異世界ファミリー
@banana_banana_banana
第1話 儀式と転生
22時45分、鈴木明は会社の喫煙所にて本日5度目のタバコ休憩をとろうと席を立つ。昨今、喫煙については世間の風当たりが強く、会社単位でタバコをやめさせるよう社員に呼び掛けたり、喫煙所をなくすなどの環境的アプローチで禁煙を促し喫煙率を低くしようというのが世間の流れなのだが、労働基準法も守れないわが社にとってはどこ吹く風のようだ。その社内喫煙率は驚異の85%越え、新入社員のあいさつ回りは朝一の喫煙所で済ませられる。
世間一般的には「夜中」と言われるこの時間だが、切れかけの古い蛍光灯が照らす薄暗い喫煙所の中にはそれぞれ違った趣で自分の人生を呪いながら過ごしている3人がいた。
一人は、今年入ったばかりの新人・伊藤君だったか。ソファーにも座らず床に膝を立てて顔をうずめてすすり泣いている。ほんの2カ月前まで学生だった君に16時間労働と植田主任の教育はきつかろう。南の島の住人が突然アラスカに送られて屈強なロシア人にムチ打たれながら鉄道を作らされるようなものだ。
気を強く持って、目を伏せるのをやめることから始めよう。横にも上にも選択肢はある、力を抜いて、いい加減な気持ちで仕事に向き合うことをお勧めする、と心の中で呟きながらポケットから煙草を取り出す。
ソファーに座りテーブルに頭を大体60bpmのリズムで打ち付けている彼女は3年目の佐藤さん、真面目でタフな女性だったはずだ。きっとプロジェクトのスケジュール調整が難航し、相手方を呪い殺そうとしているのだろう。横にはメッセージ画面が表示されたスマホが置かれている。
君は悪くない。先方の不手際を上司に報告して明日対策を練ろう。仕事量を他に振り分けて負担を分散してくれるかもしれないし、被るリスクを減らすことができる。まぁ結局何の対応もしてくれず、責任転嫁されて丸投げになるかもしれないが……
祈るように目を閉じて視線を佐藤さんからゆっくりと外しながら煙草に火をつける。
そして、ため息をつき、わざとらしく額に手を当てながら自動販売機の前をウロウロしている高橋課長……はあまり見ないようにしておこう。目が合うと仕事を振られてしまいかねない。スマホを取り出し、視線を画面に落とす。
優子さんからメッセージが1通届いていた。
『今日、早く帰ってこれませんか?』
帰宅後の不幸を前もって伝える陰鬱な文面に思わず舌打ちをしてしまう。見なかったことにして無視したいところだが、忌々しいことに最近のメッセージアプリはチャット画面を開いた時点で「既読」をつけられてしまい、誤魔化すことができない。諦めて何の感情も込めず機械的に返事を返す。
『了解しました』
帰ってからも仕事があるらしい。
別に妻が憎いわけでも家族が嫌いなわけでもない。自然と人間の共存と同じくらい家庭円満は難しい。不断の努力と節制により、恩恵を得ることができるが怠ればすぐさま愛想をつかされ、牙をむく。ずっとブラック企業勤めで家族を顧みなかったツケが回り、もはや僕と家族の間には取り返しのつかないほど広大で不毛な大地が広がっている。
妻にメッセージを返信した後はアルゴリズムに乗って流れてきただけの適当なニュース記事の見出しだけをチェックし、無意味にホーム画面をスワイプしたりして時間を浪費し、仕事に戻る。
そこからの時間はあっという間に過ぎ、終電に何とか乗り込んで最寄り駅につくと午前0時を回っていた。閑散としたホームに革靴の音を響かせながら、ゆっくりと改札へと降りる。駅近くの商業施設や飲食店に歓迎されることはなく、梅雨時の湿った風を体にまといながら、コンビニの明かりだけが忽然と光る深夜の駅前からトボトボと自宅へと歩み進める。
歩きながら、自宅で行われるであろう優子さんとの会議についてブレストを行ってみる。恐らく話題となるのは近頃我が家の悩みの種となっている、長男・明徳の学校生活についてだ。
鈴木家は冷めた夫婦と血のつながりを否定しあう姉弟、そして愛犬・フライによる5人家族で構成されている。
長女の優奈は明るく、目立った反抗期もなく友達に囲まれ、今年地元の公立高校に入学した高校生だ。親への気遣いも行き届いていて両親の誕生日と父の日、母の日には必ずプレゼントを贈るほどだ。恥ずかしながら僕は自分の両親に対して一切贈り物を贈った経験がないので優奈が小学3年生のころ初めて父の日のプレゼントとして手紙を渡してくれた時、嬉しいというよりひどく困惑させられたのを覚えている。もちろん、その手紙は今でも財布のお守りとして大事に入れさせてもらっている。そのくらい両親に対しては孝行娘として振舞ってくれいる優奈だが、弟・明徳に対しては険悪だ。どうしてそこまで嫌うようになってしまったのか、優子さんが問い詰めた際には「理由なんかない」とハッキリと不条理な回答をたたきつけたそうだ。食卓で「醤油とって」というささやかな要望ですら無視されてしまうほど明徳は理不尽な敵意にさらされている。
そして、明徳は姉だけでなく、同級生からも明徳は邪険にされているようなのだ。小学生の頃までは特に何事もなかった。友達も頻繁に遊びに来ていたようだし、休みの日に家族と車で出かけるとなると必ずと言っていいほど会話の中心は明徳だった。学校で○○君がすごかっただとか、今はこれがクラスで流行っているだとか、そういう他愛のない明徳の学校での日常と誰の趣味でもない音楽の垂れ流し、鈴木家のドライブの定番であり、少し退屈ながらも穏やかで眠くなるほど幸せな時間だったのだが、中学に入り明徳を取り巻く状況は一変したらしい。今や明徳は何も語ってくれなくなってしまった。学校生活に原因があることは明らかなのだが担任の教師からもはっきりとしたことは分からなかった。当然と言えば当然で明徳は入学してから一週間ほどしか中学校に通っていないのだ。担任の教師は、まだクラス全員の名前すら覚えられていなかっただろう。しかし、そのわずかな時間でクラスメイト達は明徳を見限り、失意のどん底に沈めるほどの苦痛を与えた。子供たちの時計は大人が思う以上に早く、鋭利に回るものらしい。
母親の優子さんもまた明徳のいじめの被害者でもある。地元の市立病院で長年看護師長として働いている故か私生活においても責任感が強く、家計は僕と二人で支えてはいるものの、家庭は優子さん一人の主導で成り立っている。昔から頑固で妥協を許さない性格の優子さんだからこそ、今回のような見えない敵との長期戦においては脆い。
数年前、優奈が小学生の頃、僕がスマホを買い換えて不要になった端末を優奈にあげたところ、手放せなくなってしまった。その際にも、同じように話し合いの場が設けられ、深夜帰りでクタクタの頭にスマホ脳の危険性を長々と語られたことがあった。その講義は3夜にわたって開催され、最終的に優奈のスマホを寝ている間に処分する決定が下された。
翌日、ひどく取り乱した優奈が優子さんに激しく抗議したものの、それ以上のヒステリック声が朝の食卓に響き渡り、一蹴されたのを覚えている。
子供を思いすぎるがゆえに、先行きが見えない不安に対して事態を悪く見積もりすぎて不安とストレスを抱え込みやすい体質のようなのだ。今回の件についてもかなり悪い方にその性格が作用し、かなり危機的な状況に自らを追いやってしまっているのだろう。ここ数日、碌に家事も手についていないのか優奈が食事を作ることが多いらしい。
正直なところ、明徳のいじめについて個人的にはあまり重大なことと思っていない。もちろん、学校生活における居場所をなくしてしまったことによる喪失感は過去に経験がないくらい大きなショックを与え、無気力になってしまっているのだから本人にとっては大事ではあるのだろうが、たかだか最初のスタートダッシュで躓いただけだ。そんなことで一生恨むほど他人は暇じゃない。少しずつ向き合えば三日で解消されるような小さな障害から背を向けて、なぜ自ら崖に向かって逃げるのか理解できない、というのが本音だ。
しかし、そんなことを口にしてしまっては戦争だ。夫婦生活を維持するためには言葉を選んで優子さんの意見を尊重し適切な回答をしなければならない。いや、もういっそ自分の意見など必要すらないのかもしれない。そうだ、優子さんの考えに適当に相槌を打てば優子さんなりの結論が出るだろう。とにかく、今日は建設的な話し合いをするには分が悪いし疲れている、受けに徹することにしよう、と我ながら身勝手な対策を立て終わって投げやりに作戦会議終了し、顔を上げるといつの間にか自宅の前についていた。
自宅につくと当然のように明かりがついており、もしかしたら寝てしまっていて会議はお流れになるかも、とほんの少し心の奥底に抱いていた期待は完全に消失した。玄関の扉が地獄に直通している、そんな絶望的なイメージを浮かべながら、息をひそめてなるべく静かに玄関の扉を開ける。その微かな音を聞きつけて地獄の番犬・フライがツルツルのフローリングで足をドタバタと空回りさせながらドリフトの要領で直角に曲がって廊下に飛び出し、怒涛の勢いで一直線に尻尾を振りながら突進してきた。目の前に来ると声を上げてとびきりのうれしさを表現しながら歓迎するフライを見て、イメージと現実のギャップに思わず笑みがこぼれてしまう。
フライの歓迎に応えるように頭と腹をこれでもかというほど撫でまわす。手を止めると仰向けの状態からラッコのように両前足をブンブンと振って催促をしてくるので、また撫でまわす、このやりとりは僕の疲労に比例して長くなる。今回は終電間に合って帰ることができたので比較的マシな方、いつもより短めに済ませる。
しかし、幸せな時間は玄関からリビングにつながる廊下を歩くまで。扉を開けると優子さんがリビングのソファに座り、真っ暗なテレビを眺めて待っていた――
正直に言って作戦など何の役にも立たず、戦略的撤退を余儀なくされた僕は愛車の中でフライを膝にのせ、怖がらせないように座席の後ろでライターに火をつけてゆっくりと口にくわえているタバコに火をつけ、一息入れる。気を紛らわせるために何気なくフライに触っていた左手を見てみるとかなりの量の抜け毛がついているのを見て、そろそろ換毛期かぁ、トリミング予約しないとなぁ……
などと、とりとめもない考え事を丸めてみては頭の中の皿にのせて回転させ、手に取るでもなくボーっと眺めて紫煙とともにフーッと吐き出す。すると煙の奥から先ほどの失敗が浮かび上がりまた気分が沈む。
会議はシミュレーションした通り引きこもってしまった明徳について優子さんがイニシアティブを握りながら展開していった。優子さんいわく、根本的な対策についてこれから本格的に調査していくことを考えており、担任の教師に期待しても望み薄であろうという判断から、地域支援センターへの連絡・相談、訪問カウンセリングの依頼等、明徳個人を立ち直らせる方向性で長期の解決策を模索している。僕からも何か案があれば報告してほしいとのことだったので、とりあえず了承した。
そして、半ば思い付きで投げやりに近い直近の対応措置として僕から明徳に学校に行くよう説得することを求められたのだが、僕にはそれをやる意味が分からなかったので拒否してしまった。引きこもってしまって以来、優子さんが何度も試みたことを僕があえて繰り返して行う必要性は薄い。しかも、その望み薄の作戦を実行するためだけに夕食を家族で囲うために仕事を切り上げるなんて愚行以外の何物でもない。気休めの策を実施するためだけに、ばかばかしい手順を踏むことが理解できなかった。
そうやって頑なに拒否し続けていると、優子さんの堪忍袋の緒が切れたのか、堰を切ったようにこの件とは関係のない僕への不満を一方的にぶつけるようになり、そこからはもう戦争だった。目的と手段が入れ替わった不毛な闘争の果てに僕はここに至ったというわけだ。
一通りやり取りを振り返った後、またため息を一つ。もうここを離れる気も起きないし、このまま寝てしまおうかなどと考えていると、月が暗雲に包まれてあたりが真っ暗になった。ありがたい、自然のお気遣いに感謝しつつ目を閉じる。張りつめていた神経が弛緩し意識が遠のいていくのを感じ、膝の上のやわらかで暖かな感触とゆっくりと寝息を立てながら一定のリズムで収縮するフライのお腹の手触りにいざなわれるようにまどろみの幸せに包まれる……
――安息の時もつかの間だった。瞼越しの真っ暗な視界が白く塗りつぶされるほどの激しい光とともに大地を揺らす轟音がとどろく。慌てて飛び起きてフライを蹴飛ばしそうになるも寸でのところで足を止めて、怯える愛犬を安心させるようにそっと撫でてやる。
「優子さん、優奈、明徳……」
家族のことが気がかりになり、家へ急いで戻る。玄関を開けると慌てた様子の優子さんが短い悲鳴を上げた。優子さんもまた僕らを心配して様子を見に行こうとしてくれていたのだ、とほんのり優しさを噛みしめながら家に上がる。
すると、子供部屋の一室のドアが開き優奈が恐怖半分、興奮半分のパニック状態になりながら部屋から飛び出してきた。
「やばくない!?今の音、雷でしょ!めっちゃ近くじゃない!?大丈夫かな、え!?大丈夫かな、うち!!」
スマホを振り回して周りを照らしながら甲高い声で尋ねてくる。
「優奈、落ち着け。外から家の様子を見たけど燃えてはなかったしうちじゃないはずだ」
犯人をなだめる警察官のポーズをとりながら取り乱した娘に語り掛ける。
「そうなんだ!?とりあえず、うちじゃなくてよかったね。てか、パパおかえり」
「あぁ、ただいま。それより、明徳は?大丈夫なのか?」
あまりの切り替えの早さにたじろぎ、気の抜けた返事をし、ついまともな返答が望み薄な質問を形式的に口にしてしまう。
「知らない、死んでんじゃない」
そんな無責任な、と責めたくなる気持ちをぐっとこらえて明徳の部屋の前に立ちノックをしながら声をかける。
「明徳―大丈夫かー?」
返事がない。いつものことではあるのだろうが、状況が状況だ。恐る恐る部屋を開けてみる。すると、何かの儀式を行っていたかのような異様な光景が広がっていた。32方位が書かれた紙に木の枝、周りに火のともされたろうそくが何本かともされ、ろうそくの輪の中心に明徳が目を閉じて座っていた。
「明徳!!」
理解しがたい光景を見た恐怖からか無意識に大声を上げて息子の名前を叫ぶ。
すると、ビクッと背中を震わせ慌てた様子で振り向いた。
「あっ!!!」
明徳が声にならない悲鳴を上げたかと思うと、ろうそくの火が突然噴火したかのように天井に向けて勢いよく吹き上がり、明徳を覆い隠した。反射的に振り向き部屋の入り口にいる優子さんと優奈を守るため二人を倒れるような形で押し戻した。倒れこんだ先にフライがいて、主人の身を案じてか逆毛を立てながらも必死に吠え叫んでいる。
「明徳はどこ!?明徳ぃ!!」
と倒れながらも手を伸ばし、優子さんは必死に息子の名前を叫ぶ。ハッと我に返る。息子が炎の柱の中に飲み込まれて悶え苦しんでいるのだ。早く助けなければ――
意を決して、再度部屋へと戻り中の様子を確認する。部屋の中心で勢いを増しながら炎の柱はとぐろを巻き続けていた。部屋の中は乾ききり、発する熱気は触れれば命がなくなることは確実であることを物語っている。しかし、躊躇している暇はない。煉獄の炎に焼かれて苦しんでいるのは、他でもない自分の息子なのだ。覚悟を決め、呼吸を止めながら一歩を踏み出す。一歩、また一歩、指先の芯に熱湯を注がれたような強烈な痛みと熱が走り、立ち止まりそうになるのをシャツの襟を噛んで耐え、もう一歩。涙、鼻水、よだれ、汗あらゆる体液が顔を覆い、歪んだ視界すら保てなくなりながらも、もう一歩前へ。
いよいよ炎に触れそうな距離までたどり着く。天井を衝き、成人男性すら簡単に飲み込んでしまえそうなほどの大きさと威圧感。間近で見るこの異常現象の迫力に気圧されそうになるも、今更止まるわけにはいかない。
目を閉じて一呼吸置いた直後、体を弓のように折り前傾姿勢で勢いよく炎の中へ。とにかく明徳に触れようと必死に手を振り回して探る。しかし、その手は空を切るばかり。一向に明徳に到達しない。
浅かったのかと一歩また踏み出して同じように手を振り回すも何も触れるものがない。仕方がない、さらに奥へ……いや、待てよ。「何も触れるものがない」、そう熱気さえも。息をしている。無意識のうちに鼻で呼吸していたことに今更ながら気が付いた。実感するために意識して一度、大きく吸って吐いてみる、間違いない、息ができる。
閉じていた触覚、嗅覚を炎の中から取り戻すことができた。残るは、視覚。普通でないことが起きている、少なくとも自分にとって好都合で不思議な出来事が起きている、と半ば確信しているものの中々信用しきるのは難しい。その場に俯いて気をつけの姿勢で立ち止まり、恐る恐る震える瞼で視界を白黒させながら1mmずつ慎重に目を開けていく。視界が開け、靴を履いた自分の足元が見えてくる。靴の脱ぎ忘れの事実に驚きつつ、両手、胴体に視線を動かし、ペタペタと触ってみて異常がないことを確認し、顔を上げる。
――目の前には巨大な岩の扉が鎮座し、炎は扉と僕を避けるようにして裂けていた。
何とも不思議な光景だった。炎の勢いは衰えることなく真横を見るとごうごうと音を立てて燃え盛っているにもかかわらず、自分の周りだけ炎が切り取られたように燃えているだけで触れられない。手を伸ばしても磁石から離れる砂鉄のように炎は離れていく。さらに異質なのはこの扉だ。高さこそ僕と並ぶくらいだが、厚みが深く、真ん中に切れ目があり、両開きになっているのだろうが、おおよそ人間の力で開けること想定していない異物だ。
目の前に広がる信じられない光景に絶句しながら優子さんと優奈が恐る恐る近づいてくる。フライは二人の後に続いて入ってくるかと思えば、途中で部屋のドアまで引き返し、ひょっこり顔を出し、遠巻きに吠えるばかりで近づこうとはしなかった。
「やば……なにこれ」
言葉とは裏腹に猫にでもじゃれつくようなしぐさで手を小刻みに振り回してひとしきり炎の動きを確かめたかと思えばスマホを取り出してカメラを向けだす始末。どちらに似たのか危機感が足りなさすぎる、と呆れていると
「止めて!明徳のことちゃんと考えてる!?消えたのよ、明徳が!!」
強い口調で優奈をしかりつけながらグイっと引き寄せて炎から遠ざける。まったくもってその通りだ。何も解決してはいない、炎に明徳が飲み込まれ、助けようと飛び込むと明徳の姿はなく謎の扉があるだけだった。種も仕掛けもジシャンもいないイリュージョン、種明かしする人間がいない以上出てきたものに直接触れて確かめるしかない。
扉に手を伸ばし、開けようと試みる。手のひらにざらついた感触と先ほどまで炎に包まれていたからかほんのり温かみを感じながら、左足に全体重をかけ、腕を通して全力を扉に伝える。うめき声が出るほどしばらく踏ん張って押し開けようとしたが、びくともしない。笑いをこらえながらスマホにその姿を収める優奈への怒りを力に変えて絶叫しながら押してもやはりだめだった。
諦めて扉から手を離すと、地鳴りのような音を響かせながらゆっくりと開いた。扉が開き切るとその先には暗闇が広がっていた。目を凝らしても扉の先がどこにつながっているのか何が待ち受けているのか全く分からない。この先に明徳がいるのかもしれないが、何の保証も確証もない無限に広がる闇に一歩を踏み出す勇気はわかない。優子さんも優奈も固まり動けない様子だ。
すると風が扉に向かって強烈に渦を巻き始め、じりじりと足元が扉に引き寄せられる。このままだとこの扉に吸い込まれてしまう。しかし、遠ざかろうと足を浮かせればバランスを崩すほど引き寄せる力は強い。風はさらに勢いを増す。とにかく何かにつかまって持ちこたえるしかない。窓のふちに手を伸ばしてつかまるも、優子さんと優奈は先に体制を崩してしまったのか宙に浮いた二人がこちらに向かってくる。二人分の体重を支え切るほどの腕力は20年来のデスクワークで培われておらず、抵抗むなしく3人とも情けないかっこうのまま謎の扉に吸い込まれてしまった。
「ワオーーーーン」
フライの嘆きの叫びと重々しく扉が閉まる音が聞こえたきり、僕の記憶と視界は途切れた。
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