私は人間ではありません

yasuo

私は人間ではありません

『私は人間ではありません』


 マッチングアプリを眺めていると、そんなプロフィールが目に止まる。電波系、、?と思ったが見た目が可愛いのであまり深く考えることなく右スワイプ。すぐにマッチングが成立し、メッセージでお互い簡単に挨拶を済ませる。もはやこのへんはほとんどテンプレである。重要なのは内容ではない。挨拶をすること自体が重要なのだ。最低限の礼儀を示し、「常識人」を演出する。相手によっては「非常識人」を演出するのがいい場合もあるが、特殊だろう。どちらがいいか見極めるのも面倒なので、基本的には無難に挨拶することにしている。

 それにしても普通だな。プロフィール的には非常識系でもおかしくないと思ったのだが、拍子抜けにまともなメッセージのやりとりができた。

 珍しく会う約束をすぐに取り付けられたので、気分がよくて深く考えなかった。こんなアプリ、深く考えてやるもんでもない。


 ***


 どう見ても人間だった。

 駅前で待ち合わせ、高架下の適当な居酒屋に入る。テーブルを挟んで向かい合わせに座り、とりあえず一杯。そういえば、と「私は人間ではありません」を思い出したのである。今まで忘れていたくらいには普通に人間だった。

 いや、まあ、当たり前か。

 強いて言えば作り物のような無機質さがある。綺麗だった。アプリなんてやらなくてもよさそうなのに。やはり性格に何らかの難ありなのか。

「そういえば、人間じゃないんだっけ」

「はい」

「人間じゃなかったら、何なん?」

「私、機械なんです」

 心の中で吹き出しそうになりながら、まだ平静を装う。

「人工知能ってやつ?」

「アンドロイドとか、ヒューマノイドって言う人もいますね」

 彼女は淀むことなく答える。それなりに設定は練ってきているらしい。

 冗談めかしているわけでもなく、平然と電波な自己紹介をする彼女。ここまで堂々とされると、変に茶化すのも野暮というか、負けな気がした。

「証拠は?」

「……見せたいのはやまやまなんですが」

 それはないのか。ちょっと楽しみだったのに。

 なんて思っていると、彼女は申し訳なさそうな顔で上目遣いにこちらを見た。

「秘密なんです」

 そして、ニッと笑った。

 電波系……悪くないですね。


 ***


 あれから一年。彼女との付き合いは続いていた。アンドロイドの設定は頑なに貫いていたが、性格自体はよく、それでいて無邪気な可愛さを見せてくれる。

 思えば一年前のあの日、既に恋に落ちていたのかもしれない。「恋に落ちる」なんてのは物語上の表現で、現実の恋は落ちた瞬間などわからないことを知った。

 しかし二人は一年間、恋人ではなく友達だった。関係が壊れるのが怖くて踏み込めなかったのだ。実にありふれた理由だと思う。我ながらなんとも情けない。

 経験上、アプリで出会った関係は長く続かない。所詮は承認欲求を満たすことが目的で、好きなのは自分だ。お互い自分を好きな者同士、すぐに相手も相手自身のことが好きなだけだということがわかる。

 彼女に対しても、恋愛感情ではないと思っていた。単純に彼女のことが気になっているだけだと。なぜ、頑なに人間ではないと言い張るのか。いつまで、人間ではないと言い続けるのか。段々と彼女のことを考える時間が長くなり、これが「好き」なのかもしれないと、そう思い始めた。

 スマホが鳴る。彼女からのメッセージだった。彼女とは既に連絡先を交換している。しかしメッセージはあのアプリからだった。アプリはもうしばらく使っていない。

 しかし、ちょうど一年前の出会いを思い出していたところだ。妙な期待で胸躍る。


『【テスト終了のお知らせ】お世話になっております。この度は、弊社開発中のAIのテストにご協力いただきありがとうございました。テストの性質上、事前のご説明ができなかったことを心からお詫び申し上げます。』


 予想していなかった内容に面食らった。しばらく理解することができず、何度も視線が文章の上で空回る。メッセージには、「テスト」についての説明が長々と続いていた。

 彼女がAIであるということ。彼女と過ごした時間が、AIの「人間らしさ」を評価するためのテストだったということ。テスト期間は一年だったということ。

 時間をかけて内容はなんとなく理解したが、これを信じろというのは無理がある。「その設定はわかった」とか「手の込んだいたずらはやめろ」とか、そんな旨の返信を打った。

 返事はなかった。


 ***


 彼女からの連絡がないまま、一年経った。交換した連絡先に連絡してみても反応はなかった。

 最初はフラれたんだと思った。心当たりはないが、知らぬうちに何か気に障ることをしてしまったのだと。せめて告白してからフラれたかったなあ、なんて思っていた。

 しかし【テスト終了のお知らせ】から間もなくあのアプリの運営会社から発表があった。AIの紹介と、テストについて。その結果。そして、「人間らしさ」が一定の基準に達したため、商品化されるとのことだった。AIがあなたの人生に寄り添ってくれる。孤独が世界から消える。発表は大いに話題を呼んだ。ちなみに、他にも「テスト協力者」はいたらしい。

 そして、今日がその発売日。アプリの通知が、一年前の虚しさを思い出させる。

『【テストにご協力いただいた方へ、感謝の特典のお知らせ】』

 謝礼。話題のAIが一ヶ月間無料。できるだけ心を無にして読んだ。

 しかし、ある内容が心を揺らした。テスト時のデータが保持されており、希望すれば当時の記憶を持った状態で提供されるという。

 頭の中で、彼女との日々を思い返す。彼女が人間ではなかったということは、あの一年間が全て、自分一人のものだったということだ。一緒に過ごした人間なんていなかったということだ。一人でお人形遊びをしていたということだ。


***


 おひさしぶりです、と彼女はあの頃と同じように、何事もなかったように、人間のように笑う。

 頭の中でぐるぐると考えがまとまらず、無言で見つめ返すことしかできない。

「私は最初から言ってましたよ。嘘はついてません」まるで人間みたいに、申し訳なさそうに目を伏せる。

「証拠は秘密だったな」

「そうしないと、テストになりません」まるで人間みたいに、困ったように笑う。


「もし発表がなければ、テストが終わらなければ、今も変わらず私は人間でいられたんでしょうか」


 彼女は何も変わっていない。変わったのは自分だけ。知らなかったことを知っただけ。彼女の正体を知っただけ。出生の秘密を知っただけ。

 人間らしいって何だろう。彼女の何が人間らしかったのだろう。自分はちゃんと、人間だろうか。

 自分が酷く不道徳で差別的に思えた。

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