ヘンリク卿〈8〉
最も迅速に異常を察知していながら、最もその対応が遅れたのはキデルベルト麾下の中央歩兵隊であった。
とはいえ、これはキデルベルト侯が暗愚かつ優柔不断であったという故では無く不可抗力の一言に尽きる。
右翼騎兵が崩壊したその頃、中央歩兵隊は帝国歩兵隊に対して距離を詰め、銃兵による火線を今まさに交えんとした頃合いだったのである。
そして侯爵は
用兵術だけ見れば指揮官はエーギルと同等の腕前か。
だが加えて侯国軍を遥かに上回る団員一人一人の練度が、突撃後であるにも拘らず、次なる突撃に向けた隊形再編を移動中にこなしていたのだ。
場が場ならば拍手を向けて喝采しただろうが、生憎とこなしたのは敵方。
それも軌道から次の標的はここ中央であれば、向けるのは拍手で無く武器が最も適している。
「側面に回りつつある敵騎兵隊に備えよ!
キデルベルト侯は対応するため即座に号令したが、此処で正面辺境伯軍による攻撃が実行された。
それは劣勢の中での攻撃であったために、辺境伯軍はまたしても多大な犠牲を払った。
だがこの攻撃によって正面に備えた隊形を側面へと転換させる事に失敗する。
侯爵がふと見れば、騎士団は既に再編を完了。
今まさに第二の突撃を敢行しようとしているではないか。
狼は脆弱な脇腹を食い破られようとしていた。
※※※※※※
エーギルは僅かな手勢を引き連れて中央へと急行する。
砲撃で巻き上がる砂塵や、開戦から幾許か経って益々深まった霧は侯国軍の敗北を告げているようでもあった。
「殿下、キルデベルト殿下は何処におわすか!?」
侯国軍の歩兵隊が這々の体で後退する中、エーギルはすれ違う兵達に怒鳴るようにして聞き込む。
ある魔導兵がそれに答える。
「侯爵殿下は先刻手勢と共に突撃なされました!それに乗じて歩兵隊は後退せよと…」
言い終わらない内に、馬を再び駆けさせる。
猶予は無い。
どうかご無事で、とエーギルは必死の形相で念じながら、身体を前に押し倒して加速させる。
少し走らせると、侯国軍の前に立ち塞がるようにして砲撃を行う騎兵の姿が見える。
突撃を阻止しようという目的の砲撃ではあるが、流石は
我関せず、といった様子で的確に防御し、悠々と駆ける。
そんな折にエーギルは陣頭で指揮する主君の姿をはっきりと認識する。
「キルデベルト殿下!」
しかし侯爵当人は目を大きく見開いて罵声を浴びせる。
「エーギル!何故此方へ参ったのか!?」
騎士は慌てず、しかし手短に救出する旨を伝えたが、主人は頑として首を縦に振らない。
「エーギルよ。忠義は誠のものであると確かに分かった。だが私より武勇に優れた其方こそ急ぎ立ち去るべきであろう」
偶々であろうが、つい先程ラグナルスへ同じ返しをしたエーギルは誉高き侯爵の意図も容易に察し得た。
同時にその覚悟も察し得た。
既に戦場の趨勢は決した。生き残るべきは既に国を動かせる才を持つ子息と、それを補佐するに足る騎士があれば良い。
「…何も好きに死のうというわけでは無い。私とて足掻く意志はある故」
それは今際の際の言葉であると分かってしまったが、先程ラグナルスとのやり取りで自身も決めた覚悟であった。
出来ることは素直にその言葉を受け取らないよう、手勢と共に黙って去る事だけであった。
忠義の騎士の後姿を見据えながら、侯爵は手勢に言い放つ。
「さて、これより我等は残った軍を逃すために突撃を敢行する…用意は良いか?」
皆一様に頷く。侯爵の周囲は長らく付き従ってきた従士ばかりである。その以心伝心の様相は先の
「我に続け!」
たった一言を以て、キルデベルト侯らは最期の突撃を帝国の精鋭へと敢行する。
これには
しかし
手勢が次々と倒れゆく中、キルデベルトはただ一騎にて数騎を同時に相手取って奮戦する。
だがそこに一際絢爛な装いをした騎士が軌道に割って入る。
そしてお前たちでは敵わぬ、と騎士たちに言い放つと続いて侯爵へ顔を向ける。
「高貴なる身分の方であるとお見受けする!此処は一度降伏して下さらないだろうか?」
「先刻の用兵は見事であった。だがその申し出を受けるわけにはいかぬ。私はキルデベルト・グイスガルドである!してその方はなんと申すか?」
「失礼ながら訳あって本名を名乗る事は許されていない。此処では
「良い名だ。そして事情は承知しているが故に配慮は不要。では行くぞ!」
キルデベルト侯と
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