」
関の問いに意識が引き戻された怜は、昔の記憶を遡った。
「……まあ、お金があった頃は好んで読んでました」
すると途端に秘書が手元の資料を捲り、目を通し始める。と怜が思ったのと同時に彼女は話し始めた。
「でしたら、四、五万語程度持っている、と予測されます。それ以上となると、作家など特殊な職業の方や、雑学王といった人々のレベルになりますね」
一体どういう計算なのか、怜にはさっぱり分からなかったが、妙な説得力になんとなく納得してしまっていた。そんな怜を見つめ、ゆっくりと語り出す関。
「馬鹿な中高生でも一万語。人というのは、有り余るほど言葉を持っている。そして、なかなか減るものでもない」
空気が変わる。関の話を聞き続けなければならないような、不思議な空気感に、怜は完全に飲まれていた。一方、白柳は怜の後ろの方で、子供の様にふらふらとうろついている。
「しかし、お金はどうですか? 金持ち。貧乏。もっている数の差は人それぞれです。漆原さんは、どうでしょうねえ?」
生唾を呑み込む。怜は目の前の関という男の話から、言葉を繋げる。
「……だから、言葉をお金に換えてしまおうと?」
「ご名答でございます」
関の代わりに秘書が答えた。続けて説明を始め、再び空気が変わる。まるで、車のディーラーが見積りを読み上げているように、淡々と、普通に。
「我が店主・関は数年前、言葉を売買できるシステムを開発されました。それによって、言葉は持つものの貧困に喘ぐ人々や、裕福でありつつ言語障害に悩む人々などを救うことを可能にしたのです」
「信じ難い話だな……」
怜の言葉に、秘書は微かに微笑み、続ける。
「日本には『察する文化』というものが存在します。言葉を交わさずとも相手の意思を汲み取る文化です。また、寡黙で多くを語らない男性の方が魅力的であるという風習もございます。この国なら多少、語彙力が少なくても十分に生きていけるでしょう」
「お金に困っているんじゃありませんか? 一万語売ったって、中高生の二、三倍の語彙力ですよ。それで十分ではありませんか」
秘書の説明に関が補足をして、言葉を売る、という不可思議なやりとりについての基本的な説明が終わった。怜としては、それよりも気になることが頭の中に浮上していた。まだまだ何も知らない状況では、率直に聞くのが早いと思い、口に出す。
「一万語、売ったとして金額はいくらくらいになるんですか?」
その疑問に、秘書が素早く反応する。
「言葉によって価格が違ってきますが、一万語ですと……そうですね、おおよそ八十万円程度になると思います」
またよく分からないことを言いだしたな、と怜は思った。それが顔に出ていたようで、関が再び補足説明を始める。
「言葉一つ一つに、値段が付けられているのです。『りんご』や『歩く』など簡単で目に見える言葉などの値は安く、『名誉』や『絆』など概念的かつ生きる上で重要な言葉ほど値が上がります。再学習しやすいかどうかも値段を決める観点のひとつですよ」
「なるほど」
案外よくできたシステムなのかもしれないな。なんて感心していると、秘書がどこからともなくタブレットを取り出してきて、怜に差し出した。
「こちらのタブレットで、買取金額をお見積りできます」
気づけばタブレットは怜の手にあり、秘書は定位置である関の斜め後ろに立ってた。そして、タブレットを指し関が言う。
「そちらのタブレット、一週間お貸ししましょう。一週間以内にまたご来店ください。そのときに、本当にお売りになるか考えたらいい」
「いや、でも……」
怜は関とタブレットを交互に見る。関の顔は優しく、タブレットは無機質だった。後ろに白柳の軽快な足音が聞こえる。
「……じゃあ、まあ見積もるだけなら」
怜が言った途端、関と秘書は立ち上がり、関は軽く、秘書は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。お待ちしております」
じゃあ、と踵を返す怜。それに白柳も続く。
「ああ、そうだ漆原さん」
関の声が怜を引き留めた。怜は続く言葉に耳を貸す。
「売る言葉を選ぶ際は、くれぐれも慎重に」
そして、関はたっぷりと間を開けて、残る言葉を口にする。
「どのような言葉をお売りになっても、言葉屋は一切の責任を負いません」
その言葉を聞いて、白柳は首を傾げた。
それを見た怜も、首を傾げるのだった。
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