ヘンリク卿〈12〉

 シグムントとコルネリアが肩を並べて騎士団の元へと戻る中、黒衣の騎士が駆け寄ってくる。

 その男はフリードリヒと言い、齢は既に50近い。

 2ヶ月ほど前までは団長の座に就いていたが、今は副団長に退いている。


ヘンリク卿ヘア・ヘンリク。団員の死傷者計上は完了致しました」


 ご苦労、とシグムントは親と子ほどに年齢の離れた騎士へ、上位者の立場で労いの言葉をかける。


「それと我が軍の死者はどのように致しましょうか」

「…略式でも構わん。両軍・・の死者を弔ってやるが良い。伯爵殿が異論を仰るようならば、私かコルネリア嬢に伝えよ」


 壮年の男は何か言いたげであったが、了承の意を示して視界から消えていく。

 団内では随一の実直にして誠実な男ではあると評判の男。命令とあらば、大抵の事は忠実に実行する。


「宜しかったのでしょうか?その侯国の兵もというのは…」

「我らも彼らも同じ神に仕える者。去り際にまで線引きする道理はなかろう」


 王国と帝国が争うのは、ひとえに正教集団エックレシアの頂点に立つのは教皇か皇帝かという、俗世から見れば些細な、しかし深刻なものである。


 シグムントが傍に目をやれば、従軍司祭の下へと兵士たちが幾人か集まって祈りの章句に耳を傾けている。

 現状、帝国内の教会は皇帝に従ってその聖務を一応は実行している。

 だが一度皇帝の統制から離れて、大聖座から聖務停止の御触れが出れば、毎日の祈祷はおろか結婚や葬儀といった生活の上での祝事を執り行えないのは庶民にとって致命的である。


 


「では私は、どのように線引きされますか?」

「…私が天上ヴァルハラの門に閂を掛けておこう」


 一方でコルネリアは最も信頼できる従者半身であるが、隷属民で且つ神殺しの民たるパジャヴィール人である。

 聖典に「パジャヴィール人は除く」といった文こそ明記されていないが、大聖座から公式に神の恩寵に授かれぬ身と指定されている。

 だから線引きの必要すらない。


「ならば私の魂は何処に行くのでしょうね?」

「私が神に直訴して貴女の魂を送り届けよう」


 コルネリアは斜陽の空を飛ぶ雁を見上げる。


「殿下はよもや神に成り変わろうと?」

「貴女のためならば。それに神は全知全能と言うが、あらゆる人を創造なさった。ならば冗談の一つや二つを許容できぬほど狭量であるまい」


 それもそうですね、と女騎士は視線を空から動かさずに自然な口調で答えた。


 





※※※※※※


 こうして王国歴三四一年九月中旬に起きた第一次アバドラス会戦はライネスブルク辺境伯軍の勝利に終わった。

 しかしお世辞にも快勝とは言えない。敵将の首を獲ったとはいえ、辺境伯も少なくない数の魔導騎兵マギルリエを損耗したためである。

 またこの勝利はグイスガルド侯キルデベルト2世が戦における才が劣っていたことや、ライネスブルク辺境伯カールマン3世の戦略・戦術が卓越していたことを証明しない。

 侯国軍が敗北を喫したのは間違いなく黒龍騎士団ドラゴネス・テデンシェが最も致命的な場面で現れたことに起因する。

 だがキルデベルト2世もカールマン3世もヘンリク卿ヘア・ヘンリクと呼ばれたファプツィル公シグムントも、三者ともに意図したもので無いことは後世の私的文書エゴ・ドキュメント研究が裏付けている。

 この偶然を当時の言葉で語るならば、神の御加護が降り注いだ。若しくは女神フォルトゥナが微笑んだ、などと表現できよう。


 会戦の後、グイスガルド侯国の運命はキルデベルト2世からラグナルス・アデライザ両侯子に委ねられるが、ここでキルデベルト2世の業績について総評しておこう。

 キルデベルト2世は其れ迄のグイスガルド侯爵から一転して武才でなく学問や信仰を特に重視した君主である。

 領内の徴税機構の整備は侯国全体の財政健全化を促した。

 『奴隷の待遇に関する一般布告』は僅かながら今後の侯国における方針策定に寄与した。

 従士団の文盲解消に努めたことは、優秀な人材輩出を多く可能とした。

 聖アンブロジウス教会の建立と寄進は現地聖職者のノルデント人への心情を改善した。


 一方で否定的な側面を強調する者も存在する。

 ある研究者は「キルデベルト2世は先祖の蓄財に胡座をかいているに過ぎない。財政が健全化されたとはいえ、一連の事業にかかった費用は到底一代では賄えないほどに途方のないものであった」と論文に記した。

 即ち一連の文化的事業は、歴代君主が貯め込んだ蓄財を元手にしたと言うのである。

 また別に一層批判的なものもある。

「間違いなく時代錯誤の感性を持つ君主であった。確かに魔導学校設立から少し経ち、学才を重視する傾向が大陸各地にあったのは認めよう。だがそれにしても限度がある。乱世の時代に聖典と天秤を携えるだけでは私闘フェーデにすら抗えないのである」と。

 論壇の批評家であるために少々詩的ではあるが、全面的な否定は難しい。

 また落命する原因となった会戦についてもこのような意見がある。

「キルデベルト2世は如何にして勝つかではなく、如何にして終わらせるかという、実利的な側面が見て取れる。その面を別角度から見れば、包囲などでは無く帝国の一隊が敗退した時点で決戦を臨むべきであった。結果論的かもしれないが、戦とは何が起こるか分からぬもの。其れこそ、運命とは月の満ち欠けの如く定まらないものである」

 続けて当時の決断についても否定的である。

「また黒龍騎士団ドラゴネス・テデンシェが襲来した際、キルデベルト2世には真っ先に退く選択が存在していた。現に左翼騎兵隊や中央歩兵隊、当初救援に駆けつけた家人ミニステリアーレスのエーギルらは戦場からの離脱に成功している。左翼はまだしも、エーギルの救援を拒む道理はない。戦とは指導者が生き残れば再起の機会が残るが、指導者が没した際にはその機会は大抵失われるものである」


 このような面から、キルデベルト2世は統治における突出した才こそ有していたが、一概に名君とは呼び難い。

 しかしこうした辛辣な評価は、直後の大陸動乱を思えば、無理のないものと言える。




ユージン・パクストン著『グイスガルドの一族』より抜粋

 

 

 

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