平和か戦争か〈9〉
「アデライザ嬢の仰る通りです。採掘量が増えたからといって、じゃあ買い付けよう、とはならないものでして」
例えばある貴族がそれまで買い付けていた
否、出来るわけがない。
不可能ではないが、それには入念な根回しや資金が必要だろう。
「そこで如何でしょうか?我が方に余剰分の魔導金属を適正価格の…1割増しで売るというのは?」
「ご冗談を。時期さえ待てば3割は見込めます」
「では1割5分…エーギル、問題はないですね?」
アデライザは徐ろに後ろへ振り向くと、純白の騎士へと確認をする。首が縦に振れるのを確認すると、再び前へと居直る。
「1割5分…買い叩くにも程がありましょうに」
「あら?私は先程の伯爵殿を真似しただけですが…何処か可笑しい所でも?」
「…果たしてそれが有効とでも?」
アデライザは隣の兄へと一瞬目をやる。
「確かにこれだけならば有効ではないでしょう。ですが例えば…お酒を飲み交わしながら、とか」
「ハハっ、それなら確かに今し方のように有効でしょうな!」
「ええ、どんな賢人であろうと酒精に溺れてはまともに議論できませんわ。一度身体が熱しようものなら、周りの事など二の次としてしまいます」
一応はアデライザなりのフォローのつもりなのだろう、とラグナルスは考える。
だが実際には酔っていない。
そう考えると尚更、己の未熟さを痛感してしまうのであった。
しかし傍観者となっても、頭は働かせる。
いつ自身に御鉢が回ってくるか分からない。
…話の終着点は何処にあるのか?
余剰分の魔導金属を買い取る。
これだけならば、今までのやり取りを以て商談としては成立するだろう。
しかしこれは講和会議。悪く言えば敗戦処理。
それだけでは絶対にカールマン伯爵の欲は満たし得ない。
アデライザが思い描く見取り図がどのようなものなのか。
全く見当もつかなかった。
そしてカールマンは予想していたことを発する。
「ですがアデライザ嬢。櫂だけでは航海に赴くのは少々蛮勇が過ぎるもの。何か付属品が無いと、私は満足しないでしょう」
「勿論ですわ。ですので、これから海図の提供をしましょう。…興味はありますか?」
「ええ是非とも」
伯爵は前へと身体を傾ける。
「貴族の権威を他に示すものは幾つかございます。例えば服装、礼儀、教養、装飾品、調度品…」
アデライザは右手指を見せるようにして一本ずつ折っていくが、足りないので左手も挙げる。
「作法、芸術、武芸、人脈…」
そして最後の一本となった左人差し指をゆっくりと折りながら
「従者、となります」
と言葉を締め括った。
「アデライザ嬢の仰る通りです。同意しますが…それが何か?」
カールマンの意見にはラグナルスも言わないが同意する。
無理やり霧中に迷い込んだかのような、雲を掴むような話を聞かされている気分に陥る。
「伯爵殿はこの戦場に館の使用人は連れていますか?」
「いえ、彼らには留守を預らせました。此処には戦に手慣れた従者しか居ません」
「王国での使用人とは、家人の一族や騎士階級や男爵の女子供らが奉公に出る形が一般的です。帝国では如何でしょうか?」
「帝国、そして我が辺境伯領でも同様ですが…」
…もしかしたら気づいたかもしれない。
――気づいてしまった、と言うべきか。
アデライザの差し出した「海図」とは何か。
もしカールマン伯爵が「それ」を尊ぶ類の人間ならば、「海図」はこの上なく貴重なものとなる。
だがこの予測は外れてほしい。
そう願った。
「その使用人たちは…。そうですね、例えば古代語の読解は可能ですか?」
「…殆どが帝国語の読解で精一杯。ましてや古代語など以ての外、といった所でしょうか」
「想像してみてください。宮廷に伴う使用人が皆こぞって古代語を操る様を。しかも彼彼女、誰もが神学や
「それはとても魅力的です。ええ、極上の光景と言えましょう」
これから為される提案を何となく察した。そしてそれは、ラグナルスにとって全く魅力的ではない。
だが一方で、ひどく合理的であることに違いはないだろう。
「其処でですが。不肖ながらこの私、聖書を諳んじることが可能です」
「…他には?」
「勿論読解も。そして古代語の他にも、王国語・帝国語・ディジェーニュ語・ツーラン語は一通り押さえてあります」
「…教養の程は?」
「先に示した通りかと」
「…先行投資せよ、と?」
「私としては、とてもお買い得な商品を提示し得たと思いますが」
それを聞いたカールマンは拍手を打ち鳴らす。
いつの間にか立場が逆転したことに対してである。
「完敗、完敗ですよ。これでは私が敗者のようではありませんか…。いいでしょう、貴女を買いましょう」
アデライザは此処で初めて満面の笑みを浮かべる。
「お買い上げ、誠にありがとうございます」
全てが思惑通りである、と勝ち誇るように。
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