わたしとネコ

ユニ

わたしとネコ

「ルーシー、君はいつも一生懸命に働いているし、何より君のまわりはいつも明るい」


 バビロニア公爵嫡男カール卿の笑顔は、わたしにはまぶしすぎる。

 物心ついた時にはこのお城の中でメイドとして従者の仕事をしている身、話しかけることすらはばかられる。


「ありがとうございます。もったいないお言葉です。カール卿」

「カールでいいよ。同じ年じゃないか、ルーシー」

「そんな……。私は拾われた身でとてもそんな風に呼ぶことはできません」


 最初にカールが話しかけてきたのは10歳の時だった。


「ルーシーこっちへおいでよ!」

「ちょっと待ってよ。カール!」

「ごめん、ごめん、ちょっと急ぎすぎたか」


 わたしはカールの遊び相手も任されるようになった。

 これも仕事のうちだったけど、わたしにとって何より楽しい時間だった。

 カールとは、どんどん親しくなった。


「フム。カールよ、お前がそこまで言うのであれば認めよう」

「お父様、ありがとうございます!」

「私は大賛成ですよ。ルーシーはこのお城の事を誰よりもわかっているし、まじめな仕事ぶりは誰よりも評価できるわ」


 バビロニア公爵夫人はうれしそうに言った。


「それでは城にできるだけ多くの人を集め婚約を発表しよう」


 バビロニア公爵夫妻は捨てられていたわたしを拾ってくれた命の恩人でもある。

 

 それが突然変わったのだ。

 婚約発表から3年。

 わたしとカールが13歳になり結婚も間近となった時、隣国から訪れた者がいた。


◇◇◇


「カール! あの棚の上にある花瓶を取りたいの。ワタクシの体を支えててちょうだい」

「はい! イライザ。でも危ないから僕が取ってあげるよ」

「いいの、いいの」


 イライザはカールに腰のあたりをもたせ踏み台の上でフラフラと棚の上にある花瓶を取ろうとしている。


「きゃっ!」


 イライザは倒れかけるとカールの胸元へと飛び込んだ。


「大丈夫かい!」


 カールはイライザを抱きかかえた。

 抱きかかえられた胸の中からイライザは、わたしの方を睨みつけている。

 そして、ニヤリと笑った。

 わたしにカールとの仲を見せつけているのだ。


「おい! お前! 何さぼっているんだ! さっさと掃除を終わらせるんだ!」

「ご、ごめんなさい。カール」

「下賤の者が! 口の聞き方を考えろ! カール卿であろう! 無礼だぞ!」


 カールは恐ろしい形相で、わたしを怒鳴りつけた。


 サルゴン公爵令嬢であるイライザが現れて全てが変わった。

 やさしかったバビロニア夫妻は、わたしに一切話しかけもしなくなった。

 そしてカールは事あるごとにわたしに対して怒鳴り散らすようになった。


◇◇◇


「さ、さむいっ」


 体が震える。

 あたりのワラをかき集めてまとう。

 けど、冷たい風がすきまをぬって体に刺さる。

 馬小屋からは月が見える。

 

 拾われた頃からずっと温かい部屋で寝られたのは何と幸せなことだったんだろう。

 わたしの寝室はイライザのものとなった。


 その時、馬小屋の入り口のドアがきしむような音がした。


「だ、だれか、いらっしゃるんですか?」


 人の気配がする。

 ミシリ、ミシリとこちらへ小さな音が近づいてくる。


「だ、だれなんですか!」


 暗闇から現れたのはカールだった。


「カール……卿……。こんな時間にどうしたんですか?」

「ルーシー、ごめんよ」

「え? どうしたんですか?」


 暗くてカールの表情が見えない。

 カールは、まるで重りでも足についているかのようにゆっくりと歩を進め近づいてくる。


「う、う、うぅぅぅ」

「カール! 泣いてるの?」


 カールは嗚咽のような低いうなり声を発している。

 右手に何かを持っている。


「こ、これ、あげるよ」


 カールは右手をふりあげた。

 白目を向き、口からはヨダレをたらし、その表情は悪魔のようだ。

 今にも振り下ろそうとする手にある物が月明かりで光った。


「きゃあっ!」


 大きなナイフが振り下ろされた。

 思わず目をつぶってしまう。

 同時に胸のあたりに衝撃が走り後ろへ倒れた。


「ぐわぁ!」


 わたしが転んだからかカールはナイフを空振りしよろけた。

 いや、違う。

 わたしが後ろへ倒れるように黒いネコが飛び込んできたのだ。

 そして黒いネコはカール顔をひっかいたのだ。


「逃げろ!」


 どこからともなく聞こえた声に押されてわたしは駆け出した。

 城を出て森の中。

 城から出たことの無いわたしには、どの方向へ行けばいいかもわからない。


「右だ!」


 声に従って走る。

 

「気をつけて大きな岩がある!」


 声がわたしに次々と指示する。


◇◇◇


 一晩中走っただろうか。

 夜も明け、遠くに町並みが見える。


「助かった……。あれネコちゃん?」


 昨晩、わたしを救ってくれた黒猫が目の前にいる。

 抱きかかえてほおづりする。

 

「あったかい、それにいい香り。太陽のにおいがする。ネコちゃん昨日はありがとうね」

「僕はエル。ルーシー」

「えっ? ネコちゃんがしゃべった!」

「だからエルだって。ルーシー」

「エ、エル。もしかして昨日、逃げる時にずっと聞こえていた声も?」

「ああ、そうだよ。人間は暗闇の中で目がきかないからね」

「ありがとう……」


 思わずエルを抱きしめた。

 あったかい。

 この1年、イライザが現れてから誰も味方も居なく、最後には殺されそうになった。

 涙があふれてくる。


「な、泣くなよ。ルーシー。それに強く抱きしめすぎて痛いよ」

「ご、ごめんなさい! エル!」

「泣いてる余裕なんてないぞ。これから一人で生きていかないといけない。まずは街でギルドへ行くんだ。いろいろな仕事も見つかるはずだ」

「うん! 一人じゃなくてエルも居るけどね!」


◇◇◇


「へー。夜中にあの森を抜けて来たんだ? あの魔の森をねぇ……。にわかには信じがたいけど、はたしてどうかしら?」


 赤い髪が特徴的なギルドの鑑定人は、そう言いながらわたしの額に手をあてた。

 

「あらっ! すごいわ!」


 ギルドの鑑定人は叫んだ。


「この人、男なのになんだか女の子みたいな話し方するね」

「ちょっと、エル、余計なこと言わないの。失礼よ」

「あ~ら、いいのよ。ネコちゃん、かわいがってあげようかしら?」


 エルは身体を一瞬ブルブルっと震わせて離れた。


「ルーシー、あなた大聖女の道を目指さない? 魔の森で一切魔物に合わなかったのも納得だわ。これだけの光の加護があれば当然ね」

「えっ? わたしはただのメイドでずっと下働きをしていただけなのですが」

「あなたは無自覚なまま能力を出して常に聖水を周囲に撒いているのと同じ効果を発揮しているわ」

「そ、そうなんですか?」

「魔物をよせつけない防御魔法をずっと発動している状態。とんでもない魔力量だし光の属性なんてあたしもお目にかかったのは初めてよ」


◇◇◇


「なんですって! 逃したの!」


 イライザはカールを怒鳴りつけた。


「……」


 カールは生きる屍のように目に光が無く、口からはヨダレをたらし、フラフラとかろうじて立っている。


「役にたたないわね!」


 イライザはカールを蹴りつけた。


「う、うぅ、うぅぅぅ……」


 カールは死体のように転がりうめいている。


 ルーシーの居なくなったお城は、暗い雲に覆われたようにどんよりとしている。


 バビロニア家はルーシーが来てから明るく平和な日々が続いていた。

 それはルーシーが無意識に発動しつづけていた光の魔法の効果による所が大きかったのだ。

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